保存情報 第137回
登録有形文化財 三嶋暦師の館  山田正博|建築計画工房
玄関 玄関の間 上段の間
■紹介者コメント 
 伊豆国の一宮、三嶋大社に参拝し、足を東へ進めると三嶋暦師の館へと至る。三嶋暦を代々発行してきたと伝えられる河合家(社家の旧家)の邸宅である。安政の大地震(1854年)で母屋が倒壊した後に、韮山代官江川太郎左衛門の計らいにより、十里木(裾野市)の関所を解体、移築された建物。特色のある瓦で葺かれ、正面に起り破風付の式台玄関を備えた木造平屋建て、漆喰塗りの真壁造り。 
 この建物を河合家から寄贈されたのを機に、三島市はせせらぎ事業の一環として、耐震補強を施し、壁を白く塗り替えて、平成17(2005)年4月から暦の歴史・文化に親しめる場として活用できるようにした。玄関の間は11帖あり、天井も高くなっている。右に控の間、一段と高い上段の間となり、その奥に展示スペースへと続く。三嶋暦の関連資料や三島茶碗が展示され、ボランティアによる説明も受けられる。
 大安とか友引という六曜は日常生活に今でも深く結びついている。多くの伝統行事は月とのかかわりが深い旧暦時代に生まれたものであり、各地のお祭りが十五日に多いのも明るい満月の下で催したからのことと思われる。
 明治5(1872)年11月9日付の太政官布告によって、12月3日を太陽暦の明治6(1873)年1月1日に定めることが通達された。旧暦の1年12カ月では354日となり、太陽の周期より11日ほど短い。これを調整するため、2 ~ 3年に1度13カ月とした。これだと日付を見ただけでは季節が分かりにくいので、太陽の動きに合わせ季節が分かるようにしたのが、立春から大寒までの二十四節気である。今でも広く使われ、春分・清明・穀雨など季節の移ろいを感じさせてくれる。


所在地:静岡県三島市大宮町2-5-17
TEL 055-976-3088
毎週月曜日・年末年始休館 入館無料
登録番号:22-0113
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 九々五集  林 廣伸|林廣伸建築事務所
   
 
椿世(左と中上の写真) 河原田(中下と右の写真)
■発掘者のコメント
 「亀山モデル」で名を馳せた亀山市だが、一私企業の消長に翻弄されている感もある。もともと亀山は鈴鹿峠越の地勢により古来東西交流の結節点であり、重層的に歴史的集積度が高い。交通では旧東海道が通り、関宿内では東西に追分があり、東海道を介して伊賀・伊勢にも通じていた。近年においては関西本線が通り、今日では、東名阪や第二名神も接続し活況を呈している。
 また、古くはヤマトタケルの伝説も残る。亀山駅前で我々を迎えてくれる大鳥居はヤマトタケルを祀る能褒野(のぼの)神社の一の鳥居であり、神社のわきにはヤマトタケルの墓と比定される王陵もある。時代は下って県指定史跡の多聞櫓とその石垣が残る亀山城、合併により編入された重要伝統的建造物群保存地区に選定されている関宿などの豊富な歴史遺産を有している。平成20年には金沢市、高山市、萩市、彦根市とともに「歴史まちづくり法」の認定を受けた。「歴史的風致維持向上計画」を策定し、歴史的遺産の活用に努めているが、「歴史的」ではなく「歴史」そのものの維持向上に努めてもらいたい。
 ところで亀山には江戸時代中期、大庄屋打田権四郎昌克が亀山藩内の集落を記録した『九々五集』が残っている。86 ヶ村を九×九+五とした判じ物のユニークな書名である。ここにも出てくる椿世(つばいそ)、河原田の集落は鈴鹿川の河岸段丘で起伏に富み、至る所に魅惑的な石積がみられる。だが、椿世は急傾斜崩落危険地区で、一部の石積がコンクリート擁壁に置き換わっている。安全を計算で示すことを求められているのだろうが、「科学的である」とは「科学的でしかない」と言えるかもしれない。

所在地:
河原田/三重県亀山市阿野田町
椿世/三重県亀山市椿世町