保存情報 第165回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 羽島市庁舎   谷 進|タクト建築工房
東南アプローチからの外観 親水池 竣工写真 給湯室囲い壁
■発掘者コメント 
 昭和29(1954)年4月市町村合併により羽島市が誕生し、市政5周年を記念してこの羽島市庁舎は建設された。地元羽島市(旧竹ケ鼻町)の醸造元、坂倉家の四男である坂倉準三の設計による。生家は今も「千代菊」の屋号で酒店を営む。市内では他に羽島市民会館と市庁舎に隣接する羽島市勤労青少年ホームの二つの建物、さらに都市計画「羽島市計画案」を坂倉準三は手がけている。
 竣工時は1 ~ 2階に市庁舎、3階に市立図書館、4階に議場と公民館が設けられていたという。3階、4階へと続くスロープは本体と分離して池に跳ね出すように自立し、奥の消防用望楼の垂直線とあいまって躍動感を覚える。はつらつとした構造美は時代性ともいえよう。昭和35(1960)年、日本建築学会作品賞を受賞。平成15(2003)年、DOCOMOMO100選に選定されている。コンクリート面の劣化は見られるものの、外観に大きな改変はなく竣工当時の状態は維持されている。建物の周囲には池が巡らされており、1階室内からデッキへ出ると親水空間が眺められる。庁内に掲載の竣工写真には、この池とつながるように庁舎周辺に蓮の田が広がっていた様子が写っている。建物最上階の円弧を切り取ったようなアール屋根、4階講堂脇の湯沸室の囲いなど、各所に奔放な意匠が見られる。当時の坂倉準三建築研究所では家具のデザインも盛んに手がけられており、ここ羽島市庁舎にも当時製作されたという家具が数点、今も残されている。
 見学者が多いとのことで管財課による見学案内の態勢もあり、建物に対する理解は充分に得られているが、耐震強度およびバリアフリーなどに懸念があり、市民や建物管理者の評価には厳しいものがあるという。
  所 在 地:岐阜県羽島市竹鼻町55番地
所 有 者:羽島市
建設年代:昭和34(1959)年
構造・規模:鉄筋コンクリ―ト造地上4階建および
      望楼、最高部軒高19.5m、望楼高30m
延床面積:4625.7㎡
設 計 者:坂倉準三/
      坂倉準三建築研究所
施 工 者:清水建設㈱
      名古屋支店
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 本町通(橘町界隈)   福田一豊|福田建築事務所
   
大木戸跡を示す街路灯モニュメント 仏壇・仏具屋の看板が並ぶ通り 有限会社柏彌紙店の正面外観
■発掘者コメント 
 橘町は寛文4(1664)年、尾張第2代藩主光友が古今集から命名して生まれた町です。処刑場を移転、千本松原を整理し寺町をつくりました。古道具・古着などの商いに専売権を与える特権を得、また芝居の興行権も与えられ、町が芝居小屋を経営する珍しいケースでした。本町通には店が並び、名古屋城と熱田神宮を結ぶルートの礎が築かれ美濃路や東海道とつながることになります。また城下の南端に位置することや、防衛上の必要から大木戸が設けられていましたが(※1)、明治5(1872)年に取り壊され、現在は街路灯を兼ねたモニュメントで復活しています。
 第7代藩主徳川宗春は享保15(1730)年に常芝居を許可するとともに、遊郭を公許し、この町は一段と活気をおび本町通には食料品店も立ち並びました。しかし宗春幽閉後の元文元(1736)年に縮小や廃止がなされ、芝居は享和元(1801)年6月に復活しますが、明治24(1873)年の濃尾大震災で壊滅的な被害を受け橘町の芝居の伝統は消えることになりました。
 明治維新後は特権を失い、この町の古道具屋は衰退していきますが、古道具や古鉄の知識を生かし仏壇・仏具商のまちに発展し、現在も門前町交差点の北側は小売り、南側は卸売りに分かれて軒を連ねています。
 昭和12(1937)年、本町通の拡幅がなされ、防火のため黒漆喰塗などの木造建築を中心に独特の街並みが形成されましたが、その建物の一つにJIAの法人協力会員である㈲柏彌紙店の建物(※2)があり、現在も和紙を中心に商いが続けられています。
※1 東には赤塚(東区)、西は樽屋町(西区)にも設けられました。
※2 明治40(1907)年頃建設、昭和16年曳家(名古屋市の登録地域建造物資産)
参考資料:『 橘町』昭和9年12月5日発行 発行所 橘町
奉公團
『(財)名古屋瑞龍工芸技術保存振興会 所有資料集』平成16年11月16日発行
所在地: 名古屋市中区橘町1丁目・2丁、門前町、上前津1丁目
アクセス: 名古屋地下鉄名城線・鶴舞線「上前津」駅3、4番出口下車、徒歩10分