保存情報 第159回 | |||
登録有形文化財 | 伊賀焼の郷 長谷園 | 山田正博|建築計画工房 | |
旧登り窯 | 旧事務所「大正館」 | 「大正館」内部 | 「大正館」内部長谷園HP より一部抜粋 |
■紹介者コメント 伊賀焼の郷を訪ねた。古くから多くの窯元がある。その一つ長谷園の旧登り窯・旧事務所「大正館」が、平成23(2011)年、登録有形文化財に登録された。旧登り窯は天保3(1832)年の創業時から昭和40 年代まで稼働していた。この大きさ(全長34m・16連房)の窯は、現存している登り窯で日本ではここだけといわれている。この16連の窯を焚きあげるには、15 ~ 20日間を要したとのこと。まずはその長大な姿に圧倒される。大正館は10年前まで事務所として使用されてきた。大きく窓を開けた開放的な事務所で、大正ロマンを漂わせる空間が残されている。現在は来訪者の休憩コーナーとして開放されており、珈琲を愉しむこともできる。 平成26(2014)年11月には、新たに12件が登録有形文化財に追加された。風格を備えた茅葺きの 主屋、もと隠居部屋で洋間の付いた別荘、客間の離れ、蔵・門・塀などの住宅部分。そのほかに陶器の製作にかかわる施設が残されている。絵付けや土いじりのできる体験工房は、大正館の南にあり、長い平屋建てでキングポストトラスの小屋組に大正期らしさが見られる。主屋東隣の第一展示場では、さまざまな器が並び直売されている。第二展示場には、伊賀の作家モノが、第三展示場には、鍋の館として多種の土鍋が展示されている。二階は資料館となっている。 この地域は、太古には琵琶湖の底で、堆積した土の中に炭化した植物を多く含む。これから型どり焼成すると、多孔質の器となり耐火性が上がる。熱を蓄えてから、じっくり芯まで伝えるので料理が美味しく仕上がる。わが家では、用・美・楽を求めてつくられた長谷園の土鍋が、冬には毎晩のように食卓の中心に座っている。ご飯炊用の土鍋「かまどさん」も永年重宝に使い続けている。陶芸・料理に一家言ある方にぜひにとお奨めする。 |
長谷製陶株式会社 所在地:三重県伊賀市丸柱569 登録番号:旧事務所 大正館 24-0118 旧登り窯 24-0119 その他 不明 |
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データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 三輪邦夫| RE 建築設計 | ||
■発掘者のコメント 江戸時代に、江戸の防衛を目的として各街道の要所に関所が設けられた。新居関所は関所の建物として現存する唯一の建物といわれ、舞坂宿と新居宿の間に位置している。 資料によれば、慶長5(1600)年の創設、元禄年間の津波により移転、宝永4(1707)年の地震により建物が全壊、翌年に現在地に移転。現在残る建物は、幕末の嘉永7(1854)年の大地震により大破、安政5(1858)年までに再建された建物で、「面番所」、その東北に「書院」、西北に「同心・下改勝手」がある。江戸時代にはそのほかに「番頭勝手」「台所」「女改長屋」「船会所」「土蔵」などがあり、西には大御門があった、それより西には新居宿が広がっていたと伝えられている。 関所の中心的建物である「面番所」は南を正面とし、木造平屋建て、入母屋造り本瓦葺き、三方に本瓦葺きの下屋を廻す。旅人を「改め」、役人が事務を執る「面番所」は東西に長く、間口4間×奥行2.5間、20帖と間口5間×奥行2.5間、25帖の2室が並んで配置されている。下屋境の柱割が2室で異なっているのが興味をそそる。 明治以降、関所は廃止され、その後は小学校、図書館、そして役場とさまざまな用途に活用され、昭和30(1955)年に国の特別史跡に指定。昭和47(1972)年の大修理によって往時の姿に復元される。しかし今日、関所周りは埋め立てられ地形が大きく変化しているため、版画などに見られる「海の関所」と印象が大きく違っているのは残念である。 |
所在地:静岡県湖西市新居町新居1227-5 建築年代:安政5(1858)年 昭和30(1955)年国の特別史跡に指定 |