フランスと日本の関係 ~対外文化政策のいま~ <第6回>
テアトル・ドゥ・ベルヴィル
三重県に誕生した仏語名の民間小劇場
松本茂章|公立大学法人 静岡文化芸術大学文化政策学部教授
  まつもと・しげあき
早稲田大学教育学部卒、同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程(後期課程)修了。博士(政策科学)。
読売新聞記者、支局長を経て2006年4月から県立高知女子大学教授(現、高知県立大学)。
2011年4月から現職。
日本文化政策学会理事、日本アートマネジメント学会関西部会長、NPO法人世界劇場会議名古屋理事。
単著に『芸術創造拠点と自治体文化政策 京都芸術センターの試み』(2006)、『官民協働の文化政策 人材・資金・場』(2011)、『日本の文化施設を歩く 官民協働のまちづくり』(2015)(いずれも水曜社)
「美しいまち」という名前
 広さ10メートル四方。天井の高さ4・5-6メートル。客数は50から70程度。こんな小さな劇場が三重県津市の美里町に誕生したことはそれほど知られていない。市中心部から車で20分ぐらいの山あいにある。2014年11月23、24、30の3日間にこけら落とし公演「シンデレラ」が上演され、地元住民らは無料招待された。高齢の女性は「数10年ぶりにお芝居を見た」と感動した。津市長の前葉泰幸も関心を抱いて駆けつけ、終演後のアフタートークに登場した。劇場名は「テアトル・ドゥ・ベルヴィル」という。Bellevilleとは仏語で「美しいまち」という意味だ。美里町という住所と、後述するパリ20区に寄せて命名された。元資材倉庫の建物は、NPO法人パフォーミングアーツネットワークみえ(通称ぱんみえ)が所有者から
有償で借りている。同じように同NPO法人が自主運営する民間小劇場が、このほか同市内に2つある。ベルヴィルの場合は、東京から移転した劇団「第七劇場」が実際の管理を担当して、レジデントカンパニーとして活動しながら、同NPO法人に家賃や水道代と同額の金額を支払っている。
 改装のための材料費やごみ処分費は約100万円。劇団の自己資金40万円のほか、残りは全国から寄付を募った。寄付をしてくれた人々の名前は木札に書いて劇場入り口に掲げ、感謝の気持ちを表現した。壁を黒く塗ったり床面をつくったりする作業は地元の人たちが手伝ってくれた。同NPO法人関係者には、劇場づくりの作業に加えて、倉庫に残っていた廃棄物の撤去などを引き受けてもらった。 
 
白い壁に取り付けられた赤い看板が印象的なテアトル・ドゥ・ベルヴィル
東京から劇団が移転して
 第七劇場の主宰者、鳴海康平は、あごひげを20センチ程度伸ばして「野武士」のような風貌である。1979年、北海道紋別市に生まれた。医師を目指していたが、高校3年の数Ⅲでつまずき理科系から文化系に。映画好きだったので「監督になりたい」と夢見て早稲田大学第一文学部演劇映像専修に進学した。在学中に劇団「egg flip」を結成し、2003年に第七劇場と改名した。同年、富山県利賀村の演出家コンクールに参加したところ、著名な鈴木忠志(劇団SCOT主宰)の影響を受けて「自分たちのアトリエを持ちたい」と願うようになった。「鈴木忠志さんから学んだことの1つは上演空間と一緒に作品をつくること。演劇人は自分の城を持つ必要があるという考え方に強く影響を受けた」。2006年、埼京線・板橋駅近くの物件を借り、別の劇団とシェアした。月額16万円を2劇団で折半した。都内にアトリエを持てたが、一方で、魅力的な上演空間を求めて地方公演に出向くようになった。「東京はコストが高く、消費のサイクルも早い。東京にこだわる必要もない」と思い始めた。
 三重県内で公演したのを機に同県内の演劇関係者との交流も生まれた。県文化会館を運営する県文化振興事業団の事業課長(当時は事業推進グループリーダー)松浦茂之(1968年生まれ)、民間小劇場「津あけぼの座」などを運営する同NPO法人代表理事の油田晃(1973年生まれ)、同NPO法人副代表理事の山中秀一(1973年生まれ)らと知り合った。舞台芸術にかける熱っぽさと官民で協働しようとする姿勢に感銘を受けた。2011年のある日、駅近くの焼き肉店で食事していた際、「三重に引っ越したい」と決意を表明した。
鳴海康平さん(2016年1月4日、松本茂章撮影)
演劇漬けのパリ生活
 ポーラ美術振興財団に申請していた鳴海のパリ留学が幸いにして認められ、2012年10月から2013年9月まで渡仏した。演出にとどまらず、舞台美術も自らデザインしてきた実績が評価されたのだった。当初はサクレクール寺院そばで暮らし、その後郊外に転居した。郊外都市の1つヴィトリにある公設小劇場「ステュディオ・テアトル・ヴィトリ」の芸術監督で演出家ダニエル・ジャンヌトーの面識を得て同劇場で研修することになった。同劇場では若手演劇人を支援しており、彼らはここで作品を制作してから他の劇場での上演を試みた。国や自治体からの補助金を得ていた。近年、仏国ではパリへの文化一極集中を防ぐため、地方やパリ郊外の文化施設・団体への支援を強めている。鳴海は、同劇場での研修のほか、南仏のアビニョン演劇祭を含めて留学中の1年間で計320本の演劇作品を見た。
 初めてパリで公演したのは2011年3月だった(本連載4回目参照)で、チェーホフ作「かもめ」(鳴海演出)を2ステージ上演した。「観客約100人は仏人ばかりで、日本語のせりふに仏語の字幕をつけた」。その際、パリ東端20区にあるベルヴィルの安宿に泊まった。ベルヴィルは中国系やアフリカ系の移民らが集まり、漢字が看板にあふれていた。実にエスニックで活気ある地区である。このときの好印象が三重に設けた新劇場の名前につながった。
テアトル・ドゥ・ベルヴィルの内部(2016年1月4日、松本茂章撮影)
可能性を秘めて
 第七劇場に在籍するのは鳴海に加えて俳優7人である。うち30代の男性団員2人は鳴海とともに東京から移住してきた。当初は3人で近くの一軒家を借りて暮らした。日々の生計はどうなっているのか? 鳴海の話によると、県文化会館が催す県内高校演劇部員対象の講習会で指導したり、同劇場の地元・美里地域の子ども劇団の演出の仕事を引き受けたりする。三重大学では授業「演劇入門」の非常勤講師に任命された。テレビ局が発注する制作会社の映像編集も手伝う。「何とか生活できている」と鳴海は笑顔で語った。
 第七劇場は県文化会館の準フランチャイズ劇団に選ばれた。年1本の新作をつくるために約100万円の予算が計上された。2015年度に制作した作品「アリス・イン・ワンダーランド」は地元のほか大垣と広島の公演を実現できた。三重からの全国発信につながった。
 ベルヴィルの客席は3段だけだが、舞台奥行7・2メートル、横幅9・6メートルと本格的だ。「このサイズなら全国の文化施設のホールにも対応しやすい」と胸を張る。何より劇場のある津市は地理的条件に恵まれている。日本列島の中央部にあるうえ、対岸にある中部国際空港から船便に乗れば津市まで45分である。さらに劇場から伊勢自動車道のインターチェンジまでは車で10分と近い。ベルヴィルで舞台を組み、本番同様の稽古(ゲネプロ)に励んだあと、全国各地、いや海外にまで巡回興行できる。 鳴海は「劇場のことをもっと広く知ってもらい、良質なプログラムを続けて、少しずつ観客を増やしたい」と静かに話す。同NPO法人運営の小劇場3カ所いずれの芸術監督を無報酬で引き受けた。県文化会館とも連携しながら新たな展開を考えている。「地方創生」が叫ばれるなか、見守りたい文化的な動きの1つである。