保存情報 第171回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 藤岡農業倉庫   三輪邦夫|RE建築設計事務所
大きく白字で「藤岡農協倉庫」と描かれた外壁 どっしりとして、存在感がある正面 キングポストトラスの小屋組み
■発掘者のコメント
 豊田市の西部、旧藤岡町役場の近く、建物の外壁に「藤岡農協倉庫」と白字で描かれた大きな文字が目に入ってくる。一見土蔵に見えるが、土蔵としては大きい。反対側に回ると農協の建物のひとつであることが判る。どっしりとした、存在感のある建物である。お話によると、この農業倉庫は米の貯蔵庫として昭和初期に建てられている。当時の政府指定倉庫として、村内で生産される米麦の集荷保管に使われた。最大収容能力は玄米換算(60キログラム)で6,600俵。常温式倉庫のため、戸前が狭く、米麦の搬出入はすべて人力、男子職員総出で行ったという。
 構造形式は木造平屋建て、桁行10間、梁間5間、土蔵造り、切妻屋根桟瓦葺きである。外壁は下屋ともに押縁下見板張りである。建物内部は5間四方の倉庫を2室並べ、正面に奥行き2間の下屋を付す。入り口は各倉庫の正面中央に設ける。内壁は漆喰の上塗り、多数の角材を建てて保管荷物が直接壁に触れないようにしている。貯蔵庫各室背面に2カ所ずつ、妻壁にもそれぞれ霧除庇付き高窓を設ける。床面近くに鉄製の床上換気口が2間間隔で設けるなど、建物の性格上、換気に配慮している。
 小屋組みは、キングポストのトラスを桁行1間ごとに入れ、両妻と仕切りの壁は和小屋と、和洋の併用である。トラスごとに挟み方杖を入れ梁間方向の補強、一方陸梁中央の真束下端に挟み二重梁を入れ、真束を筋交でつなぎ桁行きの振れ止めの補強、四隅に火打ち梁を入れ、トラスの一つ置きにも火打ち梁を入れるなど水平面を固めている。一方、下屋の庇は束立ちで 、梁の架構は京呂組とするなど伝統的な和小屋形式である。
所 在 地:豊田市藤岡飯野町下貝戸
建 設 年:昭和初期
構造・規模:桁行十間梁間五間 土蔵造り
      2間の下屋付き
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 寺部   林 廣伸|林廣伸建築事務所
 
随應院 鐘楼門 八幡神社 社殿 守綱神社 常夜燈・道標
■発掘者コメント
 “寺部”は“挙母(衣)“に対峙して矢作川左岸にあり、かつては尾張藩に属する石高一万四千石を領有する寺部領であった。集落の北西隅に領主の陣屋跡が残存する。陣屋跡の南には、慶長15(1610)年に入封した初代領主である「渡邊半蔵守綱」を祭神とし、明治期に家臣により創設されたという「守綱神社」が鎮座している。
 ちなみに裏千家中興の祖と称される玄々斎は奥殿藩第七代藩主松平乗友の子で、寺部十代領主規網の実弟である。
 街区の東西端にはそれぞれ領主渡邊家、奥方の菩提寺である「守綱寺」「随應院」があり、2カ寺の墓所は市指定史跡となっている。さらに「守綱寺」の南には「八幡神社」を配する。集落中央部では常夜燈を設け、ここを起点とする古道(善光寺道)の道標も並立している。
 集落内の建物は遊佐家・松本家の長屋門(市指定)を除きほとんどが建て替えられているが、程よく要所に点在する寺社類の歴史建造物や常夜燈、道標などの歴史環境が住環境の奥行きを感じさせる。加えて寺社叢の緑影がその場の気を和ませている。
 なお、寺部における建造物の文化財指定は、前述の長屋門2棟の他では「守綱寺」の「本堂・鐘楼堂・太鼓堂・山門」に止まっており、「随應院」や「八幡神社」における諸建造物や史跡の追加指定が望まれる。
 ところで、現状では集落と矢作川との狭間に建売住宅が入り込み、また、南側の国道を越すと宅地造成工事が進行中である。さらにその南方には「豊田スタジアム」「豊田大橋」が遠望される。歴史街区との対比が今後どのように展開していくか注目される。


所在地:愛知県豊田市寺部地区
アクセス:名鉄三河線・豊田線
     「豊田市」下車、徒歩30分