保存情報 第160回
登録有形文化財 朝日町資料館(旧朝日町役場)  林 廣伸|林廣伸建築事務所
正面全景。車寄は移設、下屋は増築 執務室南外観。胴差に一筋跡がみられ当初の窓内法が判る 一階内部。執務室では補強柱が林立するが、耐震要素とはなっていない
■紹介者コメント
 朝日町は中心部を旧東海道が貫き、四日市・桑名両宿の間の宿で焼き蛤を売る茶屋もあったようだ。現状の街区はこの東海道沿いに並ぶ縄生(なお)、小向(おぶけ)、柿、埋縄(うずなわ)などの字からなる旧街区と、北西部の丘陵地における宅地造成により生まれた新街区からなっている。
 朝日資料館は大正5(1916)年に朝日村役場として建設された。昭和37(1962)年まで町役場として使用され、その後公民館を経て、現在は資料館として利用されている。この間役場時代はもちろんのこと公民館、資料館への用途変更に伴い、そのつど改変を加えている。
 敷地は旧街道から少し南下したところにあり、建物は西(南西)面して建つ木造二階建てである。建物の祖形は、平面形が桁行七間半、梁間四間の総二階建てで、一階では正面に切妻桟瓦葺の車寄が取り付き、背面側で二間幅の押入を突出させている。
 外壁は下見板張ペンキ塗。外部建具は一部アルミサッシュに改修されているが、当初は引違硝子窓で、雨戸を建てていた。屋根は寄棟造桟瓦葺である。
 内部は、一階では過半を執務室とし、階段に通じる廊下を挟み村長室と宿直室を配する。執務室の現状は、板敷の床切り下げに伴い、東・南面の硝子窓を八寸ほど下げている。この改修は町役場時代の座式から椅子式への変化に伴う改修ではなかろうか。ちなみに天井は踏上天井で、当初の天井高は約八尺である。
 二階は議場、会議室と倉庫で、全域棹縁天井、天井高は約七尺と低く、会議室の現状が畳敷であることからみて座式だっただろうか。
 このように朝日町資料館は、小屋組にトラスを用いているものの和風の要素を色濃く残しており、同年建築の旧明村役場(201206 既報)と好一対をなしている。
所在地:三重県三重郡朝日町大字小向
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登録番号:24-0023
年代:大正5(1916)年
アクセス:近鉄「伊勢朝日」下車、徒歩5分
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 明治用水旧堰堤(えんてい)  鈴木祥司|アトリエ祥建築設計
 
全景    
   
丁寧なつくりの石積み 排砂門と船通閘門 当時の面影(現地の説明看板にあった写真)
 愛知県豊田市にある矢作川中流に明治用水堰堤があり、その水頭首工の上流におよそ100年前の旧堰堤が残っている。左岸に幅3m、長さ30mほどの水路のような石張りの船通閘門と川の中央に向かって石張りの排砂門5門跡、右岸川面に幅10m、長さ80mほどの堤防が浮かんでいる。昭和33(1958)年に新頭首工が完成し、この旧堰堤は取り壊しされたが堅牢なため壊しきれず現在に残っている。
 明治用水は江戸末期、都築弥厚が計画したことに始まり、伊与田八郎、岡本兵松らによって受け継がれ明治14(1880)年初代堰堤は出来上がった。前述の旧堰堤は2代目堰堤で人造石(長七たたき)発明者の服部長七によって明治34(1901)年に筏通し、放水門2門、排砂門5門がつくられ、船通閘門は明治39(1906)年完成した。陸上交通が発達するまで、矢作川は物資輸送の大動脈で海産物・薪炭・木材などが船や筏で運ばれ、船通しを通過するのに時間がかかるので旅館・店舗もでき賑わいをみせた。この頭首工は人造石による大規模な堰堤の現存する唯一の例として平成19(2007)年「土木学会選奨土木遺産」に認定された。
 服部長七の「長七たたき」と呼ぶ人造石による建造物は愛知県をはじめ全国各地につくられおり、彼は明治用水の各所、愛知県岡崎町夫婦橋、名古屋市庄内用水元杁樋門、名古屋築港、四日市港の潮吹き防波堤、広島県宇品新開・築港(現広島港)などを手がけた。
 「長七たたき」の技法はセメント、コンクリートの発達により採用がなくなったが、非常に堅牢で耐久性があることから、カンボジアの世界遺産であるアンコール遺産の日本チーム修復工事に採用された。エコロジカルなこの工法を見直したいものである。
所在地:愛知県豊田市室町7丁目(矢作川河川内、明治
用水新堰堤北)
年代:明治39(1906)年完成
アクセス:愛知環状鉄道・三河豊田
駅下車、バス「豊田記念病院行き」平
和町下車、徒歩15分