保存情報 第177回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) とこなめ陶の森・陶芸研究所(旧常滑市立陶芸研究所本館)     山上 薫|山上建築設計
張り出した大きな庇が特徴的な外観 屋根上の三角の天窓 玄関ホールの吊り階段 
■発掘者のコメント
 この建物は伊那製陶㈱(現LIXIL)の創業者、伊奈長三郎が資金を市に寄付して建設され、1961年に開館した。常滑出身の哲学者・谷川徹三との縁で堀口捨巳が設計することになったらしい。
 堀口は計画案を「建築」誌に発表したとき、次のように記している。「この辺は製陶の煤煙が多い所で、又海風も当たるので、外壁は全部カラコンモザイク張り仕上げとし、汚れを洗えるように考えた。色は淡紫色でぼかしになるように計画している。また窓サッシは全部アルミニューム製にした。この建物の見え掛りを特徴づけているものは屋根の上につくられた三角の天窓であろう」。
 建築史家の藤岡洋保は「鉄筋コンクリート造の作品の中で、最も堀口らしい作品の一つで、合目的性と非相称に対する好み、色への並々ならぬこだわりを『強い表現』にまとめあげようとしている」と述べている。
 外観で目につくのは3.5m張り出した頂部の大きな庇、非対称とした立面とタイルのグラデュエイションである。アルミサッシは外側だけが銀色に塗装されている。
 館内は玄関を入ると正面に、堀口好みの吊り階段が見える。左側に吹抜けでトップライト付きの展示室があり、右側の1階に事務室と応接室・茶室、2階に会議室と和室がある。各室の表情豊かな天井、ドア取手周りのカラフルな樹脂製プレート、竹製の濡縁など見どころは多く楽しい。特筆すべきは、今も開館時の姿そのままに使われていることである。堀口の作品としては、名古屋の「八勝館みゆきの間」がよく知られているが、愛知県では常滑陶芸研究所も忘れてはならない作品である。 
所在地:常滑市奥条7町目22番地
構 造:鉄筋コンクリート造 地下1階 地上2階建
規 模:延510.77㎡
建設年:1961年10月(昭和36)
選 定:DOCOMOMO184選(2014年)
参考資料:「建築」1961年2月号
「堀口捨巳と常滑市立陶芸研究所」
講演記録(2015.11.23)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 料亭蔦茂(つたも)     野口和樹|野口良一設計事務所
 
本館西側外観(玄関) 別館1階 座敷(蔦の間) 別館1階手前 流水池 
■発掘者コメント
 名古屋の中心栄の繁華街、三蔵通と七間町通が交わる一画の黒塗りの板塀で囲われた所が料亭蔦茂(つたも)です。外見上はひっそりと佇んでいながらも、中に入れば外からは到底計り知れない広がりある空間を体験することができます。
 大正2(1913)年、旧八百屋町内で開業していた別経営者の蔦茂旅館(江戸期大須で創業)を今の先々代が取得。同時期に現在地にあった旅館丸屋敏(まるやびん)も取得し、こちらを蔦茂本店とあらため創業となります。戦争による空襲でその全てが焼失後、昭和21(1946)年に料理旅館蔦茂(本館)をいち早く再興。昭和26年に本館北側に4階建ビル(現在は他へ譲渡)、続く昭和27年に本格的木造数寄屋造の別館を敷地の最奥に増築。各々は建築家・岩城誠一郎氏の設計による現代風数寄屋で構築されています。さらに昭和33(1958)年には子息の岩城誠作氏と親子共同設計による新館ビルを本館の東隣に増築。以後、岩城流数寄屋建築を大切に守り、創業から100年を経過した今に受け継がれています。
 ここでは各棟の間をつなぐ渡り廊下や庭に特徴があり、池や蹲(つくばい)などによる「水の流れ」を伴う庭園がそこかしこに配置されています。かつてこの付近は紫川(※注)という川の水源地で湧き水も多く、敷地内には江戸期からそのまま受け継がれている井戸が3カ所もあり、今でも池や蹲の流水源、さらには厨房での洗浄水などさまざまに利用されています。 それぞれ部屋の広さに合わせてうまく構成された別館各座敷から各庭への眺めは抜群です。水の湧き出る井戸、錦鯉の泳ぐ流水池、苔むした庭石、明りのともる灯籠、土地の守り神を祀る社、生い茂る樹木などが狭い中にもうまく配置され、「庭屋一如」の世界の一端を、観て、聴いて、匂って、触れて、そして最後に舌で味わい、五感で体感できます。
 昼席(ランチ有り)・夜席ともに気軽にうかがえる席料を設定されていますので、一度訪れてみることをおすすめします。 

所在地:名古屋市中区栄3丁目9番27号
建設年月:[本館] 昭和21(1946)年木造2階建て
       [別館] 昭和27(1952)年木造2階建て
       [新館ビル]昭和33(1958)年RC造5階建て
文化財指定等:名古屋市登録地域建造物資産 第100号(平成25年、創業100周年記念)
(※注)紫川(むらさきがわ):蔦茂より北西側辺りを水源とし、洲崎神社南側で堀川に放流されている。現在は流域全て埋め立て。昔の紫川は排水などで汚濁したので、かつての清流を望み付けられた白川(しらかわ)の地名が今に残る。