保存情報 第140回
登録有形文化財 天狗総本店  中澤賢一|堀内建築研究所
建築当時の写真 現在の全景 天狗の意匠と尖塔
■紹介者コメント
 天狗総本店はJR高山駅前から広小路通りを東に歩き、さんまち通りへと続く宮川にかかる筏橋のすぐ手前にある精肉店です。伝統的な和風建築が建ち並ぶ古い町並みには珍しい洋風の建物で、竣工は昭和11(1936)年、外観は一見RC造のようですが、木造2階建て、建築面積103㎡。設計は袈裟丸与三吉、大工は西田清と伝えられています。最上部には尖塔が並び、トレードマークの「天狗」と「精肉」の文字が描かれ、2階角中央部にはバルコニーが付設されています。
 「天狗」は昭和2(1927)年、初代山口培次郎が営業を始めましたが、この屋号は家畜商(馬喰)をしていた山口が取引先の金沢にある大規模精肉店の屋号を受け継いだそうです。先代5代目へのインタビューによると、昔は外壁が洗い出しだったそうですが、降雨のたびに壁が濡れ色になるのを嫌って、その昔(文化財登録前)にすべて吹き付けとしてしまったそうです。この事実を悔やんだ識者の進言が多く寄せられたため、文化財登録後はなるべく建築当時の姿に近くなるよう、色を調整し、吹き付けし直したとのことです。
 窓も当時の木製開き窓からアルミ引違窓へと改修されましたが、2階角のバルコニーは当時から全く変わっていないそうで、テレビが普及する前は、ここにラジオを置き、拡声器を使ってまちの人々へ向けてラジオ中継を行っていたそうです。
1階売り場も改修が行われ、街角の表情もやや変わってはいますが、現在も木造建屋が並ぶ街並みの中で異彩を放ち、ランドマークとなっていることには変わりません。
 店舗隣りに併設される食事処「天狗」へ今回は伺えませんでしたが、次回はぜひその味を堪能しに訪れたいと思います。


所在地:岐阜県高山市本町1-21
登録番号:21-0031(2000年4月28日)
交  通:JR 高山駅より徒歩10分
T E L:0577-31-0147
営  業:AM9:00 ~PM18:00
     火曜定休
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 四郷郷土資料館(旧三重郡四郷村役場)  坂本 悠|有理社
坂を上がると見えてくるシンボルの塔 玄関 車寄せ   玄関正面 北側高台より見下ろす全景
■発掘者のコメント
 四郷(よごう)村はこれといった資源もない小寒村であったが、幕末から近年にかけて製糸・製茶・醸造・それらの関連産業が盛んになり、近代産業の発祥地として三重を代表する経済・文化栄える村となった。これら産品の輸送のため、四日市まで村の有志により県内初の私鉄(内部(うつべ)・八王子線)が敷かれたほどで、全国でも珍しい特殊狭軌のミニ電車(軌道幅76.2cm)のかわいい車両は、存続の危機にあるものの今も通勤・通学に利用されている。
 明治22(1889)年の市町村制の実施と同時に四郷村が誕生し、昭和18(1943)年に四日市市と合併、高花平、笹川といった大規模な住宅団地の開発により、現在では市最大の人口を抱える地区となっている。
 四郷村役場は村の代表的な先人産業三重紡績(後の東洋紡績)の発足者伊藤傳七が郷土への恩返しにと、大正10(1921)年に6万円(現在の5億円?)の大金を寄付し建てられたものである。小高い丘陵の坂道を上っていくとシンボルの塔が青空を背景にそびえ立つ。木造2階建ての正面に車寄せと玄関があり、1階が執務室、2階が会議室や小部屋、モダンな応客用のカウンターなども当時のままで残っている。狭い螺旋階段を上がると四郷村が一望できる気持ちよさで、全国一の村役場と村民自慢の庁舎であったことがよく分かる。昭和40年代までは市の四郷支所として使われ、新しい支所ができたために閉所、取り壊しの運命だったが、地元民の存続運動で昭和57(1982)年四日市市有形文化財に指定され、「四郷郷土資料館」として今日に至っている。
 設計者は当時東洋紡のお抱え技師であった野田新作(三重県初の設計事務所開設者)を中心とする設計組織で、庁舎のほかにも工場、社屋、学校、住宅など多くを手がけたが現存していない。

所在地:三重県四日市市西日野町3375