保存情報 第157回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 豊田佐吉記念館  原眞佐実|原建築設計事務所
佐吉記念館入り口の門 佐吉生家の内部。土間から「おおえ」「おでい」を見る 茅葺屋根の佐吉生家
■発掘者コメント
 静岡県湖西市、浜名湖の南西部山口(JR鷲津駅西方)に「豊田佐吉記念館」があります。佐吉の父伊吉が佐原家から独立して豊田家を継いだところであり、佐吉、平吉、佐助などが生まれ、トヨタ自動車を起業した佐吉の長男・喜一郎が生まれた生家が復元されている施設です。
 19,000㎡余の広い敷地の中には、生家のほかに母屋、集会室、展示室、観音堂、東屋(展望台)、納屋、休憩室などが点在していて、小高い裏山にはみかん畑もあり、ちょっとした散策コースとして設えてあります。
 生家はこの湖西地方特有の茅葺屋根土壁造りで、田の字型「四間取り」(よまどり)になっており、「おおえ」と呼ばれるちょっとした来客や農作業用の部屋、「おでい」と呼ばれる座敷(晴の間・接客用)、寝室として使用した「なんど」、食事の準備をする「だいどころ」から構成されています。
 広さは70余㎡ほどの規模ですが、近くの山で切り出した木材などで造られた自給自足の家として建てられたもようです。はじめは江戸時代後期に東側の竹藪のところに建てられていたようですが、喜一郎が生まれたのち古見(こみ)というところに移り、昭和49(1974)年まで残っていたものを平成2(1990)年にむかしの姿に復元したとのことです。母屋のみは通常非公開で見学できませんが、裏山から住まいの内部をうかがい知ることはできます。
 1989年から復原工事に着手。現況や跡地調査なども重ね、現在生家の茅葺き全面改修工事を行っている最中ですので、2015年初夏には新しくなった茅葺屋根を見ることができるでしょう。足かけ25年、ずい分と長い時間を要した改修には頭が下がる思いですが、こういった建築遺産を残していくのもトップ企業としての大事な役割であってほしいと願うばかりです。
名 称:豊田佐吉記念館(生家、母屋、集会室、展示室、
    観音堂、東屋(展望台)、納屋、休憩室)
所在地:静岡県湖西市山口113-2
復 元:平成2(1990)年
規 模:敷地面積19,093.14㎡、
    生家建築面積72,31㎡
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 奥三河の飯田線駅舎:湯谷温泉駅ほか  鈴木利明|デザイン スズキ
 
湯谷温泉駅舎全景(線路は背後) 1983年撮影の原形(下掲MOOKより) 飯田線愛知県境の東栄駅舎全景
■発掘者のコメント
 生まれ育った豊橋を起点にひたすら山間を辿る旧国鉄(現JR)飯田線は、物心つく頃からずっと私の心の原風景を成しており、とりわけ「奥三河」(私的には古く私鉄田口線が分岐した本長篠から県内北東端の東栄、さらに今は浜松市に属する佐久間・水窪地区まで)区間はまさに少年期の揺籃であった。
 二昔くらい前から数多の趣深く懐かしい堂々たる木造駅舎が次々と姿を消し、安全・「合理化」更新されたことはたいへん口惜しく、やはり身近ながら、一連の旧来駅舎や鉄道施設群が登録有形文化財として残存供用され続ける旧国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)の現況が羨ましいかぎりである。そんな中で稀少な現存供用駅舎として、湯谷温泉駅を紹介する。
 湯谷温泉郷は宇連川(特に当地は「鳳来峡」「板敷川」と通称される清流の景勝地)沿いに展開する、1200年以上の歴史を誇る温泉街。その玄関口の当駅舎は昔日のホテル併設時の佇まいをそのまま留める大柄な木造2階建て。とはいえ、1980年代にはまだ残存していた正面車寄せとその上部のテラスなどが除去され、現在では1階の待合空間と出札機能が供用されるのみ(しかも通常日は無人化)となって、往時を知る身には寂寥感が否めない。老朽化や用途の陳腐化に棹差して、何とか復元再生の道を望みたい(隣の三河大野駅も同じく大きな木造旅館併設だったが撤去更新済み)。
 奥三河の飯田線駅舎にはほかにも更新済みながら地域特性の高い逸品も多く、国指定・無形文化財「花祭り」の鬼の面を象(かたど)った東栄駅、旧町立図書館併設の瀟洒な佐久間駅、旧「日本一のミニ村」心尽しの待合空間・大嵐駅などが嬉しい。
所在地:愛知県新城市滝上
開 設:1923(大正12)年2月1日
指定日(土・日・月・祝日)業務委託駅
【参考図書】
新刊MOOK「飯田線各駅停車」