保存情報 第150回
登録有形文化財 棚橋家住宅  三井富雄|モモアーキテクツ



所在地:名古屋市緑区有松3004
交通:名鉄本線 有松駅より徒歩5分
建築年:明治9(1876)年
登録番号:主屋一棟 23‐0314(2009年4月28日)
構造規模:木造ツシ2階建、桟瓦葺き
※催事の時以外は原則非公開
東海道側外観 ツシ二階物置 右上、大敷梁 大井桁、服部家と棚橋家の子孫の方々
■紹介者のコメント
 この建物は東海道に江戸の名残を留める明治9(1876)年(西南戦争・明治10年)に建てられた。築137年も経つと住まいには物語ができる。この住宅は2つの家族が、それぞれ約50年(絞りの大店・屋号、大井桁、服部家)、約80年(当時無医村の有松で最初の医院棚橋家)とうまく住み継いできた。昭和63年棚橋家の医院は有松駅北へ移転したが、建物はほぼ旧状を保ったまま住まいとして利用されてきた。
 昨年、100年先を見据えて耐久性・耐震性の増強と東海道に面する部分をほぼ当初の姿に戻し、まちの拠り所のひとつとしても活用できるように大改修が行われた。改修後半、大井桁、服部家の子孫の方々が2度にわたり、遠くは北海道からも大勢見学にみえ、棚橋家の方々と交流する機会があった。服部家の方々は祖先がつくった建物が大切に使われ、旧状をもとに修復されるのを大変お喜びであった。
 建物の特徴は「文化財ナビ愛知」に詳しい。
 《棚橋家住宅は、間口の広い大店(おおだな)が続き重厚な町並みを形成する有松において、その由来にふさわしい規模と構成を今日に伝える遺構であり、町並みを構成する重要な景観要素となっている…》※「文化財ナビ愛知」棚橋家住宅主屋より引用
 シンプルで合理的な空間構成、外壁・虫籠窓・軒裏の漆喰防火、杉皮の上にがっちりと土葺きした屋根(大改修では耐震性向上のため桟瓦葺きに)などの特徴があるが、特筆すべき点は長さ16.4mにおよぶ2階の松の大敷梁で、民家としては恐らく日本一ではないかと思われる。この住宅が永く住み継がれると共に、有松の町並みのために貢献されることを願うものである。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 宮地家住宅  中澤賢一|堀内建築研究所
     
道路側外観  二階座敷 吹き抜け上部
■発掘者のコメント
 宮地家住宅は重要文化財として知られる吉島家住宅からさらに北へ進んだ古い町並みの北端にひっそりと佇んでいます。敷地間口は3.5間と狭く、奥に細長い間取りで道路側から主屋、中庭(どじ)、土蔵と並んでいます。主屋は明治8(1875)年の大火で焼失した後、再建されたもので、木造2階建て、切妻平入り、桁行3.5間、梁間6間。敷地奥の土蔵は江戸時代中期に建てられたもので、さらに奥には作事用の農具庫が配置されています。道路に面した主屋は2階建ながら平入の軒が低く抑えられています。また、その金属板葺き屋根から突き出た採光通風用の腰屋根のバランスが非常に良くとれた美しい住宅です。
 内部に至ってもこの構成は連続しており、1階の居間は2層吹抜けから腰屋根へとつながり、4面からのハイサイドライトが柔らかな光を居間へ届けます。また、平面的にも奥へつながる中庭が空間の広がりを生み出し、ここからも柔らかな光が居間に差し込みます。急な階段を上がった2階は座敷と続き間、8畳間の3部屋で、各々が屋根に沿った勾配天井となっており、重心が低く落ち着きのある空間となっています。 
 限られた敷地条件、気候風土や機能的要請から生み出された立体的構成や断面計画など、現代の住宅計画にも十分参照できる素晴らしい住宅だといえるのではないでしょうか。
 宮地家住宅は平成12(2000)年に高山市指定文化財に指定されましたが、2階へ上がった際に、私が歩いただけでも建屋の揺れ、床のたわみが大きく感じられ、今後の十分な維持管理の必要性を感じました・・・。
所在地:岐阜県高山市大新町2-44
交通:JR 高山駅より徒歩15分
TEL:0577-32-8208
開館時間:9:00 ~16:30
開館日:土・日曜日・祝日
入館料:無料