保存情報 第162回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) JR高山駅  中澤賢一|堀内建築研究所
外観(2014年) 改札口(2014年) 昭和9年の外観(駅構内に掲示)
■発掘者コメント 
 高山駅は昭和9(1934)年10月25日、高山本線開通に合わせて建設され、以来80年にわたって飛騨の玄関口として多くの人々を迎え入れてきましたが、惜しまれつつも2015年2月に取り壊されました。その駅舎は一見、鉄筋コンクリート造にも見える外観ですが、木造大壁造りで県内最大の木造駅舎でした。高山は私が設計業務を始めた13年前から毎年20 ~ 30回通い続け、常にこの駅舎に迎えられてきました。改札は最後まで駅員さんによるもぎりで、毎回挨拶を交わして出入りしたものです。また、厳寒期には高天井の広々とした待合に様々な人々が集い、暖かな雰囲気にあふれていました。隣り合わせた国際色豊かな観光客同士が語らっていたり、近所のご老人が足休めに休憩していたり、電車で下校する学生が協力し合って宿題をしていたり…。そんな、人の顔がよく見える駅舎であった印象ですが、新駅舎は内藤廣氏の設計により2016年秋の完成を目指しているそうです。
 ところで、内藤さんは私が最も敬愛する建築家。愛着のある駅舎の解体はとても残念でしたが、設計が内藤さんであれば、新しい高山駅の歴史を紡ぐにふさわしい新駅舎となるに違いないと期待していますし、その空間を体験できる日が待ち遠しい限りです。しかし、建て替えには強い反対の意見もあり、解体まで市民有志の組織が発足して意見交換会の主催や、署名活動などが行われました。以下、主宰者のことば「新しい高山駅舎は、神奈川県横浜市の内藤廣さんという方が設計してくださるそうで、有名な建築家らしいが、それを知って喜ぶ人が地元にどれほどいるのか」…根深い課題です。
所在地:岐阜県高山市昭和町1-22-2
高山駅周辺土地区画整理事業の詳細は基盤整備部 駅周辺整備課TEL 0577-35-3180
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 後藤邸  三井富雄|モモアーキテクツ
 
東海道側外観 表坪庭 正面6帖  割竹の化粧軒裏 延焼防止外壁軒裏(現在鉄板で覆う)
■発掘者のコメント
 後藤邸は見れば見るほど「魅力」を秘めた味わい深い住宅である。匠のきめ細かな設計、技術、そして心を込めた作品であると感じる。
 旧東海道に面しているが、商家ではなく、井桁屋・服部家六代目当主孫兵衛が、粋な叔母の隠居のために明治末期に建てたと伝わる住まいである。1949(昭和24)年住み継いだ後藤家の先代善三氏、当代寅二郎氏が建物を大切に使ってきたおかげで一部を除き、表庭も含め原形をほぼ保っている。静かで控えめな佇まいの建物は大別して三つの魅力を持っている。
 第一に建物は住まいの主(あるじ)にふさわしくつくられている。茶室が計三つ(茶室一つと織部床を持つ次の間、六畳間)あり、水屋が通路と納戸も兼ねて、これらの茶室を裏で支えている。ここに尾張久田流家元の指導を受けた叔母の交際の広さと粋な生活がうかがえるのである。
 第二に機能をふまえながら、数寄屋風意匠で統一されたデザインの巧みさである。主屋は使いやすい動線を持ち、漆喰の外壁や軒裏で延焼防止を図ると共に、低い茶室周りは化粧軒裏、床下換気口共割竹でデザインしている。繊細で美しい建具、竹や木の扱い、視線や採光への配慮など枚挙に暇(いとま)がない。
 第三は匠の数々の素晴らしい工夫と実に良い仕事がされていることである。下地窓、欄間、建具の組子など、恐らく井桁屋と同じ職人の手によるものであろう。
 主屋と「から廊下」で繋がる昔の雪隠には便器(呉須)がない。大便器は明治村に展示され、小便器は近年親戚の家で発見された。これらもいつかは元に戻り、保存・活用され、建物が末永く愛されることを願っている。  
 

所在地:名古屋市緑区有松3011
交  通:名鉄本線 有松駅より徒歩6分
建築年:明治末期(推定) 
構造規模:木造ツシ2階建て、瓦葺き
※催事のとき以外は原則非公開 
巾木換気口