保存情報 第158回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 前田利家の郷・荒子集落  尾関利勝|地域計画建築研究所
山本邸 奥村邸 屋敷の祠、馬の塔蔵
■発掘者コメント
 大都市の名古屋で旧農村集落の面影を各所で見ることができる。今の市街地は都心の戦災復興土地区画整理、郊外の耕地整理、組合区画整理で市街化され、その際、旧集落地を遺した基盤整備が農村集落の形状を遺してきた。
 城下町以前の名古屋は中世の荘園時代から発達した肥沃な田園地帯で、ほぼ市の全域が荘園に属していた。荒子はその典型である。
 前田利家出生地(他説がある)と伝わる荒子は中世の伊勢神宮に関わりの深い一柳御厨のほぼ中央に位置する。このことから荒子は千年以上の歴史を持つと言うことができる。
 集落北に円空仏で有名な尾張四観音の一つ観音寺がある。天平年間高畑に創建され、天文5(1536)年再建の市内最古の木造建築である国の(重文)多宝塔を持つ。観音寺については故保浦文夫会員のレポート(※)を参照されたい。
 観音寺から南に広い参道があり、その東西に集落がひっそりとたたずまいを見せ、集落内を結ぶ細い路地、槇の生け垣、旧農家の門、屋敷(自治単位)に遺る秋葉さんの祠に、かつて栄えた荒子の姿が偲ばれる。
 観音寺門前の店は空き家化し、町並みは現代住宅に変わりつつあるものの、まだ旧農家の形状をよく遺し、庭先の植栽が見事である。
 ここには今では珍しい手入れの行き届いた茅葺き民家が2軒遺され、歴史を大切にする地域の気風が感じられる。近年、歴史を活かしたまちづくりが始まり利家にちなむ梅の里づくりが行われ、まち歩きの際には茅葺き民家が公開される。このほか、馬の塔(おまんとう・市博物館展示)の伝統行事が伝わり、その復活がまちづくりのテーマとなっている。復活した馬の塔を見る日が待ち遠しい。
※「ARCHITECT」2006年7月号「保存情報」掲載。
所在地:名古屋中川区荒子町、荒子4丁目
アクセス:名古屋市営地下鉄「高畑」下車 南東徒歩
10分、あおなみ線「荒子」下車、南西徒歩8分
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) サンロード  塚本隆典|塚本建築設計事務所
 
サンロード 平面図 立面図
■発掘者コメント
 東京銀座の三原橋地下街の解体が決まり、平成26年3月27日、最後の店舗であるカレーコーナー三原が閉店しました。昭和27年12月1日に完成した地下街でした。
 「もぐらのチカチャン」と聞いて思い出される方も多いと思いますが、現「サンロード」(開業当時は「ナゴヤ地下街」)が開設したのが、1957(昭和32)年3月。名古屋→栄間の地下鉄開通の8カ月前です。
 地下街は、名古屋駅周辺の交通渋滞、交通事故の緩和を図るために計画され、1950(昭和25)年名古屋地下街建設実行委員会結成、3年後の1953(昭和28)年名古屋地下街株式会社が設立されました。
 地下鉄開通と同時に北と南の改札口の間に地下鉄名古屋地下街(メイチカ)も開業し、サンロードとメイチカ(別組織)で一大地下商店街を形成しました。地下鉄は名古屋駅から錦通りにかけカーブしているため、地下鉄隧道に沿ってつくられた地下街も名古屋駅方面から歩いていくと左方向に弓なりにカーブしています。通路幅も地下隧道の制約を受け5mに決められたそうです。
 施工は竹中工務店で、建設当時の工事費は3億5千万円とのこと。
 地下鉄工事の着工に伴い整理された、錦通りにあったアロハマーケットの図面を㈱城戸武男建築事務所より提供していただきましたので掲載します。
 地下鉄は、いわゆるコンクリートの塊。日本初のポルトランドセメント製造(湿式)に貢献したのは尾張藩士神谷半右衛門の三男として生まれた宇都宮三郎で、現在豊田市の幸福寺に葬られています。今後、郷土の人物としてこの宇都宮三郎にも注目していきたいと思います。
アロハマーケット図面資料提供:
㈱城戸武男建築事務所 城戸康近
資料:『ナゴヤ地下街誕生物語』藤川壽男
所在地:名古屋市中村区
開業日:1957(昭和32年)年3月
会社名称:名古屋地下街株式会社
商業施設面積:4,586㎡
延床面積:10,756㎡
最寄駅:地下鉄・JR 名古屋駅