一般の部 銅賞
『大きな屋根の作る大きなにわ』

さわやかなプレゼンテーションが心を引く提案です。あれっ 住まいはどこにあるのだろう。オヤッと思い 読み込んでいくとその意図が素直に伝わります。緩やかに変化する屋根が、庭とあることによりさまざまな場所を作り出していく。大きな軒下を持ったうねる屋根が、地表面との間に高さの違う空間を生み出し、光のあふれる場所とあたらない場所を生み出す。風の吹き方にも変化をもたらす、そんな緩やかに変化する大きな屋根が庭とあるだけで、少しずつ変化する場所が生まれることを見事に解き明かし、広がりのある庭に植えられた木々がつくる木陰に例えて、詩的に説明されています。なんと単純で心地よくさわやかな提案でしょう。時間の経過、季節の変化も場所の変化に結び付けられ、提案にふところの深さが感じられます。この原稿を書くために 改めて提案を見ていて 心のなかにさわやかな心地よい風が吹きわたっています。           

小林 聡


『庭、踊る』

都会の高密度低層住宅地といった密集した住宅内をテーマに、内に開いた空間で≪庭≫に取り組んだ作品である。
この作品の高さ・奥行き・広さの異なる部屋同士が独自性を保ちながら複雑に垂直・平面方向の角度を変え 庭を介して繋がっている。それは見る角度により視界が閉ざされ、または開かれたりしながら雰囲気を感じて生活出来ると言った、狭隘空間であるのにも関わらず視覚的、意識的に広がりが感じられる空間を演出している。
その捩れは、外部に対しても内部の複雑な庭のエネルギーを発信しているかのようだ。
この捩れた中庭空間に於いて、上部からの光は中庭のこの壁を乱反射しながら降りてゆき、その一部はシャープな外部の開口を照らすであろう。
都会の中における同様な自閉空間の提案の中で、庭空間と部屋の関係が最もアクティブに提案されたところに完成度を感じられる点が評価される。
また、このくねくねと踊る様に住宅内に入り込んでくる庭を ≪踊る、庭≫で表現しているタイトルもニクイ。
住宅地に関連して踏み込んだ考察を作者の思いの観点から更に描ききると完成度が増すのだろう。

後藤 文俊


『幅40センチの風景』

作者は、幅40センチの壁をつくり、それをニワに置き換えている。だが、置き換えられた時点で、壁であるはずのニワは空間となり部屋と部屋を自由につないでいる。まるで、今までの庭が家と町とをつないでいたかのように。このことは、現代の家族像を反映しているように感じた。食卓を共にしながら、それぞれがケータイによって別の世界とつながっている。まるで他人のような家族。しかしそこが家ではなくてマチと読み替えれば、そんな家族像も十分成立する。そんな家族同士が「幅40センチの庭」を介してつながる。お仕着せの団らんが実は他人行儀な感じがしてしまう中で、より家族の絆を確認しあえるように感じたのだ。当初、幅40センチの壁は現実味に欠けると思ったが、実は敢えて距離を取っているのだと解釈した。壁で物理的に仕切ってしまうよりも、庭でつなぐという発想は、家族なんて近すぎる存在でうっとうしいと思う人々の意識を吹き飛ばしてしまうだろう。プレゼンテーションの表現は敢えて実現性を消し去っているが、天井から垂れ下がる草、地面から生える木々の様子は、ちょっと見てみたいと思った。そして、フワッとまたいで、隣の部屋に行ってみたいと。

斎藤 正吉


『大きな扉の風景』

扉の開閉によって内部/外部(建築/ニワ)を相対化するというこの作品のコンセプトは、金賞の「大きな扉のある家」とかなりの部分重なる(題名もほぼ一緒である)。しかし、この作品では二項対立を二項対立のまま反転させることでその対立を無効化しようとしており、ある意味金賞案よりも明快で鮮やかである。さらに、かなり広い敷地を必要とする金賞案に対し、ウナギの寝床のような細長い敷地の特性を活かしたこの案の方が現実の都市空間への提案としてはリアリティがあると言えるだろう。ただし、壁と屋根で構成された空間の両端が扉として開け放たれることでそこがニワ化するというのはいささか説得力に欠ける。やはり屋根の存在は大きく、内部/外部を相対化するところまで至っていないというのが率直な感想である。屋根の問題をもう少し突き詰めて考えれば、もっと評価は高かったかも知れない。金賞案は内部/外部を無階調につなぐ仕掛けであり、その分内部/外部の関係に多様性をもたらすという点で、この案を若干上回った。しかしながら、細長い敷地を2等分することで内部/外部という対立概念を明確に表現しつつ緊張感のある空間を生み出しており、隣の住居の壁を内壁と見立てるなど、現代的なニワの解釈として可能性を持った優れた案である。

審査委員長 清水 裕二


『perch』

従来、庭とは住居と周辺環境とを繋ぐ接点であり、周辺ー庭ー居間のような空間的序列の中で、連続性や内外の一体感、アプローチの妙にその価値が見出され、手法化されてきた。従って庭が成立する条件には崩すことのできない、リニアな序列性がいつも潜在化されている。おそらくこの案は、そのような庭が生来持つ、歴史的に崩すことのできない枠組み・・・「遺伝子」を、何とか組み替えられないか、とういうところから発生している。
ここでは、周辺ー庭ー居間のリニアな物理的な関係性をこわすために、周辺、庭、居間(住宅の諸室)をランダムに並べ、網状的でネットワーク状の構成が拡張的にその空間を支配している様子・・・作者は「グラデーション」と呼んでいる・・・を、「小屋」というしかけから俯瞰しようとするものだ。現代の「住」そのものに疑問を投げかけ、領域
の概念で組み立て直しているが、それを出雲大社的な社、「小屋」から見なければならない必然性を、さらに説明できればもっと良かった。

鳥居 久保