水生動物との関わり
第4回
「アフリカマナティー」

古田正美
   ふるた・まさみ
鳥羽水族館 顧問(公益)日本動物園水族館協会会友
昭和23 年(1948 年)生まれ。三重県立大学水産学部卒。
専門は水生動物の飼育と研究。
著書に『いたずらっこのチャチャ』(学研)、『海獣水族館』(共著 東海大学出版会)、スナメリ(共著 月刊海洋2003年8 月号)など。他『スナメリの飼育と繁殖』(海洋と生物2008 年2 月号)、『スナメリ飼育の歴史』(海洋と生物)・『海洋と生物』スナメリと海女さん1966年ごろ (2014年2月,4月号)など多数雑誌に寄稿。 
 第3 回で「ジュゴン」を紹介しましたが、もう一つの海牛類「人魚」を紹介します。手前味噌になりますが、ジュゴンとマナティーを飼育しているのは世界で唯一鳥羽水族館だけです。
 私たちがアフリカマナティーに興味を抱いたのは、1980 年7 ~ 8 月に鳥羽水族館の片岡照男副館長(当時)が、鯨類・海牛類の世界的権威であった西脇昌治先生と地球一周の海牛類調査を行ったことにさかのぼります。アフリカでの調査は聞き取り調査が主で、マナティーには出会えなかったようです。その後1994年に、私たちが西アフリカのギニアビサウへ調査に入るまでは、その存在は知られていたにもかかわらず、研究者たちの間ではアフリカマナティーの生態や体の大きささえ、ほとんど知られていませんでした。
 西アフリカの生息地ではマナティーは食用にされるだけでしたが、IUCN(国際自然保護連合)によって2000 年ごろから保全と保護が行われるようになりました。さらに、2013年には、ワシントン条約付属書ⅡからⅠへリストアップされ、商業目的による国際間の取引が禁止され、保護の強化が行われています。
アフリカマナティー
 マナティーは大きく分けて、アマゾンマナティー、アメリカマナティー、アフリカマナティーの3 種が知られています。ジュゴンと同じ海牛目で、熱帯から亜熱帯地域の大西洋沿岸や大西洋に流れる河川に生息しています。
 体型はジュゴンよりやや扁平で、尾ビレが団扇型で顔が小さく、前肢が長いのが特長です。アフリカマナティーとアメリカマナティーの前肢には爪がありますが、アマゾンマナティーにはありません。ジュゴンのような象牙質の牙はありません。寿命は70 年ぐらいと推定されています。
 また、アフリカマナティーは大食漢で、1 頭が1 日に40kg ほどの草を食べます。野生下ではウォーターレタスやミズオジギソウなどを食べていますが、雨期には川の氾濫で水没した田んぼに入り、好物の稲を食べています。飼育下では残留農薬を考慮して稲は与えていません。鳥羽水族館ではイタリアンライグラスやソルゴ、オーチャードなど競走馬用の牧草を与えています。また、ニンジンやゴウボウ、サツマイモなどの根菜類も好んで食べます。畑で収穫できる植物を食べるので、ジュゴンと比べエサの入手が容易な動物です。
 アフリカマナティーは成長すると3m、体重は1000kg ほどになります。目は小さく視力は役に立たないようですが、時折水面から顔を出し、陸上の景色を見て自分のいる場所を確認しているようです。体毛は細くてまばらに生えています。飼育して判ったことですが、背中に生えた毛でエサかどうかの判別ができるようです。生息地はテレビや新聞のニュースで頻繁に報道されているエボラ出血熱が流行している西アフリカのコーヒーにクリープを入れたような褐色の河川です。
アフリカマナティーのオスとメス
ゲバ川調査
 私たちは、1994 年12 月にギニアに隣接するギニアビサウを訪ね、ビサウ動物園のドイツ人の園長と共にサバナ地帯を流れるゲバ川の調査を行いました。首都ビサウでの聞き取り調査で、アフリカマナティーが生息するバファタ(地名)へは船で行くのが早道との情報を得て、チャーターした小船でかつて奴隷の積み出し港として栄えたというビサウ港からゲバ川を遡上しました。このとき、私たちは西アフリカ海岸の干満の凄さを初めて体験することになりました。
 下流では海の潮が引きはじめたと思ったら、瞬く間に船は河床に着底し、私たちはわずかなチョコレートで飢えをしのぎ、霧で濡れた体は冷え、心細さの中で夜を過ごしました。
 さらに恐ろしいことに、夜半には河口からゴーゴーと想像を絶するもの凄い音をたてて潮が遡り、星明かりの下で幾重にもの白い大きな壁のような波が押し寄せてきました。川幅4 キロ以上もある大河の真ん中、押し寄せる津波のような中で生きた心地はせず、船を波に垂直に立て甲板上で右に左に飛び跳ねながらバランスをとることで幸運にも転覆を免れました。今に思えばよく生きて帰れたものだと思っています。ただ、上流へ行くと様子は一変し、水の流れが判らない上流・下流方面の判断の難しい不思議な河でした。
 アフリカマナティーはそんな河の上流の河幅100 ~ 120m、水深は乾期で3.5m(雨期6m)の水域に生息しています。川岸にはクロコダイルが横たわり、川辺のジャングルにはパタスザルやヒヒが住んでいる、いかにもアフリカという自然豊かなところです。 
アフリカマナティーの住むゲバ川 河床に着底した船 
飼育の歴史
 ドイツのハンブルグの動物公園(現存していません)で1887 年に飼育されたのが初めてで、いつごろまで飼われていたかは不明です。
 ベルギーのアントワープ動物園では4 回の飼育記録が残されています。1923 年に当時のベルギー領コンゴで捕獲したマナティーを飼育し、2 回目は1948 年~ 1952 年に、3 回目は1953 年に飼育したが短命のようでした。そして、1954 年10 月29 日から1970 年3 月12 日までオスが飼育されており、これが長期飼育の世界記録でした。その後、コートジボアールのアビジャン動物園で1980 年に飼育計画があったようですが、飼育したという記録は残されていません。
 このように世界でも飼育された記録が少ない動物です。鳥羽水族館は1996 年にギニアビサウに調査・捕獲隊を派遣し、バファタ近くのカペという小さな町で漁師の地引網で2 頭を捕獲しました。畜養地のカペからトラックで首都ビサウへ移送後、チャーター機で名古屋空港へ30 時間かけて1 ペアを持ち帰りました。
 その後、台湾の花蓮海洋公園が西アフリカから3 頭を入手しましたが、1 頭だけが生存しています。韓国ではソウルのCOEX Aquarium で2 頭が飼育されています。
 さらに、鳥羽水族館は2011 年にギニアからメス1 頭を搬入して3 頭を飼育していましたが、1996 年にギニアビサウから来たメスが2014 年に死亡したために1 ペアの飼育になっています。このようにアフリカマナティーは日本、台湾、韓国の3 施設で僅か5 頭が飼育されているだけです。
 
ゲバ川河畔に設置した畜養タンク
ギニアビサウ
 西アフリカのギニアビサウは、北緯12 度付近に位置し、6 月には気温が54℃にもなります。クリスマスのころの朝5 時でも36℃もあり、熱帯の国です。
 当時、私たちはパリで乗り換え便を4 日待ち、スペイン領カナリア諸島で数時間のトランジットの後、日本から6 日かけて首都ビサウへ到着しました。ポルトガルから1973 年に独立した人口170 万人ほどの小さな国です。私たちがマナティー調査で宿泊したカペの河畔のコテージは、ポルトガルから来るハンターが宿泊する施設で、チンパンジーのロミオとジュリエッタの2 頭が放し飼いされていました。そんなのどかなところですが、当時のギニアビサウは衛生状態が悪く、人が飲料水を調達したり洗濯場でもあるところで牛が水を飲み、コレラが大流行していました。
 
航空機輸送中の風景