保存情報 第173回
登録有形文化財 料亭 河文 Ⅱ   中澤賢一|堀内建築研究所
若女将との見学 新用亭(窓に障子が組み込まれている)
■紹介者コメント
 去る2016年1月9日、われわれ保存研究会の新年会をここ河文で開催しました。用意いただいた部屋は文化財指定を受けた新用亭。流れ床の庭を挟んで水鏡の間を望める部屋でお昼の点心をいただきました。
 料亭 河文はこの保存情報ですでに紹介されています。その際、文化財指定を受けながらも、料亭として新事業を展開するため、「那古野の間」と「葵の間」が解体され、新たに小坂竜氏のプロデュースにより、結婚式場とレストランが建設されたことを紹介しました。以来5年の変遷と今を伝えるべく、再度紹介したい
と思います。
 さて、会食前の全体見学に始まり、会食中も若女将が代々伝わるさまざまな逸話や建築の変遷を大変詳しく話して下さいました。特に印象的だったのが、谷口吉郎氏設計の水鏡の間についてのお話でした。庭に大きく開いたデザインのため、向かいの新用亭とお互いに室内が丸見えになってしまう、その不備を完成と同時に顧客から指摘され、即座に新用亭の窓へ視線の高さで障子が組み込まれたそうです。
 また、改修によりカウンター割烹、喫茶(茶房)、バー(酒房)といった新たな事業展開がなされましたが、当日の亭内の雰囲気から、より多くの人々に利用される開かれた「料亭河文」として定着しつつあることを感じました。
 私事ではありますが、文化財指定直後の2005年、今はなき「那古野の間」で披露宴をあげさせていただきました。かたちは変われど、夫婦の契りを交わした河文が、より多くの方々に親しまれる料亭であり続けていくことを見守らせていただきたいと思います。
所 在 地:中区丸の内2-12-19
建 設 年:厨房|昭和12(1937)年 
      主屋、表門、新用亭、用々亭等|昭和25(1950)年 
      水鏡の間|昭和46(1971)年
構造・規模:木造一部鉄筋コンクリート造
設 計 者:主屋 |篠田進、川口喜代枝 
       水鏡の間|谷口吉郎
アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線・桜通線「丸の内」駅下車、徒歩5分
U R L:http://www.kawabun.jp/
登録有形文化財:主屋|23-0156 表門、塀、及び脇門|23-0157 
        新用亭及び渡廊下|23-0158 用々亭|23-0159 
        厨房|23-0160 登録(H16)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 恒川織物   野々川光昭|
オウ環境設計事務所
南の庭から離れと主屋を見る 現在も住まいとして使われている主屋 客人を招いて茶会を開いていた茶室 創業時から建つ鋸屋根工場
■発掘者コメント
 一宮市西部の尾西地区は、江戸時代の初期に機織業が始まり、明治から大正そして昭和と毛織業で繁栄、「毛織王国」「ウールの尾西」として国内外に知られるようになった。
 恒川織物は、昭和2(1927)年に創業し、尾西で発達した親機(おやばた:原糸の調達から製造まで一貫して行う機織り)として現在も営まれている。7,000㎡を超える敷地内には創業時の鋸屋根工場をはじめ、その後増築した大型工場群と居宅や茶室および庭園が配置されている。鋸屋根は近代工場の象徴で、産業革命当時の英国で織物工場として建設され、日本では明治10年代(1877 ~ 1887)末に使われ始めた。織物工場は電力事情が良くなかった時代に北側の天窓からの柔らかい光が手作業に適し、機織の音を拡散できることから明治から昭和初期に多く建設された。恒川織物では戦後建設した新工場に機織を移した今でも、創業時の工場は自然光のもと織物の色を見分け品質をチェックする場所として利用されている。北の採光面の屋根勾配は78度で、この地方の夏至の太陽南中時高度と同じ角度で太陽光が直接工場内に入らない。
 主屋は昭和30(1955)年に新築、離れ座敷は昭和35(1960)年に移築された。瓦葺き木造2階建て外壁は黒漆喰の真壁づくり、主屋1階の4室32帖の座敷は、夏は襖から葭戸に模様替えが行われ南北の庭を楽しむ季節感豊かな設えである。茶室は、昭和22(1947)年に長良の建物を移築した。内部は3帖半の茶室に客待ちおよび水屋からなり、軒には白樺の垂木が使われるなど数寄なつくりである。敷地内にある各年代の建物群と庭園は、尾西地域の昭和初期から戦前戦後に至る繊維産業の興隆を今に伝えている。
建設年:昭和2(1927)年~
     昭和35(1960)年
所在地:愛知県一宮市東五条
     字中通り5-1
構  造:木造2階建ておよび
     木造平屋建て
参考資料:尾西毛織近代史、
     日本の近代遺産50選