保存情報 第141回
登録有形文化財 旧湊屋店舗兼主屋・土蔵  谷 進|タクト建築工房
 
湊屋店舗 土蔵 西倉・東倉  湊屋店舗および門 渡船場史跡
■紹介者コメント
 東海道宮(熱田)宿と中山道垂井宿を結ぶ脇街道「美濃路」は、「七里の渡し」と鈴鹿峠を迂回する街道として重宝された。美濃路7宿のうちの一つ起宿は、木曽川の起渡船場のある宿場町で水陸交通の拠点として賑わった。上流から定渡船場、宮河戸、船橋河戸の3つの渡船場があり、この湊屋店舗は最も多く利用されていた定渡船場に向かう往還の北端に建っていた。西に進むとすぐに渡船場があり、今は史跡として石碑が建っている。湊屋は起宿船庄屋のもとで船方肝煎(きもいり)を務め、渡し船を扱うほか、年貢米輸送や遠隔地と取引を行うなどの有力商人でもあった。
 店舗兼主屋は、敷地の南西角に街路に面して建ち、建物の東寄りに通り庭を配する。主屋より東に伸びる板塀の中央に庭へ入る門を構え、広い敷地間口を有する。土蔵は敷地の北西に建ち、2階建ての西倉と東倉の間を平屋の中倉がつなぎ、これらが中庭をはさんで母屋と対峙している。
 所有者の転居を機に建物調査がなされ、平成22(2010)年に登録文化財に登録された。同時に建物の利活用も模索され、現在は市民団体「湊屋倶楽部」が管理活用に当たり、「茶店湊屋」(水・土・日営業)、湊屋朝市(毎水8 時~)、その他各種催し物が展開されている。近くには墨会館(丹下健三氏設計)が修復整備されつつあり、一宮市内・美濃路界隈の今後が楽しみである。(参考: 美濃路探訪/一宮市尾西歴史民俗資料館、美濃路・起宿「湊屋」公式サイト)


所在地:愛知県一宮市起字堤町33-1
旧湊屋店舗兼主屋(登録番号23-0327):
木造2階建て、切妻造り、平入り、桟瓦葺き、桁行13.1m 、梁間12.4m 
江戸前期、1959(昭和34)年改修 
旧湊屋土蔵(登録番号23-0328):土蔵造り2階建、切妻造り、桟瓦葺き 
西倉/桁行7.5m 、梁間3.8m
東倉/桁行7.5m 、梁間4m 
江戸末期、昭和前期・中期移築増築
登録有形文化財 小野田家住宅  山上 薫|山上建築設計


主屋/木造2階建て、寄棟造り、桟瓦葺き、
    建築面積|292.30㎡、延床面積|436.04㎡、
    建築年|明治19(1886)年、棟梁|伊藤典太郎
長屋門/木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺き、
    建築面積|77.68㎡、延床面積|77.68㎡、
    建築年|嘉永2(1849)年頃、棟梁|不明
登  録:2012年国の文化審議会が登録を答申、
     今年度登録の見込み
参考資料: 豊橋市教育部美術博物館 記者発表資料
外側から見た長屋門 主屋南面  玄関土間より西側座敷を見る(写真撮影:小野田益巳)
■紹介者コメント
 小野田家住宅は豊橋市南部、国道42号線の南側で、遠州灘に面した段丘上、渥美半島の根元ともいえるところにある。小野田家は江戸末期に庄屋を務めていた旧家で、12代当主の吉次郎(1822-80)は酒造や薬品販売にも手を広げ、繁栄の基盤を築いた。仕事で江戸に出向くことも多く、そこで武家屋敷の門構えが気に入り、自宅に長屋門をつくったと言われる。明治時代に入り吉次郎は国学を学び、神道に傾倒して、村全体を神道に改めさせた。明治9(1876)年には長屋門で郵便取扱所を始めるとともに製糸業を中心とする殖産興業を村に広めた。
 敷地は約2,400坪と広大で、樹木に覆われている。主屋(13代当主澄吉郎が建築)の外観は重厚なもので、南から長屋門を入った敷地の中央に建っている。1階は正面右手の大戸から中に入ると表土間と台所土間があり、その左手に南北2列に6部屋が並ぶ。建物正面中央部には式台が設けられており、ここから神棚のある座敷に直接入ることができる。南と北の縁側を除く1階部分がそのまま2階になっており、表土間の上は納屋で、その他に座敷が4部屋ある。後年西に座敷2室が増築され、東と北にも増改築が施されている。1階と2階にこれほど多くの座敷を持った住宅は周辺になく、この家の繁栄を物語っている。
 長屋門は武家屋敷の門構えをまねて建てられたといわれ、江戸末期の庄屋としては格段に立派なものである。門の中央は両開き戸で、右側にはくぐり戸がつく。門の正面右に1室、左に2室があり、納屋として使われた。
 現16代当主は建物を残したいとの思いで長年努力してきた。今もご夫妻の住居として使われているが、高齢となり、今後の維持管理についての悩みをお持ちのようである。登録を契機に行政の適切な対応を期待したい。