建築家は、リージョンをもつ。
第5回
「リージョン」を「選ぶ」こと

黒野有一郎|一級建築士事務所 建築クロノ
  くろの・ゆういちろう|1967年、愛知県豊橋市生まれ。
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
1993年より野沢正光建築工房。「いわむらかずお絵本の丘美術館」「長池ネイチャーセンター」などを担当。
2003年、同事務所を退所し豊橋へ帰郷。
2004年、一級建築士事務所 建築クロノを設立。
2014年より豊橋技術科学大学建築・都市システム学系非常勤講師。
現在、「大豊協同組合」代表理事、アートイベント『sebone』実行委員長、駅前デザイン会議常務理事・事務局などを務める
 建築家は、地域へどのようにアプローチして、地域とどのようにかかわって行けるのか?
 地方都市・愛知県豊橋市の「まちなか」=駅前エリアと「水上ビル」における10年間の活動を、一例として紹介する。恩師・野沢正光氏の言葉=「リージョンをもつ」こと。「地域」における「新しい建築家像」とは? 本年度のJIA東海支部総会、本部総会に参加して、あらためて建築家の職能がいかに「地域=リージョン」にとって必要かを確認した。
2003年頃
 2003年は、僕が10年間、勤務した野沢正光建築工房を退所し、18年余りを過ごした東京を離れ、故郷の豊橋へ帰ることを決めた年である。後で知るのだが、この年、インターネットのブロードバンド化が急速に進んだ年であったとのこと。18年前、あらゆる「情報」は東京に集まっていて、そこにいれば全てを一同に見て、選ぶことができると思えた。しかし、インターネットは、その何倍、何十、何百倍もの情報が溢れていることを知らせてくれた。そうなると、もう「全てを見て選ぶ」ことにはあまり意味がなくなり、東京にいることの意味も少し薄れたと感じた。実務では、図面はCADデータ化され、メールでのやりとりにもストレスはない。建築関係の情報には、どこからでもアクセスできる。
 実生活では、両親のことも長男として気になり始めたし、一人娘を東京で育てるには、あまりに経済面の見通しが不安であった。なにより、「ホーム」として決めた「水上ビル」を見届ける役を引き受けなければいけないような、(勝手な)使命感も湧いてきていた。水上ビルの一角で、事務所と居住スペースの整備に取り掛かった。2003年は、そんな年であった。 
「ローカル」×「リージョン」
 野沢さんに「故郷に帰ります」と告げて、退所をお願いしたとき、数ヶ月程の保留期間はあったものの、受け入れていただいた。その際に、「君は、リージョンを持つことになるな」と言って、「地域に根ざすこと」が、「新しい建築家のあり方をつくっていくかも知れないな」と言っていただいた。
 彼自身は東京(下町)の出身で、その後、都内から郊外へと移り住んで「ホームタウン」というモノを持たないことを少し寂しげに語ることがあったので、このような言い方をされたのかも知れない。
 ただ、その言葉がこの10年間を支えている。当時の建築雑誌では、都会の狭小敷地に建てられた奇抜な住宅が取り上げられ、「作品性」ばかりに焦点があたっていた。彼自身も、そこに執心することのみが、これからの若い建築家のあるべき姿だとは思えなかったのだと思う。「地域」や「地方」で建築家ができることがあることは、野沢事務所の10年間で共有された思いだった。とにかく、これから「リージョンをもつ」のだと肝に命じた。
 あとで「リージョン」という言葉が気になって、なぜ、「ローカル」と言わなかったのだろうか?と思ったが、その答えは聞かなかった。「リージョン・region」という言葉は、最近では耳にするようになったが、「ローカル・local」よりも広域な範囲を表すようで、建築家の活動が幅広いエリアに及ぶと考えると「リージョン」でよいのかも知れない。ただ、「地方」のことは、一般的には「ローカル」と呼び、“田舎”的ニュアンスも(現代語では)含んでしまう。彼があえて、「リージョン」と言ったのは、おそらく「地方への敬意」なのでは、と勝手に理解した。 
地域で生きることを「選ぶ」
 連載の第1回冒頭に、「僕自身が“ホーム”に選んだ~」と書いた。東京から戻って、捨ててきたモノは明らかだが、代わりに獲得したモノは徐々にしか明らかにならない。「選んだ」と思うことは、自分を奮い立たせるのに必要な表現だと思った。
 僕らの世代は、バブル世代の最後尾で、都会に出た多くの友人たちはそのまま都会に住んで、都会の企業に就職した。その後、日本各地のみならず海外へ赴任する者も多かったが、故郷に戻ることは、いわゆる「都落ち」ともとられかねない雰囲気があった。実際、僕が故郷に帰って意欲的に活動している姿をみて、「はじめは、ネガティブなイメージだったけど、クロノくんが元気でいるのを見ると、それもありかもと思えてきた」と言う友人もいた。
 JIA東海支部総会における辺見美津男先生(JIA副会長・東北支部長)の「福島のいま」と題された記念講演では、「地域」で活動する建築家の姿を提示していただいた。福島での実践をお聞きして、これまでの自らの活動が(辺見先生に比して微々たるモノではあるが、)間違ってはいないと追認するような心持ちであった。
 辺見先生は、福島復興の取り組みにおける、仮設住宅へのさまざまな工夫について触れ、従来のシステムや災害復興プログラムが、“かえって地域の立ち上がる力をそいでいるのではないか?”と疑問を呈し、“有事の際の建築家のスキルと
は?”と問うた。具体的には、「他分野への造詣」、「福祉・景観・経済などバランスの良い視座」、「豊かな縮小・減少への対応」という言葉を並べて、「建築家ほど有用なスキルを持っている職業はない」とおっしゃって、今後、「建築家のスキルに対する社会的ニーズは必ず高まる」とした。
 2000年代初頭より「地方分権」と言われて、徐々に「潮目」は変わってきていると感じたが、この10年間で「地域」や「地方」にかかわりたいとする人がずいぶんと増えたと思う。実際に多くの優れた人材が豊橋にも戻ってきているし、見渡せば、地元にいた人の中にも、「この地域をおもしろくしたい」と思いを同じくする人はずいぶんと増えている。
 2011年の東日本大震災とそれに伴う福島での原発事故は、「地域や地方に目を向けること」に拍車をかける大きな契機となった。ある人は東北へ向かい、ある人は関東圏を離れる契機としたように。 能動的に「選んだ」としても、受動的に「選ばざるを得なかった」としても、地域に根ざすことを「選ぶ」ことが、「地域」や「地方」をおもしろくするはずである。そこにはやはり「建築家」が必要だと思う。
 芦原会長は、本年度本部総会において、「ファシリテーター(調停者)としての建築家」とおっしゃって、建築家のスキル=職能の有用性について述べられた。
 急速な人口減少・超高齢化を待ち受ける日本の社会は、世界最先端の社会構成をもつ世界最新のマーケットである。従来の社会の仕組みやルール、法体系、組織など、あらゆるものをどのように変革し、持続して行くのか、日本のやり方を世界が注目するだろう。建築家の見識と職能は、この変革期を支えなければならない。おそらく、一般解は存在せず、中央が制御できないところに答えがある。建築家が各々、リージョンを選んで、そこで活動を始めなければ、とても対処はできない。
 次回、最終回に向けて、現在進めている活動や今後の展望についてまとめさせていただきたいと思う。また、野沢正光氏とお会いする機会を得て、「地域における建築家像」について、現在のお考えやご意見をうかがうことができれば、と考えている。    
 
 芦原会長の挨拶 2015/6/25 本部通常総会(写真提供:西村和哉氏)
 
辺見美津男先生の記念講演 2015/5/8 東海支部通常総会(写真提供:牧ヒデアキ氏)
「fratto」2015年春夏号 特集「まちをつくる仕事」=東海エリアで発行されている情報誌( ㈱プライズメント発行)   
     
表紙   記事:「物語をはじめる人」として[浜松][岡崎][豊橋]の3組を紹介 掲載写真:水上ビルの自宅リフォーム
(撮影:朝野耕史)