学生の部 銅賞

『となりの奥』

 この作品における「となりの奥」とは、空間の階層性や、場の持つ歴史性や、精神的な深淵さの「奥」ではない。ずばり、五感で感じる「奥」を表現している。
 衝立、襖、障子や、御簾といった“間”仕切りは、気配(主に人の)を感じるものとして、長く使われてきた(時には自然を遠ざける目的でも使われたが)。それは、日本人の奥床しさでありまた、厭らしさ(好色の厭らしさもあるが、ここでは、ものごとをあいまいにしておく、ずるさという意味でのいやらしさ)でもあった。
この作品は、その日本人の厭らしさを肯定しつつも、日の光や暖かさ、風のそよぎ、月明かり、雨の雫の音といった自然現象を気配だけでなく、より具象化させるものとなっている。しかし、目に見え、耳で聞こえ、温もりも感じられるその「となりの奥」も、直接は手に触れ、目で見ることのできないカーテンの向こうに存在している。数奇屋は最小限の空間に無限を感じたように、この「となりの奥」は無限の宇宙を手に入れた感じがする作品である。


奥野 美樹


『気配、あふれだす家』

3枚の羽状の壁を1つの軸を共有して垂直に立て、それによって6つの固有のスペースを生み出すというシンプルな構成。壁の下部が緩やかに開かれることで隣の様子がうかがい知れる。プレゼンテーションでは、このような空間設定によって如何に「気配」が「あふれだす」のかを丁寧に説明しているが、同時に、模型写真で表現されている影が、生活の領域を規定しているかのようであった点にも興味がそそられた。日中は時間とともに形を変える影が「ここ」と「ここ以外」という2つの領域を規定し、夜にはすべてが「ここ」になる。そして、その中には作者の言う「あふれだす気配」がある。ともに固定的ではないところが魅力的だ。光と影をテーマにした他の提案に比べて、この提案には作者の想像以上に豊かな奥性が潜んでいるのではないかと感じられた。

小松 尚


『とある旗竿地の住宅』

 「奥」が意味する「表裏の位相性」など、言語的メタファの多様さについては、一般の部「Depth」案の評を参考にしていただきたい。
 旗竿地がつくる道路に対する表裏の関係を、「トポロジー」ではなく、「差=相異」的位相に視点を置いた案といえるでしょう。確かに露地的な竿部を道路(表)からのアプローチとすれば、旗地(の居住空間)は「見え隠れ」のみの距離的な「奥」となりがちで、旗地と竿地の利用形態の反転によって、旗地空間に道路(表)に対して新たな「奥」を形成させた視点は納得出来ます。ただ、界壁による空間化や複数の旗竿地の共有化された活用など、旗地の積極的な提案がなされないと、結果的には「見え隠れ」の奥となる危険性を感じました。
 PS.生物学的な「奥」の視点の提案が無かったのは、辺境や闇が喪失した現代社会ゆえなのでしょうか。又視覚障害者にとっての「奥」とはどのようなものなのでしょう。


車戸 愼夫

『オクの融解/人の奥』

この作品は、らせん状に壁を立て、その一番奥まった中心部から順次、壁にスリットを設けることでオクを解体し、さらにいくつかのボックス(室)が挿入することで生活の中に新たな奥が生まれるとしている。応募作品には、とぐろや渦巻き状の空間を提案しているものが多くみられたが、ほとんどは奥を表現しているに留まっていた。本作品では一度奥を壊してしまうというユニークで大胆な発想が試みられているが、壊す前の空間的なオクが壊された後に周囲に分散する過程、壊した後に形成される人の生活の中の奥についてやや説得力が足りなかった。形についても平面形のみの提案であり、もう少し立体的な提案もあったのではないかと感じる。しかし、応募作品の中で唯一と言ってもよい奥の解体に焦点を当て、新しい奥の創出に取り組んだ姿勢は評価したい。屋根を取り払った模型による表現も秀逸であった。


中井 孝幸


『想い出をまとった、これからの家』

Boxの中にBoxを重ねる手法が数多くみられた今年の作品の中で、簡素なBox重ね手法にて庭と室内とを反復と連続性によって無理のないリズカルな構成にしている。壁の重なり部の窓の切り方や、仕切りのない連続した居場所の有り方など、代表的近作住宅を良く学んでおり、空間の距離感覚・透け感と空間の強弱のリズムにて、「場」のポテンシャルのある「奥」性をとらえているのが快い。ただし、平面計画にある人の通れない隙間空間は現実性がなく、そこは風通しが悪くカビとホコリ・ゴミの堆積場となり、不健全で陰湿な空間となる点を改善すれば、すてきな住宅提案である。このプレゼンシートの構図にやや物足りなさと表現全体が弱々しいのが残念だが、童話的イラストには作者の感性と技量がうかがえ、将来性が期待できる。


鈴木 祥司