保存情報 第164回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 名古屋商工会議所ビルディング   谷口 元
南側正面 側面詳細  エントランスロビー
■発掘者コメント 
 旧愛知県美術館や丸栄百貨店など、モダニズム建築の新鮮な美しさに感化された自分が建築学科に進み、初学生対象の建築学序論の講義で柳澤忠先生から渡された「見ておくべき建築リスト」の中にこの建物がありました。近くの圓堂政嘉の山口銀行も良かったですが、このビルの端正な外壁の姿が印象的でした。その頃は外観とエントランスのみの見学でしたが、統一されたモデュールで構築された外壁のPCパネル(ショックベトン:ベイジュの花崗岩、小叩き仕上げ)、大理石貼りのエントランス前庭、F.L.ライトを彷彿するホールの天井照明が印象的でした。
 1990年代に入りBCS建築賞のその後を取材する機会があり、建築主が建物の維持管理に努めている姿勢に感銘を受け、価値を再認識しました。今回も寄稿を機会に再訪したところ、BELCA発行の『オフィスビルの戦略的な改修企画』の書籍に、「メンテナンスを重視した設計がなされている長寿命ビル」として掲載されていることを知りました。熱源、空調・給排水衛生設備、OA化対応、内外装の手入れなどを継続されています。材料も現在では入手できない味わいのあるものばかりです。建物の管理やテナント募集を担う若き担当者からは、バランスの良い構造計画で現在の耐震基準を満たし、白川公園の緑濃い景観が楽しめるビルとして、誇りに思っていることを聞かされました。
 この時代のビルが次々と喪われている現在、単なる建築保存で懐かしさを偲ぶだけでなく、継続的な活用策を探ることが、専門家としてのわれわれに求められていると思います。 
所 在 地:名古屋市中区栄2-10-19 
建 設 年:昭和42(1967)年 大規模改修年:平成8(1996)年 
敷地面積:2,804㎡ 建築面積:2,192㎡ 延床面積:25,565㎡ 
構造・規模:SRC造、地下2階、地上11階、塔屋3階、軒高41m、最高高さ53m 
設 計 者:日建設計工務(現: 日建設計) 
施 工 者:大林組、竹中工務店 
参考資料:建築業協会編、谷口元(分担執筆)『BCS建築賞受賞作品ガイドブック』新建築社、pp.74,1993/ 建築・設備維持保全推進協会編『オフィスビルの戦略的な改修企画』pp.136-139,2008
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 圓福寺観音堂   山上 薫|山上建築設計
   
山門 観音堂  『尾張名所図会 南西からの全景(図会と同じ方向より)
■発掘者コメント 
 圓福寺は、春日井市高蔵寺ニュータウンの藤山台西端部にある。神仏混交の明治初めまでは、山の斜面に圓福寺と上の白山神社が一つのものとして祀られていた。1964年ニュータウンの造成工事が始まり、周辺は区画整理が進んで様相が一変してしまったが、圓福寺と白山神社の敷地だけは手つかずで残された。そのため2万平方メートルの敷地は、ニュータウンにあって貴重な、緑豊かな小山として残ることになった。
 養老7(732)年開創と伝えられる古刹で、1270年あまりの歴史を持ち鎌倉、室町時代には七堂伽藍、麓には十二坊を構えたといわれる。観音堂に端を発し、それに付属した寺院として成立したものと思われる。天正年間(1573 ~ 1592)の火災により多くが焼失したらしい。
 観音堂は、山の上部、白山神社の下にある。明暦3(1657)年の棟札銘がある。寺の記録によれば、長年の間にたびたび修理、改造が行われてきたが、直近では昭和55(1980)年に修復工事が完了した。構造は単層1間向拝付、桁行3間、梁間4間、銅版葺き(修理前は桟瓦葺き)、寄棟造りで、優美な姿を見せている。春日井市にある近世初頭寺院建築の代表とされる。
 ニュータウンができるまでは『尾張名所図会』[明治13(1880)年発行]の木版の挿絵に見えるそれとあまり変わらぬ姿をとどめていたと『圓福寺遺芳』に記されている。現在、白山神社は正月の初詣でには多くの人が訪れ、行列ができるほどにぎわっている。長く春日井市熊野町にある密蔵院(多宝塔は重要文化財)の末寺であったが、現在は天台宗別格本山で、比叡山延暦寺末寺となっている。 
 
所在地:春日井市白山町9-1-10
構 造:木造平屋
建設年:明暦3(1657)年
指 定:春日井市指定文化財  昭和51(1976)年3月19日
参考資料:『春日井市史』発行-春日井市、昭和38(1963)年11月発行
『圓福寺遺芳』監修者- 小島廣次、長 正統・編者- 太田正弘、昭和59年3月発行