自然・人間・建築と環境 
第4 回
放調と温房
  しゅくや・まさのり|自然のポテンシャルを生かした光環境や熱環境づくりについて、熱力学・人間生物学の視点に立った研究と教育に携わっている。
専門は建築環境学。
著書に『Exergy:theory and applications in thebuilt environment』(2013年1月、Springer-Verlag London)、『エクセルギーと環境の理論』(改訂版2010年9月、井上書院)など。   
宿谷昌則|東京都市大学環境学部環境創生学科 教授 
 在ることが当たり前…素人ばかりか玄人にさえそう思われてきた電灯照明の技術を、電力の浪費を止めることによって、むしろ豊かな光環境を創出するための技術へと改変していく。そのためには空間デザインとともに時間デザインが必要だ。前回はそのような話をした。同様なことは、暖房や冷房についても言える。今回は特に冬の建築環境に創出されるべき「温もり」に着目して、暖房とはそもそも何をどうすることなのかを考えよう。
 筆者は、この問題を「エクセルギー」なる概念を使って考えてきた。エネルギーなら知っているが、エクセルギーなどという概念があるのだろうか―いぶかしく思う読者が少なくないに違いないので、本題に入る前に、エクセルギー概念の短い説明をしておきたい。
 ガリレイやニュートンが活躍した1600年代から今日に至るまでに発達してきた物理学で最重要な法則一つを挙げるとすれば、それはエネルギー保存則だと言ってよいだろう。この「エネルギー」と、いわゆるエネルギー消費・省エネルギーというときの“エネルギー”は同じようでいて実のところ同じではない。保存と消費は互いに相反することだからである。両者の違いを明確にして議論したい。そこで必要になるのがエクセルギー概念だ。
 私たちの周囲に存在するあらゆる物質、そして私たちの身体は、原子を基本単位として構成されているが、これら原子はすべて振動(あるいは運動)している。その程度は「温度」で表わされる。熱は、よく知られているとおり、温度の高いところから低いところへ伝わっていく。これは熱という仕方によるエネルギーの伝達であり、エネルギーは伝達の前後で増えも減りもしない。それに対して、エクセルギーはエネルギーの「拡散能力」を表わし、この拡散能力が散逸し消えていくことを「消費」という。照明や暖房・冷房などさまざまなシステムのどこでどのようにエクセルギーが消費されるのか。それが分かってくると、システムの在るべき姿が明らかになってくる。
 本題に入ろう。図1は、断熱材を施していない壁と施した壁を一例として、冬期の典型的な気象条件のもとで室内外表面の温度がどの程度になるかを計算し、それに応じた熱エクセルギーの出入りと消費を求めたものである1)。
 熱の伝わり方には(長波長)放射・対流・伝導・蒸発の四態がある。図1では、波型の矢印が壁の内表面を「放射」で出入りするエクセルギー、太い矢印が「伝導」で壁表面から壁内部に入っていくエクセルギー、少し細めの矢印が「対流」で室内空気から壁表面に伝わるエクセルギーを示している。この計算例は、壁の表面が濡れていないと仮定したものなので「蒸発」はない。
 熱エクセルギーには「温」エクセルギーと「冷」エクセルギーの二つがあるが、この例では冬の気象条件を想定しているので、放射・対流・伝導のすべてが「温」エクセルギーである。このことを図中ではエクセルギーの値の下に(温ex)の記号で示してある。壁内表面の下部にある□中の数値は、室内表面における放射の吸収で生じるエクセルギーの「消費」を示している。
 まず注目してほしいのは、断熱材を施していない壁の内表面から室内に向かって出る「温」放射エクセルギーが284mW/㎡であるのに対して、断熱材を施している方ではその6倍を超える1,868mW/㎡が放出されていることである。また、断熱性の高い壁の内表面に入る放射エクセルギーが断熱性の低い方の約2倍になっているが、これは、外壁に断熱性を確保した方では、天井や床・内壁も外壁と同様に内表面温度が高めに保たれていると想定しているからである。
 以上のように、壁や窓・床の全体に十分な断熱性が確保されると、放射エクセルギーの放出が大きくなる。それは、放射エクセルギーの消費を著しく小さくすることになる。図1の例では、断熱性が高い壁内表面における消費が断熱性の低い場合の1/70にまで小さくなっている。これは外壁と内壁とで表面温度に大きな差がないためであり、それがひいては、対流と伝導で壁内部に流入していく「温」エクセル
ギーをも著しく小さくしている。放射の調整、すなわち「放調」が重要なのである。
図1
 図2は、冬季の典型的条件について、室内の周壁平均温度(放射温度)と空気温の組み合わせが人体内のエクセルギー消費にどのように関係するのかを計算した一例である1)2)。人体内のエクセルギー消費とは人体に掛かる熱的なストレスだと考えればよい。人の身体の熱的な振る舞いをエネルギー収支に基づいて考える場合は、①周壁平均温、②気温、③風速、④湿度、⑤代謝量、⑥着衣量の六要素がかかわるのだが、エクセルギー収支に基づいて考える場合は、さらに外気の温度と湿度が関係する。図2の例では、屋外の空気温度0℃;相対湿度40%を想定している。
 縞模様状に見える線群は、その1本1本が等エクセルギー消費を表わす。斜め左上から右下にわたって引かれている太線は、代謝によって生じる熱エネルギーが体表面から周囲空間に出ていく熱エネルギーとちょうど釣り合うような周壁平均温と空気温の組み合わせを示している。この太線より左下の領域は概ね寒い側、右上の領域は概ね暑い側である。
 エクセルギー消費の等高線群の全体を眺めると、代謝熱量=放熱量を示す太線上であっても周壁平均温度と空気温度の組み合わせ次第でエクセルギー消費の値は異なることが分かる。これは、代謝熱量と放熱量がエネルギー的には釣り合っていても、人体に掛かる熱的なストレスには違いが現われることを意味する。エクセルギー消費速さは、周壁平均温が約25℃で空気温が約18℃の条件で最小値の約2.5W/㎡(体表面)になっている。暖房では空気を加熱するよりも周囲の壁・床などを温めるほうが人体のエクセルギー消費は小さくなるのである。
 図2の縦軸は周壁平均温であるが、その10 ℃ は「温」放射エクセルギーでは200mW/㎡、20℃は2,000mW/㎡、25℃は4,000mW/㎡ほどに相当する。外気との温度差が10℃から20℃になると、放射エクセルギーは10倍に増え、25℃になると20倍に増えるのである。これは放射エクセルギーには表面温度と外気温の差の二乗に比例する性質があるからだ。要するに、断熱性向上は、室内表面から放出される放射エクセルギーを増加させるのにたいへんに効果的なのであり、放調の重要性がここでも確認できる。
 
図2 
 建築外皮の断熱性向上は冬の室内空間に「温」放射エクセルギーを満たして、住まい手たる人の身体に優しい「温もり」の感覚・知覚が現われるようにしてくれる。建築外皮の適切な断熱とそれに伴う蓄熱性の活用による放調がつくり出す熱環境は、空気を温めて室温を上げることを主体とした暖房がつくり出す熱環境とは異なる。このことを明確に区別するには言葉が必要だと思う。そういうわけで、冬の放調が創出する熱環境を「温房」と呼びたい。
 放調に基づく温房の創出は、身の丈に合った技術が支える社会を構築していくための基本としても重要である。筆者はそう考えている。 
参考文献
1) M. Shukuya, Exergy: Theory and Applications in the Built Environment, Springer-Verlag London, 2013
2) 宿谷昌則編著:エクセルギーと環境の理論―改訂版、2010年