インドの都市から考える
第4回

水辺の建築空間 ガート

柳沢 究|名城大学理工学部建築学科 准教授
  やなぎさわ・きわむ| 1975 年横浜市生まれ。
2001 年京都大学大学院修了。
2003 年神戸芸術工科大学助手。
2008 年一級建築士事務所究建築研究室設立。
2012 年より現職。博士(工学)
作品:「斜庭の町家」「紫野の町家改修」「SAKAN Shell Structure」ほか。
著書:『京都げのむ』「生きている文化遺産と観光」「無有」ほか。
受賞:地域住宅計画賞、京都デザイン賞入選、雪のデザイン賞奨励賞、タキロン国際デザインコンペ2等ほか。
インドでは水辺が建築化される
 インドの各地を旅して気がつくのは、川や池といった水域の周辺がしばしば広範囲にわたって階段状に整備されていることだ。そのような水辺に設けられた階段状の施設を総称して「ガート(Ghat)」と呼ぶ(写真1)。水辺を階段状に整備するのは、水位の変動にかかわらず水面へのアプローチを可能とするためであろう。護岸や船着場、水辺の作業場としての機能もある。もとより水辺はインドに限らずとも生活にとって欠かせない場所であり、類似した水辺の階段状施設は世界各地に見ることができる。日本では、瀬戸内海地方を中心に「雁木」と呼ばれる同様の施設が見られる(特に鞆の浦の雁木はガートとよく似ている)。
 しかしインドほど水辺を建築化することへ執着する文化は、世界的にみても珍しいように思う。最もシンプルなガートでも最低数メーあり、多人数によるさまざまな利用を許容する規模を有している。複数の階段が複合し池の全周がガートで覆われていたり、時に寺院や宮殿などの建築と一体化した大規模なコンプレックスと呼びうるものようにインドで多様なガートが建設される背景には、水辺がヒンドゥー教において極めて重要な宗教的意味を持つという事情がある。
 ヒンドゥー教では聖地のことを「ティールタ(tirtha)」と言うが、この語はもともとサンスク端的に示すように、ヒンドゥー教では水にまつわる場所が神聖視される。その理由は、第一に水そのものが聖なる力を有すると罪や穢れをも浄化するとする思想である。この感覚は日本人にとっても馴染み深い。その力の直接的な利用法である沐浴は、ヒンドゥー教で最も重要な儀礼の一つである。第二にヒンドゥー教において特に重要なのは、水辺が死と深いかかわりを持つという点である。南アジアで最も広く行われている葬制は火葬であるが、これは残った遺灰を川に流すという水葬儀礼をともなっている。その遺灰は川を流れ下り、やがてはシヴァ神の住界への出発点であり、それゆえ水辺(とりわけ川辺)は神聖な場所とされるのである。
ヴァーラーナシーのガート 
 現在、建築的にまた活用状況においても最も魅力的かつ壮麗なガート群が見られるのが、北インドの聖地・ヴァーラーナシーである。ヴァーラーナシーは、川が神聖視されるインドにおいて(ガンジス川やヤムナー川をはじめとするインドの主要河川の多くは女神として神格化されている)、最も篤く信仰されるガンジス川の西岸に位置する。高密な旧市街は川になだれ込まんばかりに水際ぎりぎりまで迫り建ち、南北約6kmにわたるその川岸のほぼ全面が、幾重にも連なるガートにより隙間なく埋め尽くされている。
 ガンジス川は乾期と雨期とでは7m前後の水位変動があるため、ガートの高さは数mから高いものでは10m程度におよび、その背後にはインド各地の王侯貴族により建設された宮殿や大小の寺院が建ち並んでいる(写真2)。これらのガートは毎朝、旭日を拝しながら沐浴やプージャー(祭祀)を行うインド各地からやって来た夥しい巡礼者で賑わっている。ガートとその背後の建築群は、三日月形に流れる川に沿って湾曲し、さながら東岸に昇る太陽と巡礼者とを包み込む円形劇場のような的な空間をその場に生みだしている。
写真1:川岸の全域が建築化されたヴァーラーナシーのガート。川の流れに沿って弧を描いている 写真2:ガートと背後に立ち並ぶ建築の複合。 雨期には中ほどまで水没する
 
写真3:火葬ガートの様子。背後には薪が積まれている 写真4:最もよく見られるガートの日常風景
葬送空間としてのガート
 「大いなる火葬場」とはヴァーラーナシーの異名であるが、この都市が格別な聖地とされる大きな理由は、都市の中心に火葬ガートを抱いていることによる。現在では二つのガートがその役割を負っている。そこには、荼毘に付され遺灰をガンジス川に流されることを望む人々が、インド各地から年間数万人、死ぬ川岸には荼毘の煙が日夜絶えることがない(写真3)。
 火葬ガート周辺には、生前からこの地で臨終を迎えることを望む人々が滞在する、俗に「死を待つ家」と呼ばれる施設が複数あり、ヒンドゥー教の死生観を如実に示す場としてしばしばメディアにも紹介されている。しかし少なくとも150年前、状況は現在とだいぶん異なっていた。当時死の直前に都市へ連れられてきた人々の多くは、何のケアも受けずガートにそのまま露天で放置されたり粗末な小屋に寝かされたりして、ただ死を待つのみであったという。19世紀前半に当地に滞在したイギリス人神父はこの状況を「ガート殺人」と呼び、憤りを込めて弾劾した。そして衛生学と人道主義に則り、ガートに病人を「遺棄」することを禁ずる法律が制定されることになる。けれど法的規制にかかわらず、死にゆく人々はやはりガートに運ばれ続けたという。当局はさらにガンジス河岸での火葬そのものの禁止を目論んだが、やがてそれが不可能な試みであることを悟るにいたる。「火葬場が都市のためにあるのではなく、都市が火葬場のためにある」とは、当時の行政文書に記された文言である。
 インドの伝統的葬送制度との対決を諦めたイギリスは、その後、公衆衛生向上と近代医療の普及による状況の改善につとめる。「死を待つ家」は、そのような近代的衛生概念とヒンドゥー教的死生観との妥協、あるいは融合の産物として、20世紀初頭に成立したと考えられる。聖地としてガートのあり方もまた、少しずつ変容しているのである。▪生活空間としてのガート
 
写真5:蒸し暑い雨期後半の夕涼みに集まる人々
生活空間としてのガート
 しかしながら、巡礼者で賑わうガートや火葬ガートは、川岸に広がるガートのごく一部を占めるにすぎない。ガートの残りの大部分は都市住民の日常生活に供されている。ガートは水浴(水泳)や洗濯、商売、散策や休息(夕涼み)、社交に子どもたちの遊び、さらには家畜である水牛(水牛の生命維持には定期的な水浴が欠かせない)の水浴びの場として、きわめて日常的な生活行為が営まれるパブリックなオープンスペースである(写真4・5)。図1は旧市街地中心部のガートにおける、ある時間帯の使用状況を記録したものであるが、巡礼者や観光客が行き交うガートが、同時に実にさまざまな生活行為の舞台となっていることが分かる。当地では、日中の暑い日射は基本的に好まれないが、ガートに付随する建築的要素(周辺建物のベランダやニッチ、テラスなど)は適度な日陰の居場所をつくり出し、さまざまな余暇的行為に開放的で快適な環境を与え、都市の公共の居間と
して機能している。とりわけ子どもたちにとっては、高密度な市街地にはない広々とした絶好の遊び場となっているのである。 このような自然地形と人工構築物、さらに人間の諸活動が渾然としながらも調和して営
まれているガートの風景は、ヴァーラーナシーのみならずインドを代表する文化的景観といってよい。 
 
 図1:ガートの利用状況。洗濯物を干す場所としても利用されている