スキゾな音楽


ベートーヴェンと難聴
 〜 苦痛を越えて 〜

山田 純

名古屋芸術大学大学院 音楽研究科 教授
   やまだ・じゅん|東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。
専門:アートマネジメント論、舞台芸術論、音楽評論。
日本音楽学会会員、日本アートマネジメント学会中部会長、日本音楽芸術マネジメント学会幹事、名古屋市高年大学講師、名古屋市民芸術祭賞審査員、音楽ペンクラブ会員、世界劇場会議名古屋理事、公益財団法人愛知県文化振興事業団理事。
新聞・雑誌などに演奏会批評やコラム、各種演奏会の曲目解説を執筆。
梅毒説
 「ベートーヴェンはなぜ耳が聞こえなくなったのか?」 誰しもこんな疑問を持ったことがあるだろう。そして「耳が聞こえないのによく作曲できた!」と畏敬の念を抱くであろう。一昔前のベートーヴェンの伝記を読むと、その難聴の原因を梅毒に帰する説が少なくなかった。シューベルトやスメタナやドニゼッティやヴォルフなど、梅毒は今日私たちが想像するよりも多くの作曲家たちを悩ませてきており、そのつながりでベートーヴェンを梅毒の罹患者に数えることは不思議ではなかったのだ。さて、本当のところはどうなんだろうと、手元にある、東海大学付属病院長の五島雄一郎氏の著した『死因を辿る』(講談社)をめくってみる。そのベートーヴェンの項目には、「死因はワイン(の飲み過ぎ)による肝硬変」、骨格的特徴から「梅毒は先天的だった」と記述されているが、聴力障害については「先天性梅毒を原因にあげているものが多い」としつつも、アルコール説や神経炎などほかの可能性を否定してはいなかった。  
ベートーヴェンの肖像画
遺髪は語る
 こうした諸説を覆す最新の科学検査による研究結果が報告されたのが、今から20 年ほど前の1995 年のこと。シカゴ郊外の核研究所の科学者たちがX線実験を行い、ベートーヴェンの遺髪から大量の鉛を検出したというものだ。ドイツの偉大な音楽家ベートーヴェンが鉛中毒に罹っていた可能性があるという報告である。これにより、ベートーヴェンが罹患していた多くの病気、および異常な行動の原因を説明することができるという。すると、今まで謎であったベートーヴェンの難聴の原因も、鉛中毒により説明することができるかもしれない。この科学者のチームはもともと梅毒の可能性を調べるために、その治療薬として用いられる水銀の存在を確かめようとしたのであった。しかし大量の鉛が見つかったものの、予想に反して水銀は検出できなかった。つまり、従来否定しきれなかった難聴の梅毒原因説もこれにより消え去ることになるのである。
 そして間もなく、その研究結果が『Beethoven's Hair: An Extraordinary HistoricalOdyssey and a Scientific Mystery Solved』としてまとめられ、その翻訳本『ベートーヴェンの遺髪』(白水社)が日本でも出版された。科学者やベートーヴェンの遺髪の入手に関わった人々たちの証言にもとづくノンフィクションである。ベートーヴェンに惚れ込んだ人たちが、ロンドンのサザビーズでオークションにかけられたベートーヴェンの遺髪を手に入れてその由来を探り、また最新の技術を用いてベートーヴェンを生涯悩まし続けた難聴をはじめさまざまな病気の原因を、わずか20 本の遺髪から探ろうとした壮大なドキュメントである。そして言うまでもなく、この本の主人公は「遺髪」そのもの。髪の毛は、人が体内に取り込んだ物質を長い間にわたり留めておくもので、一旦科学の手にかかると雄弁な証言者となりうるのである。髪の毛は専門家の手に渡り、実に詳細なる分析にかけられた。遺髪の検査では三つの物質の存在に焦点が当てられている。


『死因を辿る』(五島雄一郎著、講談社+α文庫、1995 年)
水銀
 その第一の焦点は水銀である。今まで決着の付かなかった難聴の梅毒原因説の可否を解決することができる証拠として期待した物質であった。しかしながら、水銀の濃度は検出できないほど低かった。水銀は、19 世紀の初頭には、梅毒の治療に広く使われていたので、もしベートーヴェンが梅毒に患っていたなら、水銀を定期的に服用していたはずである。したがって、水銀が検出されないということは、必然的にベートーヴェンは梅毒ではなかった、つまりあの忌まわしい難聴は梅毒が原因ではなかったということが証明されるのだという。
『ベートーヴェンの遺髪』(ラッセル マーティン著、
高儀進訳、白水社、2001 年)


ベートーヴェンのデスマスク
 第二の焦点は鉛である。水銀が見つからなかった代わりに、通常人の100 倍以上もの鉛が検出されたのである。これだけの量があれば、当然ベートーヴェンは鉛中毒に罹っていたことは明らかで、鉛中毒による一般的な症状とベートーヴェンが生涯にわずらった病気の症状とが一致するという。激しい腹痛、吐き気、便秘と下痢の胃腸疾患、疝(せん)痛、さらに痛風やリウマチ。そのほか精神的には、健忘症や癇癪と異常行動、また伸縮筋の麻痺によるぎこちない体の動きや、進行性聴力障害つまり難聴。これらは、すべてベートーヴェンの病歴として記録されているものばかりであった。
 鉛は当時のヨーロッパでは大量に生産され、水道管や、炊事、食卓、洗面の用品に使われており、人々は潜在的鉛中毒に罹患していたと思われている。また、ベートーヴェンはたびたび温泉を訪れ、鉛を含む水を飲んだり、またその中で泳いでいたとも言われている。さらに、ベートーヴェンは無類のワイン好きであったと知られているが、当時のワインは苦みをとるために鉛が添加されるのが普通であった。事実ベートーヴェンの使用していたワイン容器からは、鉛が検出されている。こうした複合的な要因による鉛の大量摂取が、ベートーヴェンの体を損なっていたというのだ。
モルヒネ 
 そして第三の焦点、それはモルヒネである。ベートーヴェンの後半生はまさしく苦痛との戦いであった。特に床に伏せてからは水腫にも悩まされ、腹水を除く穿刺(せんし)手術が繰り返し行われ、苦痛にさいなまれていたことは想像に難くない。となれば、この苦しみを抑えるために、アヘンから抽出される麻酔薬モルヒネが医者から投与されたはずである。しかし髪の毛のモルヒネの含有量はゼロであった。主治医が死にゆく男に与えたのは、氷の入ったポンチ(ワインに水、砂糖などを加えたもの)に過ぎなかったと記録にある。一体医者たちは、なぜベートーヴェンにモルヒネを与えなかったのか?
苦痛を越えて


交響曲第10 番のスケッチ
 この疑問に対して、モルヒネの投与をきっぱり断ったのはベートーヴェンだったと著者は言う。その理由を、「死の床にあっても依然として創作活動をしており…モルヒネで痛みを鎮静していたならば、創作活動はできなかった…。髪の中にモルヒネが発見できなかったということは、彼の性格について、とりわけ、逆境に対する彼の態度について、大変多くのことを語っている」。「生涯病に苦しんだベートーヴェンがアヘン剤を服用しなかったというのは、きわめて不思議…。そうするには深遠な人間性を必要とする。モルヒネは結局、人間の自由と人間の意志を奪うものだから…」と述べている。そのように、ベートーヴェンは死ぬ間際まで創作意欲にあふれスケッチ帳に楽想を綴り続けていた。そして、そのスケッチ帳の中には第10 交響曲の主題も書かれていた。
 最新の機械と技術を用いて病気の原因を調べても、この偉大な音楽家の人間性とその芸術の偉大さを明かすことはできない。だが、痛みに耐えつつもモルヒネを打たずに楽想を追い続けたという事実は、どれだけベートーヴェンの姿をあらわにすることか。難聴という音楽家にとってこの上ない悲劇を乗り越えて作曲を行った不屈の精神は、死の間際まで続いていたということをいやと言うほど知らされるのである。「死の床にあってさえ、楽想をスケッチするのに専念するほうが、もっと効く薬に彼には思えた」のかもしれない。
 ベートーヴェンは、かの有名なハイリゲンシュタットの遺書の中で、いつの日か耳の病の原因が突きとめられることを願い、「死んでから、世の人々と僕が和解できるよう病歴をこの遺書に添えるように」と記していた。そして、その哀切な願いはようやく叶えられたのである。(了)