インドの都市から考える
第1回

巡還と囲繞の都市構造

柳沢 究|名城大学理工学部建築学科 准教授
  やなぎさわ・きわむ| 1975 年横浜市生まれ。
2001 年京都大学大学院修了。
2003 年神戸芸術工科大学助手。
2008 年一級建築士事務所究建築研究室設立。
2012 年より現職。博士(工学)
作品:「斜庭の町家」「紫野の町家改修」「SAKAN Shell Structure」ほか。
著書:『京都げのむ』「生きている文化遺産と観光」「無有」ほか。
受賞:地域住宅計画賞、京都デザイン賞入選、雪のデザイン賞奨励賞、タキロン国際デザインコンペ2等ほか。
 今年4月に名古屋に移り住み、この連載を担当させていただくことになった。筆者は建築計画・設計を専門とするが、10年以上にわたってインドに通い都市空間の調査を続けている。学生時代のアジア放浪旅行の最中にふと立ち寄った、ヴァーラナシーという都市の成り立ちに素朴な関心を抱いたのが出発点であった。以来現在に至るまで、その都市の発する不思議な魅力に導かれながら、南インドまで手を広げつつ研究を続けてきた。根っこにあるのは、複雑な都市や建築の形がどのような要因と過程を経て形成されてきたか、という興味である。研究の着地点はいまだ模糊としているが、インドの都市を見つめる中で、都市や建築を考える上でのさまざまな示唆を得てきた。この連載でその一端を紹介できればと思う。まずは筆者がフィールドとしている2つの都市、その概要とヒンドゥー教のコスモロジーと結びついた都市構造について紹介したい。
ヒンドゥー教のコスモロジー
 広大な国土の上に多民族による複雑な歴史と文化の綾が覆いかぶさる多様なインド。そのインドをまとめる重要な紐帯の一つがヒンドゥー教である。ヒンドゥー教は“way of life”、生き方そのものであるといわれる。それは、その観念や世界観が神々への信仰にとどまらず、日々の生活のあらゆる場面に浸透しているからである。もちろん都市や建築も例外ではない。
 ヒンドゥー教の基層をなす観念の一つに「浄/不浄観」がある。世界には清浄(神聖・高貴)と不浄(穢れ・邪悪)の二極とその中間のさまざまな段階があり、その配置や関係をコントロールすることで世界の秩序は保たれる、というのが基本的な考え方である。いわゆるカースト制度とは、この観念が人間の階級区分と結びついたものである。またこれが世界観に適用されたのが、神々の住むメール山(仏教でいう須弥山)を頂点とする同心円構造のコスモロジーである(図1)。
 筆者がフィールドとするヴァーラナシーとマドゥライという2つの都市では(図2)、このようなヒンドゥー教のコスモロジーが、それぞれ異なった形で都市空間に投影されている。
図1:同心円状の世界の中心にそびえるメール山(出典:杉浦康平・岩田慶司、「アジアのコスモス+ マンダラ」 講談社、1982) 図2:ヴァーラナシーとマドゥライ
   
図3:ヴァーラナシー旧市街の様子 図4:同心円を描く巡礼路群とその構造ダイアグラム
ヴァーラナシー(Varanasi)
 インド中北部・ガンジス川中流域に位置するヴァーラナシー(日本では「ベナレス」と呼ばれることが多い)は、ヒンドゥー教最大の聖地として世界にその名を知られる。ガンジス川の水はすべての罪障を浄め、死後に遺灰を川に流せば輪廻からの解脱が約束されるという。そのため都市にはインド中から年間200万を超える巡礼者が訪れ、川辺の火葬場では荼毘の煙が絶えることがない。
 ヴァーラナシーの旧市街は三日月状に流れるガンジス川の片岸に広がる。狭隘な街路に家々が隙間なく建ち並び、場所によっては人口密度が6万人/ km2を超える高密な都市空間である(図3)。そのような街並みの中に、神話や伝説に彩られた夥しい(一説では3,000という)数の寺院・祠が存在する。そして驚くべきことに、これらのうち重要な寺院・祠を結ぶ巡礼路が、街の中にいくつも設定されている。ヴァーラナシーは巡礼の対象となる都市であると同時に、都市内部に巡礼路を有した「巡礼都市」なのである。
 なかでも重要視されているのが同心円を描く五つの円環状の巡礼路である(図4)。それぞれが数十以上の寺院・祠を繋ぐこれらの巡礼路は、①結界性(巡礼路の内側は聖域となる)、②階層性(内側の巡礼路ほど功徳が高い)、③神々のマンダラ(ヒンドゥー教の方位・数のシンボリズムに即した神々の配置)といった特徴を持つ。つまりこれらの巡礼路群は総体として、前述したヒンドゥー教のコスモロジーを都市スケールで具現化しているのである。巡礼者は都市内の巡礼路を巡還することで、同時に世界全体をも巡還することになり、都市は巡礼者と世界の媒介装置として聖性を獲得するという、きわめて整然とした構図がここには成り立っている。
 実のところ歴史的に見れば、これらの巡路は必ずしも聖跡に基づいて自然発生したわけではなく、時どきに創作され修正されてきた。身も蓋もなく言えば「後付け」である。しかしながら、巡礼地となっている寺院や祠は、日本の寺社がそうであったように、地域コミュニティの生活や信仰、交流の核でもある。現代的な視点で見れば、この巡礼は迷路のように複雑な街路を巡礼路というナビゲーションに導かれ、都市各部の地域コミュニティを順次訪ね歩くという都市周遊ツアーともいうべき側面をも有するのである。そう考えると、個人と地域、さらには都市・世界とを結びつける「メディアとしての巡礼路」の価値は、今も注目に値するのではないだろうか。
マドゥライ(Madurai) 
 南インドの南端部タミル・ナードゥ州一帯にはヒンドゥー教の大寺院を中心に抱く「寺院都市」が数多くある。その最大のものがマドゥライである。マドゥライは、中心にある巨大なミーナクシー寺院を同心方形状の街路が四重に囲繞するという、特異なマンダラ状の形態を有する珍しい都市である(図5)。この都市形態は、16世紀頃この地を治めた王朝の首都として、計画的に建設されたものである。
 南インドでは古くから王権と寺院の結びつきが強く、寺院の社会的・政治的な重要性の増大と並行して、寺院建築は周辺住民の集会や教育・演劇のための建物をはじめ、次第に居住地をも境内の中に囲い込みながら複合化・巨大化を遂げ、やがて都市的な様相を帯びていった。寺院建築はそもそも単体として、ヒンドゥー教のコスモロジーの空間的表象として計画されていたのであるが、それが都市スケールまで拡大適用されたものが、マドゥライを代表とする「寺院都市」である。
 マドゥライでは、このような都市の象徴的構造をトレースし再確認する祭礼が今も続けられている。タミルの暦に従って月に1度、神像を乗せた山車や神 輿が街路を巡行するという、日本各地で見られる山車祭りにも似た祭礼である。同心方形状のそれぞれの街路を巡行する軌跡は、1年かけてマンダラ状の都市構造をトレースすることになる。とりわけ4月から5月に催されるチッタレイ祭は、都市建設当時の市街地最外縁であったマシ通を、イスラム教徒さえも含む都市の全住民が参加して、巨大な山車を引き回すという盛大なものである(図6)。そこでは、神々が世界=王国の縮図である都市を幾重にも巡ることで、領土全体に対する神=王の支配権が繰り返し表現されているのである。
 このような都市構造を補強する祭礼は、実はマドゥライの整然とした都市形態に歪みを与えてもいる。歪みはマシ通の四隅が(直角でなく)丸みを帯びた鈍角であることに起因するが、これはマシ通を巡航する巨大な山車が、スムーズに旋回するために生じていると考えられている。都市に投影された理想像の実地運用にあたって生じたズレという点で、興味深い現象である。
   
図5:マドゥライの都市形態 図6:同心方形状街路を巡行する巨大な山車(出典:Devadoss, Manohar, "Multiple Facets of My Madurai", Madras: EastWest Books , 2007)