保存情報 第142回 | |||
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 旧糟谷邸 | 塚本隆典| 塚本建築設計事務所 |
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主屋 | 茶室 | 長屋門 | |
■発掘者のコメント 愛知県内最古の木造建築物、国宝・金蓮寺弥陀堂の西約1㎞に旧糟谷邸はあります。ほどよい散策距離で、同じ敷地に吉良図書館と尾崎士郎記念館が併設されています。 『愛知県の近代和風建築』によれば、「旧糟谷縫右衛門家は、初代は室町後期にこの地に住み、江戸時代地主となり、米穀販売で財をなし、江戸末期には江戸へ搬出する三河木綿の総問屋を営み、名字帯刀を許された商家であった。大きな2階建ての主屋の回りを、長屋門、2棟の土蔵、屋敷神祠、庭園が取り囲み、県の指定文化財となっている。これらのほとんどは江戸中期以降に建設されているが、主屋の西側に隣接する離れは、明治後期に貴賓の接待のために増築されたと考えられ、『お部屋』と茶室からなり、統一性のある数寄屋造りとなっている」とのこと。 茶室・庭園は表千家久田流、長屋門は糟谷家が御用達を務めていた大多喜藩小牧陣屋(吉良町小学校)から移築されたものといわれています。 土蔵は、戦前までは、約10棟が屋敷の北東から東側を取り囲むように立ち並んでおり、昭和20(1945)年の三河地震による被害や、戦後の事業撤退により現在は2棟を残すのみとなっています。 昭和57(1982)年旧吉良町が、町民や観光客に開放、保存のため、1億円で購入。総額約6千万円で3年かけて修理しました。14代目当主の縫右衛門さんが昭和56(1981)年8月、85歳で亡くなられ、「家屋敷を町のために使ってほしい」と遺言状を残されたとことが保存のきっかけになったとのことです。 |
所 在 地:西尾市吉良町荻原大道通18-1 開 館:9:00 ~17:00 月曜休館(祝日の場合は開館し火・水休)、祝日の翌平日、年末年始(12月29日から1月3日)休(※平成25年度) 入 館 料:高校生以上 一人300円(中学生以下は無料) 団体割引(20人以上)一人250円 ※旧糟谷邸、尾崎士郎記念館、書斎とを併せた金額 交 通:名鉄西尾線吉良吉田駅下車 徒歩20分(吉良図書館となり) 東名岡崎インターまたは音羽蒲郡インターから東へ約40分 電 話:0563-32-4646 指 定:愛知県の有形文化財(1985.7.21) 参考資料:『愛知県の近代和風建築 愛知県近代和風建築総合調査報告書』(2007年 愛知県教育委員会)、中日新聞、中部讀賣新聞 |
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データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 福田一豊|福田建築事務所 | ||
*1 五条橋、中橋、納屋橋、伝馬橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋 *2 橋名が上畠橋(うわばたばし)と複数の年代の古地図 に記入されている。 所 在 地:名古屋市西区那古野1丁目および中区丸の内1丁目 地下鉄桜通線「国際センター駅」より徒歩8分 建設時期:昭和13(1938)年 構 造:鉄筋コンクリート造、三径間桁橋 参考資料:堀川沿革史、尾張名陽図会、名古屋市史地理編、愛知県の地名など名古屋市都市景観重要建築物 |
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■発掘者のコメント 以前スケッチをしたことがある橋が、円頓寺商店街東側入口と丸の内を結ぶ堀川に架かる五条橋です。堀川は、慶長15(1610)年徳川家康の命により名古屋築城の資材の運搬や城下に暮らす人々の食糧、燃料などの生活物資を輸送するため名古屋城の西の堀留から熱田区まで開削された運河で、当時堀川には七つの橋(堀川七橋)(*1)が架けられ、五条橋は最も上流に位置していました。創建当時は木造橋でしたが、現在は昭和13(1938)年に鉄筋コンクリート橋に付け替えられています。御影石の親柱、高欄、擬宝珠(ぎぼし)に木造の橋の意匠を残し、路面の割石張り舗装も、古い時代の面影を残しています。名古屋開府に際し、清須の五条川に架けられていた橋を移築したしたことが名前のルーツとなっていますが、擬宝珠に「慶長15年」より古い「慶長7年任寅6月吉日」の銘があることがその根拠となっているようです(*2)。 現在、擬宝珠はレプリカで本物は名古屋城に保存されていますが、江戸時代の絵図には四カ所、昭和初期の写真には六カ所、現在は十カ所と時代によって数が違い、歴史を検証することの難しさを実感します。 この橋の西北の袂の四間道の民家に見られる屋根神様が屋根でなく地上に遷座していることや、物資の流通を行う場所を指定した公共物流場の遺構、今では五条橋にしか残されていない標柱など、興味は尽きません。 |