音とトポス

ギリシャ 

オルケストラとオーケストラ

山田 純
名古屋芸術大学大学院 音楽研究科 教授
   やまだ・じゅん|東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。
専門:アートマネジメント論、舞台芸術論、音楽評論。
日本音楽学会会員、日本アートマネジメント学会中部会長、日本音楽芸術マネジメント学会幹事、名古屋市高年大学講師、名古屋市民芸術祭賞審査員、音楽ペンクラブ会員、世界劇場会議名古屋理事、公益財団法人愛知県文化振興事業団理事。
新聞・雑誌などに演奏会批評やコラム、各種演奏会の曲目解説を執筆。
打楽器奏者の不満
 「弦(げん)チェレ」という曲がある。この言葉を聞いて、すぐに曲が頭に浮かぶ人はきっとよほどの音楽通か、あるいはこの業界に詳しい人に違いない。「弦チェレ」とは、ハンガリーの作曲家バルトークが作曲した『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(Music for Strings, Percussion and Celesta)』というオーケストラ曲のことである。名前が長いので、省略して「弦チェレ」と呼んでいるのである。モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』を「アイネク」、リヒャルト・シュトラウスの『ティル・オイレン・シュピーゲルの愉快ないたずら』を「ティル」と呼ぶのと同じ感覚だと言えよう。
 さて、この「弦チェレ」では管楽器は用いられず、オーケストラでは珍しいチェレスタという鍵盤楽器が使われていることで知られているが、実は正式な名前にもある通り、打楽器が重要な役割を演じている曲でもある。なのに、省略名には打楽器の「打(ダ)」の字がない。かつて、打楽器奏者がこの「ダ」を省略した呼び方が気に入らず、打楽器も仲間に入れてくれと「ゲンチェレ」と呼ぶように要求したという話が残されている。しかしながら、この「ゲンダチェレ」はいまだ市民権を得ているとは言えないようだ。
 こうした打楽器奏者の不満は曲名だけにとどまらず、「管弦楽団」という呼び方にまで及びそうだ。「管弦楽団」とは、辞典的に言えば「管楽器と弦楽器と打楽器が三位一体となって曲を演奏する集団」であるのに、その「管弦楽団」の表記には「打」の字が入っていない。当然、公平を期すなら「管弦楽団」と呼ばねばならないはずなのである。 
オーケストラの二つの系譜
 この「管弦楽団」という言葉は、もちろんオーケストラ(orchestra)という言葉の日本語訳である。また、「管弦楽団」とは別に、オーケストラにはもう一つ「交響楽団」という呼び方もある。これはシンフォニー・オーケストラの訳である。正式には、大規模な編成を持ち、交響曲などの演奏活動を目的とするオーケストラの名称として使われているが、実質的に管弦楽団と何ら変わりはない。よく知られた伝統的な西洋のオーケストラの名称を調べると、「音楽愛好家」の意味を持つ「フィルハーモニー(もしくは単にオーケストラ)」系と「交響曲」を表す「シンフォニー」系の二つのオーケストラに大別することができる。そして、フィルハーモニー系を「管弦楽団」、シンフォニー系を「交響楽団」と、日本では訳し分けている。したがって、ウィーン・フィルハーモニー・オーケストラは「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」であって「ウィーン・フィルハーモニー交響楽団」と呼ばれることはないし、またボストン・シンフォニー・オーケストラは「ボストン交響楽団」であって「ボストン管弦楽団」と呼ばれることはない。さらに、ヨーロッパではフィルハーモニーとシンフォニーが名称の中で同時には使われることがないのも大きな特徴である。ベルリン・フィルハーモニー・シンフォニー・オーケストラという言い方はないのである。しかしながら、日本のオーケストラでは両方をくっつけて、西洋では一般的ではない「フィルハーモニー交響楽団」と称されるオーケストラが少なくない。
 では、なぜ日本ではこうした「フィルハーモニー交響楽団」という名前が定着してしまったのかというと、かつて、新聞社が、交響曲は規模の大きな曲でありそれを演奏する交響楽団のほうが管弦楽団より一段上だと誤解して、たとえば「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」を「ウィーン・フィルハーモニー交響楽団」と呼び、それ以後西洋にはないフィルハーモニー交響楽団という名称が一般化してしまったからだと言われている。今現在、30 を超える日本のプロのオーケストラのうち、ヨーロッパにはない「フィルハーモニー交響楽団」と銘打った団体が六つある。ならば愛知にある三つのプロオーケストラである「名フィル」や「セントラル愛知」、そして「中部フィル」の正式名称はどう綴られているだろうか?(答えは最後に) 
オルケストラの語源
 さて、オーケストラという言葉の語源を詳しく辿ってみると、18 世紀、ルソーの書いた音楽事典に、今日的な「合奏団」という定義を見ることができる。また17 世紀、モンテヴェルディのオペラを演じるための最初の常設オペラ・ハウスができたとき、オーケストラという言葉が正式に使われたという記録に行き着く。しかしオーケストラの本当の語源はもっともっと先の古代ギリシャ時代まで辿らなければならない。
 かつて、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらのギリシャ悲劇、あるいはアリストファネスのギリシャ喜劇は、俳優たちがセリフをしゃべるだけではなく、歌も踊りも付いた現代のオペラのような音楽劇であった。これらの劇が演じられる円形劇場では、舞台と客席の間に陣取ったコロス(合唱隊)が、舞台の上の進行に応じて、歌ったり踊ったりしており、このコロスが陣取った土間がオルケストラと呼ばれていた。古代ギリシャでは合奏形態のことではなく、場所のことを指していたわけである。舞台の後ろのスケネー(楽屋)では俳優たちが自らの出番を待ち、スケネーの前のプロスケニオン(楽屋の前)で演技を行い、オルケストラでコロスが歌い踊り、それをテアトロン(客席)にいる観客たちが見ていたわけである。コロスがコーラス、スケネーがシーン、そしてテアトロンがシアターであることは言うまでもない。現在の演劇のスタイルはもちろん、言葉の源も、すべてここギリシャにあったわけだ。 
半円劇場 図面
オーケストラに統一できるか? 
 こうした変遷を経たオルケストラという言葉は、日本に輸入されたとき、多くの外来語がそうであったように、まずは日本に古来からある言葉に範を求め、雅楽で用いられていた「管絃」という用語がそのまま適用された。「管絃」は、合奏と舞とからなる「舞楽」に対して器楽だけの合奏形態を意味していたが、「管絃」という名前には、すでに「打ち物」と呼ばれる打楽器の存在が考慮されていなかったことが分かるであろう。ここから打楽器奏者たちの不満のタネが生まれてきたわけである。いずれにせよ、「オーケストラ」という言葉は、起源も歴史もいわれも全く異なる雅楽の言葉を借りて、「管弦楽団」、そして「交響楽団」として、以後日本に根付くこととなった。
 たかが呼称の問題で中身の問題ではないが、いったん日本語に訳されて独自に発展し定着した言葉には思い入れもある。しかし、かつて「フーガ」は「遁走曲」、「ソナタ」は「奏鳴曲」などと訳されていたが、それはもうすでに一般的ではなくなってしまったように、原語のまま発音し表記するのは時代の風潮でもある。協奏曲がコンチェルトに、交響曲がシンフォニーと変わり、そしていずれ管弦楽団も交響楽団も「オーケストラ」に統一される日が来るかもしれない。たかが、オーケストラの訳語、しかし思い入れの深い日本的な呼称である。
半円劇場の場所の名称
(答:名古屋フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団)