インドの都市から考える
第6回

街と融け合う寺院

柳沢 究|名城大学理工学部建築学科 准教授
  やなぎさわ・きわむ| 1975 年横浜市生まれ。
2001 年京都大学大学院修了。
2003 年神戸芸術工科大学助手。
2008 年一級建築士事務所究建築研究室設立。
2012 年より現職。博士(工学)
作品:「斜庭の町家」「紫野の町家改修」「SAKAN Shell Structure」ほか。
著書:『京都げのむ』「生きている文化遺産と観光」「無有」ほか。
受賞:地域住宅計画賞、京都デザイン賞入選、雪のデザイン賞奨励賞、タキロン国際デザインコンペ2等ほか。
 20世紀末に始まるインド全体の経済成長にともない、近年ヴァーラーナシーでも大規模な宅地開発やショッピングモールの建設などが目立つようになった。都市空間の更新はその速度と激しさを増している。連載最終回となる今回は、聖地としてのヴァーラーナシーを支えるガートとならぶもう一方の立役者、ヒンドゥー教の寺院・祠に焦点をあてながら、筆者が現在関心を寄せている都市空間の現代的変化について触れてみたい。  
林立するヒンドゥー寺院
 ヴァーラーナシーの旧市街には、さまざまな神話や伝説に彩られた歴史のある寺院・祠がおびただしく存在する(写真1)。
筆者が2000年に旧市街の中心部だけを対象に行った調査でも、その数は(小規模な祠も含め)700にのぼった。分布密度は平均すると29m四方に一つとなるが、多くは街路沿いに位置するため、旧市街を歩いていると10mと空けずに寺院の塔状屋根(シカラ)に出会う。実感として「林立」という表現がふさわしい。とりわけ街の中心寺院であるヴィシュワナータ寺院(通称:黄金寺院)や火葬ガートといった重要スポットの周囲、火葬ガートへ至る葬列のルート沿いには、すさまじい密度で寺院が集まっている。ヴァーラーナシー自体がインド有数の聖地であるが、その中でも特に「聖なる」場所に寺院が集まり、寺院の密集がさらなる新寺院を引き寄せる、という連鎖反応が起きているようである。しかもシカラをもった建物だけが寺院ではなく、住居の中の一室や街路の地下など、旧市街のいたるところに寺院が隠れている。路傍の粗末な祠や家庭のリビングに鎮座するリンガ(写真2:シヴァ神を象徴する神体)が、実は数百年の歴史を持ち、巡礼地になっている重要な神様であったりする。
 都市空間との関係という視点からこれらのヒンドゥー寺院を見ると、二つの重要な特徴が見て取れる。一つは寺院と場所との強い結びつきである。寺院の聖性にとって本質的なのは場所であり、それを示すのが屹立するリンガである。したがって院は原則的に移動せず、建築物は場所やリンガに比べればあまり重要ではない(と考えられている)。もう一つは、それゆえ建築的に独立した形状をもたない寺院や祠が多いことだ。道端や住居・店舗の一室にリンガや神像が置いてある事例は数え切れない。なかでも興味深いのは、もととは独立して建っていた寺院が、周囲の増築の結果、他の建築物に囲い込まれてしまうという事例がしばしば見られることだ。筆者はこのような寺院を「融合寺院」と名付けて注目している。
写真1:街角にあるヒンドゥー寺院。
シカラと呼ばれる尖った屋根形状が特徴的
写真2:住宅の中にあるリンガ。もともと寺院だった場所が住宅に変化した
増築で囲い込まれた「融合寺院」 
 「融合」の様子は多様である。隣接する建物にめり込んでいたり、シカラの上を建物が覆っていたり、四方上方を囲い込まれた寺院のシカラだけが屋上から突き抜けてたりといった事例が見られる(写真3~5)。内部にはリンガが据えられ、寺院機能はちゃんと維持されているものが多い。現地ではありふれた現象のため等閑視されているものの、極めて興味深い現象である。
 聖地ゆえの寺院の多さと人口圧力による土地不足がその背景にあるのは明らかであるが、不思議なのは寺院を壊さずにわざわざ新しい建物に組み込む点である。ヒンドゥー教では寺院の破壊や用途変更は原則として禁じられているという。あるいはすでにある寺院を壊すことをためらう素朴な宗教心に基づくのかもしれない。いずれにしても注目すべきは、融合寺院が既存寺院をいわば地形と同等の前提条件として受け容れ、その上に新たな建設を重ねるというシンプルかつ強力な手法で、新旧の都市空間の融合を実現している点である。
 ある土地に古くからある寺院があり、そこに何らかの開発の要求が生じた場合、普通は寺院を壊して開発を実現するか、あるいは寺院を残し開発を諦めるかの二者択一を迫られる。しかしここで融合寺院は、(まがりなりにも)寺院の機能と形態を残しつつ新たな建築物を覆い被せるというアクロバティックな方法で、その対立を超えている。「融合」の具合は乱暴で暴挙と紙一重である。苦肉の策というのが実際かもしれない。しかし結果として立ち現れたその姿は、三千年にわたって聖地でありかつ生活の場であり続けたヴァーラーナシーという都市の歴史性と特質を如実に表現するものとなった。また同時に都市空間更新におけるストックの維持と活用という問題に対して、一つの明快な答えを提示している。この現象を〈場所の記憶を物理的に継承しつつ都市空間を更新するシステム〉 として評価できないだろうか、というのが筆者の目下の関心事である。 
 
写真3:「水平型」融合寺院:外壁も塗り分けられている 写真4:「垂直型」融合寺院:屋根の上を居室がまたぐ 写真5:「包含型」融合寺院:屋根以外は包まれてしまっている 
重層性を備えた都市空間に向けて
 近年日本でも、景観法(2005)や歴史まちづくり法(2008)の制定が示すように、歴史性のある景観を都市の重要な価値と見なす考え方が定着してきた。しかしながら、京都や奈良といった豊富な歴史的文脈を有する都市はむしろ稀であり、郊外やニュータウン、戦災により歴史的市街を失った都市など、そもそも依拠すべき歴史性が薄い都市が多いのが我が国の現実である。そのような都市において、いかにして将来にわたって歴史性を担保した都市空間および景観形成が可能だろうか。
 人間は時間的な生物であり、空間において時間的痕跡が読み取れることが居住環境の豊かさに繋がる、という環境デザインにおける歴史性の本質的意義を論じたのはケヴィン・リンチ(「時間の中の都市」1974)であった。その指摘が示すように、都市における歴史性とは、その地における経時的な人の営みが、過去だけでなく未来にわたって、空間的に蓄積され表現されることで形成されるものである。そのように考えれば、都市の歴史性の育成のためには、過去に連なる「歴史的建築」の維持や発掘だけではなく、現在普通にある「歴史的ではない」要素をも都市の歴史的営みの一部として捉えるという視点が欠かせない。そして次代の更新にあたって、それらを都市の記憶=時間的痕跡として物理的に継承・蓄積していくための具体的な方法論が求められる。これは既存ストック活用という、もう一つの現代的テーマへの応答ともなるはずである。
 筆者がインドの「融合寺院」に注目するのは、このような問題について考える上での格好のケーススタディになると考えるからである。もちろん日本とインドでは歴史・文化的背景はもとより木造と組積造という構法の差も大きく、「融合寺院」を単純に手法論として日本に適用することはできない。しかし蓄積の上に蓄積を重ねる「ビルト&ビルド」とでも言うべきその手法は、スクラップ&ビルドあるいは歴史的
意匠の再生・模倣といった、都市を時間的にも空間的にも分断する手法では実現し得ない、時間的な連続性と重層性を備えた都市空間を創出するのための、一つのヒントとなると考えている。      (了)