保存情報 第172回
登録有形文化財 藤岡農業倉庫   鈴木祥司|アトリエ祥建築設計
長良川発電所本館 ドイツ製水車 水を湛える水路 湯之洞谷水道橋
■紹介者コメント
 長良川鉄道湯の洞温泉口駅を降りそのまま長良川に向かって歩くと立花橋にでるが、その対岸に赤茶色の建物が目に飛び込んでくる。その長良川水力発電所は明治43(1910)年に竣工し、一部は改修などがされたり、発電量が減少したりはしているものの現在も現役で稼働しており、多くの箇所が当時のまま残されている。煉瓦造の本館は威風堂々としており、碧き長良川や山並みなどに溶け込んだ景観は見ごたえがある。かつては瓦屋根であったが今は葺き替えられており、その名残りに鬼瓦が残されている切り妻形式の建物である。正門、外塀も当時のまま残され、建設当時のドイツ製水車も展示がされており、その巨大さは圧巻である。また国登録有形文化財であるが平成19(2007)年に近代化産業遺産にも登録されている。
 山路を登り取水口に至ると水路の水は満々と流れ、今も生きている発電所の実感がある。その水路をたどると湯之洞谷水路橋に至る。それは時空を経たレンガ造の味わいがあり、山並みの中に溶け込み光と影が織りなす深みのある姿に時を忘れて見入ってしまう。そこにはル・トロネ修道院を彷彿させる空間がある。さらにもう一つの下須原谷水路橋を探し歩いたが見つけ出すことができず自然の営みを感じ、アンコールワット遺跡のように森の中に呑み込まれている思いがして、何かロマンを感じとった。発電所本館、取水口、水路、水路橋が森の中を駆け巡り連携した景観は、見る人に歴史散策することの楽しさ、味わいを与えてくれる。
所在地:本館、正門、外塀|岐阜県美濃市立花字木の末844-1-1-1-1
湯之洞谷水路橋|美濃市立花字湯ノ洞~字長平
所有者:中部電力株式会社岐阜支店
建築年:長良川発電所本館、正門、外塀、湯之洞谷水路橋明治43(1909)年
構造・規模:本館|煉瓦造地上2階地下1階 正門|煉瓦造、外塀|煉瓦造 湯之洞谷水路橋|煉瓦及びコンクリート造5連アーチ橋、橋長62m、幅8.0m
アクセス:本館|長良川鉄道 湯の洞温泉口駅下車徒歩5分 
湯之洞谷水路橋|同駅下車徒歩20分
登録番号(国登録有形文化財2000年12月20日):本館|21-0033、正門|21-0034、外塀|21-0035
(国登録有形文化財2001年09月14日):湯之洞谷水路橋 21-0041 
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 高野山真言宗 大福寺   冨田正行|エム・プロダクツ
本殿 福助池 仁王門 庫裡
■発掘者コメント
 大福寺は平安時代貞観17(876)年に開創し「播教寺」と称した。現在の寺より約8キロの愛知県境、扇山山頂(海抜500m)にあり、現在も扇山林道沿いの山頂近くに跡地が保存されている。鎌倉時代承元3(1210)年、現在地に移され「大福寺」と改称された。境内は海抜40mの位置にあり猪鼻湖、景勝地瀬戸を眺望できる。境内には室町時代の築庭と思われる「浄土苑」と称す庭園がある。鑑賞式兼回遊式の庭園は、周囲の自然の山を取り入れ、滝を備えたダイナミックな庭園となっていて県指定文化財。元禄時代に茶祖山田宗偏が来住愛好した名園で、池は福助池という。
 鎌倉時代、当地に移されたときは数十の子院を持つ大寺院だったと言われ、仁王門(県指定文化財)は本堂の数百メートル手前にあることからも、かつては相当の寺域を誇ったお寺であったことがうかがえる。仁王像は傷みが進んでいるが、なかなか勇壮なバランスのとれた像で、鎌倉期の作といわれる。今回、特に紹介したい建物は庫裡である。先代のご住職が戦後、愛知県豊橋市二川の大きな製糸工場の敷地内にある福利厚生施設木造2階建ての建物を買い受け、この地に移築して庫裡、檀家の集会施設としてリノベーションした(豊橋の製糸業の特色は玉糸製糸。安価な玉繭から糸を取り出す方法を、群馬県出身の「小淵志ち」が苦心の末発見、二川の「糸徳製糸工場」で本格的な製糸業を始め、二川・豊橋は「玉糸の町」としてかつては有名)。昨年11月にご住職の許しを得て、建物の調査測量をしたので、今後この建物(産業近代化遺産)を追跡調査していきたいと思っている。
 室町時代から大福寺に伝わる特製の大福寺納豆は、中国(明時代)僧から伝承され、足利、今川、豊臣、徳川家歴代将軍に献上されたもの。「浜名納豆」という名は徳川家康が命名したと言われる。特に正月には将軍家へ諸大名参賀の折り祝酒にはなくてはならぬもののようであった。薬味には山椒の中皮カラカワが入れてあり、茶に酒に飯に添えて妙味、栄養豊富な保存食である。ぜひ一度ご賞味を。
所在地:静岡県浜松市北区三ヶ日町大福寺
アクセス:天竜浜名湖鉄道「三ヶ日駅」下車レンタサイクル20分
東名三ケ日インターより車で15分