フランスと日本の関係 ~対外文化政策のいま~ <第3 回>
ボルドー日本館と伝統工芸の展覧会
-地方都市を舞台にした日仏文化交流-
松本茂章|公立大学法人 静岡文化芸術大学文化政策学部教授
  まつもと・しげあき
早稲田大学教育学部卒、同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程(後期課程)修了。博士(政策科学)。
読売新聞記者、支局長を経て2006年4月から県立高知女子大学教授(現、高知県立大学)。
2011年4月から現職。
日本文化政策学会理事、日本アートマネジメント学会関西部会長、NPO法人世界劇場会議名古屋理事。
単著に『芸術創造拠点と自治体文化政策 京都芸術センターの試み』(2006)、『官民協働の文化政策 人材・資金・場』(2011)、『日本の文化施設を歩く 官民協働のまちづくり』(2015)(いずれも水曜社)
人気都市ボルドー
 仏南西部のボルドー市は、市内を流れるガロンヌ川の蛇行に沿って「月」の形をしている。このため、「月の港」と呼ばれ、大西洋を行き交うための貿易港として大いに繁栄した。都市計画によって18世紀に生まれた旧市街地には石造り建築が整然と立ち並び、2007年にユネスコの世界遺産に登録された。2015年にはフランスで一番住みたい都市を尋ねる民間調査で第1位となるなど、現在、とても注目される都市である。
 筆者は2015年8月25日-31日、同市を訪れた。河岸を歩いていると、青く塗られた船体の帆船が接岸され、大勢の人たちが見学していた。あとで調べたところ、仏の侯爵ラファイエット(1757-1834)が米独立戦争を応援するために渡米する際に乗り込んだ帆船を、木造で復元したものだと分かった。パリで発行される日本語新聞『オヴニー』によると、非営利団体が1997年から他の港で復元プロジェクトを進めてきたそうで、偶然、河岸に寄港していたのだ。港町らしい風情を感じることができた。
 ボルドー市人口は約24万人。近郊のコミューンを含めた都市圏は約85万人。アキテーヌ地方圏の首府でもある※1。ボルドーといえば路面電車(トラム)。2003年に開業して以来、現在は3路線計約50キロまで延伸された。3路線は中心市街地で交差して乗り換えられ、近郊の住民や学生が都心に出てきやすい。このため目抜き通りのサント・カトリーヌ通りは平日でも大勢の人々が行き交う。コメディ広場に面した国立ボルドー歌劇場は「グラン・テアトル(大劇場)」の愛称で親しまれ、劇場前の階段はにぎわっている。地方都市というと、日本では商店街の「シャッター銀座」問題が指摘されているが、ミッテラン政権の1980年代から地方分権を進めてきた仏では地方都市の人口が増えて元気なのだ。
 
 
18世紀に建てられたグラン・テアトル(大劇場)の外観と、広場を走るトラムの姿 
ボルドー日本館
 にぎわう中心市街地の一角に日本館(LaMaison du Japon)がある。パリ14区の国際大学都市の留学生寮と同じ名前だけに訪れてみた。公的な施設のように映るが、2001年に開業した純粋民間施設である。1905年に改装された古い建物の地上1階と地下1階を借りており、地上1階は日本関連の雑貨店(200平方メートル)。陶磁器、着物、箸、食料品など約1000点が並ぶ。地下1階にはサロン(展示室)(30平方メートル)、日本語教室(32平方メートル)、日本料理教室(54平方メートル)の3室が備わっている。サロンでは、美術展のほか音楽会などの文化事業を開催でき、日本語教室も展覧会場に使える。
 日本人の進藤武則(1952年生まれ)が、仏人の妻フランソワとともに日本館を共同経営する。進藤は秋田県の生まれ、東京の大学を卒業した。学生時代は空手部に所属して鍛錬を重ね、卒業後の1976年、ボルドー大学に留学。学内空手クラブの指導を始めた。市内や近郊の道場に出向いて指導員を務め、一時は計5カ所の道場で教え、計1000人近くを指導したという。しかし夏のバカンスには道場が閉鎖されるので、年間を通じた安定収入を得ることは難しかった。そこで「1984年、日本料理店『相撲』」を開業した。パリ以外の本格的和食店は珍しく、仏人の客でにぎわった」と進藤は振り返る。20年近く経営したものの、体を壊して日本料理店を廃業。現在は日本館の経営に専念している。
 進藤はアキテーヌ日本人会会長でもある。1980年代後半の同会立ち上げ時から関わり、初代事務局長を務めた。1901年法に基づくアソシアシオン(非営利団体)であり、後述するように近年、日本の伝統工芸作家らのグループ展を主催した。
ボルドー日本館の外観。地下1階にサロンなどがある
日本文化の展覧会
 日本館の地下サロンは、日本文化の関係者に無償で会場提供され、年間8回程度、展覧会が開かれてきた。利用者は日本から渡仏した芸術家、アキテーヌ地方やボルドー在住の日本人、あるいは日本文化に関心のある仏人らである。写真展、墨絵展、書道展などが展開されてきた。2015年10月には津軽三味線の音楽会が実施された。
 愛知県豊田市小原地区(2005年まで小原村)在住の加納恒(1951年生まれ)と登茂美(1959年生まれ)夫妻はこれまで3度の展覧会を開いてきた。恒は陶芸家、登茂美は和紙の工芸家である。同夫妻が2000年に初めてパリで2人展を行った際、会場を訪れた仏人男性から「ボルドーに面白い日本人がいる」と告げられた。メールで進藤と連絡を取り合ううち、展覧会開催を勧められた。20人の仲間を募り2009年10月、日本館の地下で「和紙 伝統と現在」展を開催した。次いで2012年11月にはアキテーヌ日本人会主催の「日本文化 伝統と現在」に参加して、和紙、染織、書道などの工芸作家24人が出品した。同市の厚遇を得て、アキテーヌ博物館および同市の展示空間(キリスト教会を展示場に改装)の公立施設2カ所で開催された※2。日本館地下はワークショップの会場として活用した。その後、加納夫妻は2014年11月にも2人展を同館地下で開いている。
 加納恒は2012年展を振り返って「和紙文化への関心が高かった。用意したチラシ3000部はすべてなくなり、DMを急きょ配付したほど。3000人以上は来場した」と語った。そして「同じ作品を展示しても、パリとボルドーでは関心の持たれ方に違いがあり、仏国の重層性を痛感した」と打ち明けた。ボルドーとパリは好みも異なる。一国の首都だけでなく、地方都市でも国際文化交流と取り組む必要性を感じさせた。
 海外展は新たな刺激にもなったようだ。進藤は言う。「菊の花のデザインは日本では好まれる。しかし仏では墓場に持っていく花のイメージがあるので販売しにくい。日本からの輸出を考えるなら、海外事情をもっと知ってほしい」。同館にはそのような役割もある。
人々が行き交う中心市街地の目抜き通り(写真はすべて筆者撮影)
大学都市ボルドー
 ボルドーを歩いていると若者の姿をよく見かける。仏あるいは欧州各国からの観光客に加えて、地元に大学や高校教育機関が数多く立地しているからだ。ボルドー大学だけで約6万人の学生がいて北アフリカや東南アジアなど世界から集まっているという。「学都」に日本の大学も注目し、筑波大学は2013年、わが国で初めてボルドー大学の中に「ボルドー・オフィス」を新設した。副責任者の松倉千昭(1971年生まれ)は筑波大学生命環境科学研究科・遺伝子実験センター教授で、トマト栽培など園芸学の研究者である。以前、9カ月間ボルドー大学で研修をした経験があったことから、両大学が参画する共同学位プログラムの開設準備のために選ばれた。2015年4月に妻子を連れて赴任した。ボルドー大学はワインの本場らしく、園芸・醸造学に秀でているそうだ。「治安がよくて住みやすいまち。書店で都市の文化レベルが分かるというが、中心市街地にある老舗の大型書店『モラ』は個人経営としては全仏で一番大きく、書籍も充実している」と松倉は話した。
 筆者にとって初めての体験だった。路面電車(トラム)とまちづくり、歴史的建築物の保存と再生の試み、「グラン・テアトル(大劇場)」の存在、などを知ることができた。パリを見ているだけでは仏文化への理解が不十分であると痛感した。(敬称略)
※1)アキテーヌ地方は1154-1453年、英国領だったため、パリとは大いに異なる独特の歴史と風土を誇っている。
※2)地域を代表するアキテーヌ博物館、あるいは世界遺産の指定されている旧中心市街地の一角にある元教会を使えたのは、アソシアシオン(非営利団体)であるアキテーヌ日本人会が主催したからだという。「両会場とも人気で、数年先まで予約で埋まっている」(進藤)状態だが、ボルドー市の厚遇で借りることができた。ボルドー市と福岡市は2012年に姉妹都市締結30周年を迎えた。加納らのグループに福岡市出身者が1人加わっていたので厚遇を得られたと進藤は話していた。