音とトポス


劇場 

客席の憂鬱

山田 純
名古屋芸術大学大学院 音楽研究科 教授
   やまだ・じゅん|東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。
専門:アートマネジメント論、舞台芸術論、音楽評論。
日本音楽学会会員、日本アートマネジメント学会中部会長、日本音楽芸術マネジメント学会幹事、名古屋市高年大学講師、名古屋市民芸術祭賞審査員、音楽ペンクラブ会員、世界劇場会議名古屋理事、公益財団法人愛知県文化振興事業団理事。
新聞・雑誌などに演奏会批評やコラム、各種演奏会の曲目解説を執筆。
鑑賞を妨げるもの
例えば映画を見に行ったと仮定しよう。…さすが話題作だけあって最初から感動がいっぱいだ。この先どんな展開になるかと考えただけでワクワクする。何と! 前の席でカップルがいちゃつきはじめたぞ。すると今度はガーガー、スースーと隣の客がいびきをかきはじめ、さらに後ろの席からポップコーンの匂いが漂ってきた。もうそれだけで気が削がれストーリーに没頭できない。映画の世界にドップリと浸かりたかったのに、これでは一挙に現実に引き戻されてしまう。スクリーンには虚構の物語世界がある。それは殺人事件だったり、ラブロマンスだったり、スーパーマンだったり、オカルトだったり、とにかく現実にはあり得ない世界が広がっている。それを一時だけ味わうために、映画館という特別の場所にやってきたのに。ここはお茶の間の延長ではないぞ! …そんな声が聞こえてきそうだ。
誘導灯を消してくれ!  

誘導灯
 さて、映画に限らず演劇でもオペラでも、個人的には、客席側の扉の上に取り付けられ、人の姿がデザインされた緑色の誘導灯が気になるところだ。舞台上でどんなにシリアスな物語が演じられていても、あるいはシリアスであればあるほど、誘導灯を見るだけで興奮が冷めてしまうのだ。理性が言う、「今自分が見ているのは、しょせん虚構の世界だ!」と。やっとのこと、「誘導灯を消してくれ!」という舞台関係者の声がお役所に届いたようである。平成8年に消防法が改正されて、劇場や映画館など、一定時間継続して暗さが必要とされる場所は、時間内に限り消灯することが可能になった。ただし、その旨をあらかじめ放送などにより告知することが義務づけられてはいる。
オペラとピット  

バイロイト祝祭歌劇場のオーケストラ・ピット
 オペラの場合、舞台を見ているときに妨げになるものとは一体何か? 普通のリサイタルやオーケストラのコンサートにはない、オペラだけの問題、それがオーケストラ・ピットにいるオーケストラの存在である。音楽のないオペラはあり得ないから、オーケストラの存在は聴覚的には欠かせない。しかし、舞台と客席の間にいるオーケストラは視覚的には邪魔な存在である。確かに大きな劇場にはピット用の迫りが備えられていて、舞台の前の部分を下降させてスペースをつくり、そこにオーケストラが収まることになる。だが、下げるのにも限度があるから、聴衆の視界の中にオーケストラの上の部分がどうしても見えてしまう。
 また、普段はオペラを上演しない劇場はこうした迫りによる下降装置を持っていないため、もしオペラを上演するときは客席を前から数列分を取り去り、申し訳程度の囲いを付けてその中にオーケストラが入ることになる。間違いなく視線の先にはオーケストラがあって、そのオーケストラ越しに舞台を眺めることになる。さらに譜面台に取り付けられた譜面灯が、舞台を見る人たちの邪魔になることも問題である。演出家の意向により誘導灯を消すことはもちろん、ホールの明かりを最小限に落とすこともあるので、そうするとオーケストラ・ピットの明かりがさらに目立ってしまうだろう。とにもかくにも、オペラにとってオーケストラは、「なくては困るが、目立ったら困る」厄介な存在なのである。
ヴァーグナーの工夫   

オーケストラ・ピットの断面図
 舞台と客席の間に厳として存在し、聴衆が舞台に集中することを妨げるオーケストラの問題を、究極の方法で解決したのが、19 世紀最大のオペラ作曲家ヴァーグナーであった。作曲と指揮はもちろん、脚本や演出から舞台美術まで一人で行ったが、何でも独り占めにしたかったヴァーグナーは、理想のオペラを実現するため、ついには劇場そのものを設計してしまった。それが自分のオペラだけを上演するバイロイト祝祭劇場である。そこにはこんな工夫が凝らされていた。オーケストラ・ピットに覆いを付け、ボックスを舞台の下まで階段状に深く掘り下げるというものである。その結果、客席からは指揮者やオーケストラは見えなくなり、舞台の音楽物語に集中できるようになったわけである。ついでに、オーケストラ側にもたなぼたのメリットが生まれた。客席から見られることがなくなったお陰で、普段着でも演奏できるようになったのである。 
歌舞伎と黒御簾 

歌舞伎の舞台にある黒御簾
 客席からの目を邪魔しないという意味では、日本の歌舞伎にも下座音楽ならではの工夫がある。歌舞伎の伴奏・効果音楽である下座音楽は、主役の登場場面または芝居の中で俳優の演技に合わせて演奏されるもので、歌舞伎にはなくてはならない音楽である。しかし、やはり目立っては困るので、演奏者が客席から見えないように、下手側に黒いすだれを下げた小部屋を設け、そこで音楽が演奏されていた。そのため、下座音楽は黒御簾(くろみす)音楽とも言われている。この黒御簾はオペラにおけるオーケストラ・ピットのような役割を持った場所だと考えればよいだろう。主役はあくまでも舞台上の演技者の演技ではあるが、それとて音楽がなければどだい成り立たない。すなわち歌舞伎にとって「なくては困るが、目立ったら困る」音楽を、日本的に解決したのが黒御簾という工夫であった。
携帯の暴力 

 携帯電話禁止のマーク
 2012 年の1 月20日、ニューヨーク・フィルの定期演奏会での話である。演目はマーラーの第9 交響曲。作曲者が「死に絶えるように」と指示書きをした第4 楽章が終わりに近づき、聴衆が弱音に耳を澄ませているまさにそのとき、最前列に座っていた男性のiPhone が鳴り響いたのである。男性はiPhone を購入したばかりで止め方が分からないのか、それはずっと鳴り続けることに。指揮者とオーケストラは、じっと事の収まるのを待ち続けたが、着信音に設定されていたマリンバの音は一向に鳴り止まない。まるで永遠に続くかのように思われた拷問からやっと解放されたのは5 分後のことであった。コンサートホールにおいて、音楽の世界に没頭しているとき、その集中を破る携帯の着信音ほど暴力的なものはない。だがここで問題にしたいのは、携帯が鳴ったことそれ自体ではない。トラブルが収まるまで5 分も要したことである。ホールに、こうした事態に備える機能も態勢もなかったことが問題なのである。 
レセプショニスト 
 日本で最高のコンサートホールといえば、自他共に認めるのが東京のサントリーホールであろう。ここには最高の音楽を最高のサービスで提供するためのあらゆるシステムが出来上がっている。その一つがレセプショニストの存在である。チケットのもぎりから、客席への誘導、扉での案内、そのほか客が快適に過ごすためのあらゆる業務を遂行している。演奏が始まると、気づかれないようにソッと客席後部の出入口付近に腰掛けて、客席を見守っているのもレセプショニストたちである。だから、携帯が鳴るような事態が生じたら、このレセプショニストが駆けつけて問題を素早く解決してくれるだろう。ニューヨークでも、レセプショニストがいれば鳴り止むまで5分もかかることはなかったはずだ。サントリーホール発祥のレセプショニストは今や日本各地の劇場、ホールに置かれるようになった。最初は余計なお世話だと思ったが、「客席の憂鬱」を解決してくれる力強い助っ人なのだと感じるようになった。