保存情報 第145回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 南山大学名古屋キャンパス校舎群  原眞佐実|原建築設計事務所
 
第一研究室棟 広場から見たM棟 G棟の地下通路
■発掘者のコメント
 名古屋の東部には数多くの大学が点在するが、この「南山大学名古屋キャンパス」もその一つである。昭和39年(1964)年に日本建築学会賞を受賞した大学校舎群は、それまで見られなかった「新しい空間的秩序を創造した」という理由で高く評価されたものであり、アントニン・レーモンドが掲げた「日本の自然との調和」という設計思想のもとにつくり上げられている。
 延べ45年の長きにわたり(31 ~ 85歳:途中9年間アメリカに帰国)日本に滞在し、日本人より日本人たらんとした根底には、陽や風をとりこみ融合させるという日本の建築哲学への傾倒があったようである。昭和の経済成長期に計画、設計されたものとして、当時の識者の中には「モダニズム建築」とは相容れないものがあると言う人たちもいたが、愛知県立芸術大学キャンパスを設計した吉村順三や前川国男など日本のモダニズムの牽引者たちが彼の下で学んだことを考えると、この大学総合計画の与えた影響は計り知れないものがあるように思う。日本人の深慮な考え方を融合したという点で、ほかでは類を見ないキャンパス群であろうし、戦後モダニズム建築の代表作として平成26(2014)年に満50年を迎える点を考えると、これからも維持してほしい建築物群であると思うのは私だけであろうか。
 日本におけるモダニズム建築の保存はいろいろな意味において、神社仏閣などの様式建築に比べて社会一般の認識が浅く、取り壊されているのが現状であるが、幸いなことにこの大学は関係者などの努力によってレーモンドのモダニズム理念に配慮がなされ維持管理されており、「BELCA賞」も受賞しているのは特筆に値する。欧米人の考えるモダニズムと日本人の考えるモダニズムには差異があるという識者もいるが、レーモンドの建築は両方の考え方に相通じるものがあり、日本のモダニズムの代表作として「DOCOMOMO100選」にも選ばれている。
名 称:学校法人南山学園・南山
大学名古屋キャンパス(本部棟、図
書館、研究室棟、F棟、G棟、G-30
棟、H 棟 校舎群)
所在地:名古屋市昭和区山里町18
建 設:昭和39(1964)年
規 模:敷地面積139,867㎡、建築
面積8,829㎡、延べ面積23,581㎡
受賞歴:日本建築学会賞(1964)、
DOCOMOMO100選、建築業協会
賞(1965)、BELCA 賞(2002)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 千種地下街  塚本隆典|塚本建築設計事務所
現在は、連絡通路に シャッター通り  千種地下街最後の店舗
■発掘者のコメント
 名古屋の地下鉄の歴史は、昭和32(1957)年11月16日、名古屋-栄間の開業(1927年日本初の浅草-上野間開業に遅れること30年)に始まり、千種地下街は今池地下街とともに、昭和35(1960)年6月15日の地下鉄栄-池下間の延伸に伴い開設されました。
 開設以来53年を経て平成25(2013)年3月末、今池地下街とあわせて名古屋市の地下街では初めての閉鎖となりました。商店街が閉鎖となっても躯体そのものは解体されることなく、空間は保存されるという、役割を終えた建造物としては特異な存在であり、保存されてしまうがゆえにその空間の活用が問われる存在なのです。閉鎖後は連絡通路として利用されています。
 現在開業している日本最古の地下街は昭和32(1957)年3月18日に開業した名駅地下街サンロードだそうで、「モグラのちかちゃん」のテーマソングを覚えている方も多いのでは。
 地下鉄千種駅の1日当りの乗降客数は、2010年の資料によれば、40年間ほどは2万5千~ 2万6千人で推移しており、地下鉄東山線の駅では22駅中5位。ちなみに名古屋駅は16万人、栄は9万4千人程度。
 地下鉄はオープンカット(開削工法)でつくる場合が多く、地下街はもともと地下鉄と路盤の間の空間で少しでも多くの収益を確保するためにつくられました。
 福島の原発事故で地下水の流出を食い止めるため計画されている地盤を凍らせる凍結工法は、19世紀後半にイギリスの地下鉄工事で開発されたもので、掘削が難しい軟弱地盤や、川の下などの水の処理が難しい場所ですでに使用されていたそうです。
参考資料:『市営地下鉄開業50周年記念 名古屋の地下鉄 メモリアル50』(名古屋市交通局)、『図解 地下鉄の科学』(BLUE BACKS)
所在地:名古屋市東区
開業日:1960(昭和35)年6月
施設所有者:株式会社名古屋交通開発機構
施設管理者:株式会社名古屋交通開発機構
商業施設面積:425 ㎡
延床面積:812 ㎡
最寄駅:地下鉄・JR 千種