保存情報 第161回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 望月家住宅  冨田正行|エム・プロダクツ
南より主屋、釜屋を見る 主屋「おおえ」から「おでえ」を見る。「田の字」形式間取り
■発掘者コメント 
 概要:釜屋建て民家が公開されているのは、愛知県下ではここ望月家と新城市桜淵公園内展示場の2カ所のみ。豊川流域、天竜川流域に分布する全国的にも珍しい分棟型民家(釜屋形式)。望月家住宅は現存する同種の建物としては一番古い建物で原型をよく留めている例で、日本昔話に出てくるような懐かしい日本の原風景の様相を醸している。
 由来:当家は武田氏の家臣で長篠の合戦に敗れたあと、長野県望月町に帰らず現地に土着したのが先祖と伝えられる。初代の四郎左衛門は望月の城主三郎の弟とも伝えられており、代々四郎左衛門を世襲し現在で十四代目を数える。江戸時代は薬問屋を営み、明治には木挽をしていたとも伝えられる。
 間取り:建物は平入り主屋(おもや)と妻入り釜屋(かまや)がT字形に直交するように約1間(1.8m)離して、釜屋の部分が東北の角で60cmほどずれている。
 理由は、あえて不完全なものとして、邪悪なものが近づかないようにしているのではないかとの説があるが、私的には、2棟の接する部分は「にわ」の上にあたり、ここから落ちる雨を受けるために丸太を割ってくりぬいた樋をかけ、表側に落とすための勾配、雨量確保のためと思う。
所在地:愛知県新城市黒田字高縄手7
形 式:分棟型民家(釜屋形式)
規 模:桁行5間・梁間3間
年 代:18世紀後半、元禄2年(1689)頃の建物とも伝えられる
国指定重要文化財
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 沼津御用邸 西附属邸  谷村 茂| R&S 設計工房
 
当時の御用邸としては初の洋風建築 西附属邸 玄関電気コンセント 沼津垣
■発掘者のコメント
 沼津御用邸は明治26(1893)年に造営され、明治・大正・昭和の三代にわたり昭和天皇をはじめ、多くの皇族方に利用されてきましたが、昭和44(1969)年に廃止されて沼津市に無償貸与され、現在は沼津御用邸記念公園として市民に開放されています。
 本来、御用邸は本邸、西附属邸、そして東附属邸とで構成されていましたが、本邸は昭和20(1945)年7月の沼津大空襲によって焼失し、その後は西附属邸が本邸の役目を果たしてきました。施設はかなり老朽化していましたので何回かの再整備の結果、素材やデザインは可能な限り原型に忠実に再現されています。
 屋根瓦には菊の御紋が入り、窓ガラスは日本では入手できないため、ドイツから輸入されているそうで、床に設置されている照明器具用コンセントも時代が感じられます。廊下、居室で使用されている釘隠しなどの飾り金具もいろいろなデザインのものが使用され、一見の価値があります。また、浜風を防ぐためにつくられている沼津垣は、細い篠竹を十数本ずつ束ねて網代編みにして繊細な趣が感じられます。
  所在地:静岡県沼津市下香貫島郷2802-1 JR沼津駅より伊豆箱根バスで約15分
建設年:明治26(1893)年
構造・規模:木造平屋建て1,270㎡
設計者:片山東熊(宮内省)
公開状況:年中無休(12月29日~1月1日は休園)
所有者・問い合わせ先:沼津市
参考資料:沼津市産業振興部観光交流課WEB、沼津御用邸記念公園パンフレット