建築家は、リージョンをもつ。
第4回
「お店をつくろう!~小さなまちづくりプロジェクト~」

黒野有一郎|一級建築士事務所 建築クロノ
  くろの・ゆういちろう|1967年、愛知県豊橋市生まれ。
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
1993年より野沢正光建築工房。「いわむらかずお絵本の丘美術館」「長池ネイチャーセンター」などを担当。
2003年、同事務所を退所し豊橋へ帰郷。
2004年、一級建築士事務所 建築クロノを設立。
2014年より豊橋技術科学大学建築・都市システム学系非常勤講師。
現在、「大豊協同組合」代表理事、アートイベント『sebone』実行委員長、駅前デザイン会議常務理事・事務局などを務める
 建築家は、地域へどのようにアプローチして、地域とどのようにかかわっていけるのか?
 地方都市・愛知県豊橋市の「まちなか」=駅前エリアと「水上ビル」における10年間の活動を、一例として紹介する。第3回で紹介したアートイベント「sebone(せぼね)」での企画、“まちなかの小学校”向けワークショップ「お店をつくろう!~小さなまちづくりプロジェクト~」と、その端緒となった体験について書く。
小学生が「地域を知る」ためのワークショップ
 2004年(平成16年)にスタートしたアートイベント「sebone」については、前回(4月号)で触れた。その中で、僕自身がかかわってきた小学生に向けたワークショップ企画がある。「お店をつくろう!~小さなまちづくりプロジェクト」という。その趣旨として展示会場に以下のように掲げている。『お店をつくろう!~ちいさなまちづくりプロジェクト~』展は――都市型アートイベント『sebone(せぼね)』の連携企画として(中略)、水上ビルを校区にもつ2つの“まちなか”の小学校、松山小、新川小の1年~6年生の全校生徒を対象に作品依頼をし、工作の授業や夏休みのワークショップも行っています。“まちなか”のこどもたちに、“まち”のことをもっと「知ってほしい」、「考えてほしい」というのが、この企画の思いです。ひとつの「お店」が、“まち”の個性をつくり、“通り”の風景をつくっています。みんながつくった「お店」が、この「ちいさなまち」をつくっています。“まちなか”に育ったという経験は、こどもたちの財産です。将来、この子たちが豊橋、あるいはそのほかの都市に暮らして、まちづくりや地域社会に関わるとき、この経験がその“まち”を元気にさせるかも知れません。『お店をつくろう!~』は、今後も地域の小学校と連携して、“まちづくり”の小さなタネをまきつづけていきたいと思っています。
 小学生の作品として、「sebone」に展示されたことが発端であったが、もっと面白い展示ができると思い、翌年から引き受けることになった。まず、まちなかの2つの小学校を対象とした。そのひとつは僕の母校でもあり、このときはまだ幼稚園生だったが、娘もいずれこの小学校に上がることになる。
 全校生徒が対象で、出展数は500点、1~3年生は絵画、4年生以上は工作で、学年ごとにテーマを設けている。まちなかの小学生だから、家業がお店だったり、おじいちゃんが商売をしていたり、通学路が商店街だったりする環境である。
 まずは、自分なりのお店をつくり、その作品を並べることで、街区や通りが形成されて「小さなまち」ができる。展示会場に行くと、ひとつひとつのお店が、「通り」や「まちの風景」をつくっていることに気付くというわけである。観覧する人は「通りを歩く」ことになる。
 昨今、小学生に向けての地域イベントは数多く、地引き網や田植えなどの体験や工場見学など、多くの大人たちが地域の小学校にかかわってくれている。ただ、きちんと「地元」や「自分の育った環境」を知るための企画は意外と少ない。そこで、僕が育ち、娘がこれから育ってゆく「まちなか」という環境のことをまちなかの子どもたちに知ってほしいと思った。
 今年で10年。初回参加の生徒は、もう二十歳を超えており、娘もすでに中学生になった。蒔いた(ハズの)タネはどこかで芽吹いてくれているだろうか?   
 
チラシ:毎年、新学期が始まると小学校にあいさつに伺い、全校生徒向けにチラシを配布してもらう 
   
リーフレット:学年ごとにお店のテーマを設定し絵や工作でつくってもらう  表彰式:アート賞、建築賞など各賞の審査を担当するアーティスト、建築家、商店街、seboneメンバーが、講評し表彰。各賞に順位はなく、それぞれの視点で個性的な作品を選ぶ 
 
絵画作品は、鮮やかに壁を飾り、工作作品が、街区を形成する 絵画作品は、鮮やかに壁を飾り、工作作品が、街区を形成するバスや路面電車が走り、観覧する人は道路を通るように、「小さなまち」を歩く 
里山物語~今森光彦さんとの出会い~
 このワークショップの端緒となる体験がある。野沢正光建築工房の所員時代、栃木県で絵本作家・いわむらかずおさんの美術館の設計担当となった。那珂川を眼下に望む丘陵地が建設地であったが、もともとは桑畑で、周囲は雑木林や田んぼに囲まれた自然豊かな場所であった。美術館建設をPRするため、出版関係の方々の旗振りで「プレイベント」が企画された。主に写真家や、動植物の研究者などがレクチャーしながら、フィールドワークをしたり、巣箱づくりなどのワークショップを行った。
 写真家の今森光彦さんとお会いしたのも、そこでのことだった。代表作となる『里山物語』(新潮社)が「木村伊兵衛賞」を受賞した頃だったと思う。大津郊外・琵琶湖の西岸に広がる棚田や雑木林、それを取り巻く自然とそこに暮らす人や動物、昆虫などが、美しく切り取られた写真集である。その後の「里山ブーム」の発端となり、「里山」という言葉の誕生はここからではないか思う。
 今森さんの回は、子どもたちと昆虫を捕まえながら計画地を歩いて、その昆虫について今森さんが解説するというもので、参加した子どもたちの半分は東京方面から、半分は栃木近県からだった。どんな昆虫が示されても、名称のみならず、その生態や生息域についても詳しく解説された今森さんの昆虫の知識の深さには驚かされたが、もっと驚いたのは、地元の子どもたちが地元のことを全然知らないことであった。昆虫に触れない子もいた。こんなに豊かな自然が周りにあるのに、実にもったいないことだとも思った。
 1996年頃、20年近く前のことである。阪神・淡路震災以後、自分の周りのことやコミュニティや地域の大切さなどが改めて見直され、それまでの社会のあり方から少しずつ変化しはじめた時期であったかもしれない。この敷地も、バブル時代のゴルフ開発が及ぶことのなかった残された自然環境が、いわむらさんの描く物語のフィールドと同調するということで、ようやく探し当てた場所であった。
 このときの、“子どもたちが自分の育った環境のことを知らない(知らされていない)”という体験と気付きが、豊橋への帰郷、「お店~」ワークショップへとつながっていると感じている。
新川3丁目」「松山4丁目」と学校、学年で町名番地が表される
MY HOME TOWN
 今森さんは、大津市内在住で、琵琶湖西岸の雑木林の中にアトリエを構え、ここを「ホームグラウンド」として、創作活動をしながら、琵琶湖周辺の水郷集落の寄り合いにも足を運んで、まち(むら)づくりに参加し、さらに、自分のフィールドを守るために雑木林を購入するという“一人ナチュラルトラスト”のようなことまで行っていた。その一方で、海外に赴き、アフリカの昆虫やパリの博物標本のお店の撮影をするなど精力的に活動されていた。最近では、「切り絵作家」としての才能も発揮し、里山の暮らしについての著作もある。実にマルチな活躍ぶりである。
 片足はしっかりと地元に置き、もう片足は軽やかに自由に踏み出していく。写真家と建築家のスタンスは違うかも知れないが、羨ましいと思った。
 今森さんのように「ホームグラウンド」を持ちたい、僕にとっての「ホーム」はどこか?と考えたとき、当時の僕には、生まれ育った豊橋の「まちなか」のほか思い当らなかった。
 「君は、リージョンを持つことになるな」。この数年後に野沢事務所を退所する折、この言葉が、故郷へ帰ることを決めた僕を送り出してくれた。