保存情報 第156回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 瑞雲山龍興寺本堂  澤村喜久夫|
伊藤建築設計事務所
全景(北西面) 本堂小屋組 アンブレラ型制震装置
■発掘者コメント
 龍興寺は、天文8(1339)年、この地の豪族、御器所城主の佐久間盛次が建立したと伝えられるが、戦災ですべて焼失してしまった。
 昭和53(1978)年、実業家藤山雷太旧邸の日本家部分(書院と楼閣)を移築して本堂とした。この建物は昭和54年に愛知県指定有形文化財に指定され、現在は客殿として使われている(建物の詳細は保存情報第16回『龍興寺本堂』で報告されている)。現在の本堂は、愛知県東浦町の曹洞宗宇宙山乾坤院(けんこんいん)の庫裏を解体移築したもので、平成14(2002)年に完成した。
 乾坤院は緒川城主水野氏の菩提寺である。徳川家康の生母、於大の方は四代水野忠政の娘であり、同寺で供養されている。この庫裏は元禄12(1699)年に建てられたとされ、龍興寺住職渡辺英信氏によれば棟札が存在していたとのことである。
 移築された建家は入母屋造り平屋建て、間口11.7m、奥行17.2m、高さ11.8m。建立当初の軸組と小屋組の外周部に集成材による柱、梁、登り梁で構成した覆い堂を設け、これを制震構造とすることにより当初の柱や小屋組をそのまま保存する手法がとられている。覆い堂の軸部にはアンブレラダンパーを装着し、小屋組には弾塑性ダンパー付の張弦を装着した制震構造を採用している。この制震装置は日本大学石丸研究室で開発されたもので、古い建物の修復およびリユース、特に社寺建築の制震改修のために考案されたシステムである。
 境内には、武田五一設計の旧芝川又右衛門邸寿宝堂も移築されているほか、「如庵」を模した茶室も。また、客殿には百済観音の半身像(摸刻像)が安置され、見学に訪れる人も多い。
所在地: 名古屋市昭和区御器所3-1-29
アクセス: 地下鉄鶴舞線「荒畑」駅下車 4番出口より西へ徒歩100m
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 斉年寺  藤田淑子│
元名古屋文化短期大学教授
 
総門。巴瓦は佐治家の家紋「日の丸扇) 近く解体修理の行われる予定の山門 山門の詳細
■発掘者のコメント
 大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」ゆかりの斉年寺は、尾張三十三観音第9番札所で、大野城主佐治家の菩提寺。享禄4(1531)年、現常滑市青海町山上の城内に建設され、天正15(1587)年に城とともに亡び、翌年現在地に再建された。
 斉年寺を知ったのは、雪舟が涙で鼠の絵を描いて和尚さんを感心させたエピソードを伝える岡山県総社市の宝福禅寺の住職から、雪舟が描いた国宝「達磨大師二祖慧可断臂図」がある斉年寺を訪れてはと言われたことによる。この水墨画は、雪舟77歳、明応5(1496)年の作。縦183.8㎝、横112.8㎝、紙本墨画淡彩の一幅。平成16(2004)年国宝に指定され、現在、京都国立博物館に寄託されているが、立派な模写をいつでも本堂で拝観できる。
 境内の建物のうち、当時の総門・山門はともに文久3(1863)年の火災でも焼け残った。総門は三間薬医門本瓦葺。平成14(2002)年に修復された。山門は一間一戸楼門、入母屋造り本瓦葺。下層は屋根を持たず、上層の周りには、縁、高覧をめぐらす。楼上には十六羅漢が安置されている(詳細は参考資料①参照)。境内には袴腰鐘楼、観音堂、経蔵、庫裡、不動堂、庚申堂のほか、持国天、広目天、増長天、多聞天に擬して置かれた4体の自然石が目を惹く。
 運良く、ご住職からいろいろなお話を伺うことができた。平成43(2031)年には開創500年を機に、山門の解体修復工事を始めるとのこと。解体による新たな発見が期待される。
 毎夕5時の鐘の音を合図に街の人々は夕方の支度に入るとか。次に訪れたときには、その鐘の音とともに暖簾をくぐりたいものである。
交  通:名鉄常滑線 大野町より徒歩10分
参考資料:①常滑市誌 [ 第3] 文化財編、常滑市、1983
②知多半島の歴史と現在 No. 13、日本福祉
大学知多半島総合研究所、校倉書房、2005
③東海の古寺と仏像100選、渡辺辰典・白井伸昂、風媒社、1997