これからの都市計画とまちづくりを考える
第1回

持続可能な安全安心社会を目指して

村山顕人
(名古屋大学大学院環境学研究科 准教授
むらやま・あきと|名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻・准教授(工学部環境土木・建築学科/減災連携研究センター兼務)。
1977年生まれ。
2004年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻博士課程修了、博士(工学)。
東京大学国際都市再生研究センター特任研究員を経て、
2006年10月から名古屋大学に在籍。専門は都市計画・まちづくり。
2004年日本都市計画学会論文奨励賞受賞。
共著に『世界のSSD100:都市持続再生のツボ』(彰国社)、『都市のデザインマネジメント:アメリカの都市を再編する新しい公共体』(学芸出版社)など
「プランナー」という職業
 「ARCHITECT」連載の機会を頂戴し、誠にありがとうございます。私は、大学では都市工学専攻で学び、その後も都市計画・まちづくりの研究・教育・実務に携わってきましたので、読者の皆さんのような建築家ではなく、「プランナー」です。ファイナンシャルプランナーやウエディングプランナーをはじめとして何らかの計画を立案する専門家は皆「プランナー」と自称するので、何のプランナーなのか聞かれることがありますが、主に都市圏・自治体・地域・地区の空間形成にかかわる計画の立案(プランニング)を専門としています。
 私も入会する米国都市計画家協会(American Planning Association:APA)によると、プランニング(planning;urban planning,city planning, regional planningとも呼ばれる)は、現在および将来の世代のために、より利便性が高く、公正で、健康的で、効率的で、魅力的な場所を創造することによって、人々とコミュニティの福祉を改善するダイナミックな仕事です。また、プロのプランナーは、コミュニティの将来像を構想する手助けをするだけでなく、調査やデザイン、プログラム開発を行い、パブリック・プロセスを導き、社会変化に影響を及ぼし、技術的な分析を行い、マネジメントし、教育する役割をも担います。現在の私の仕事も格好良く言えば概ねこのようなものです。
 本連載では、私が「プランナー」として携わっている都市計画・まちづくりの仕事についてご紹介し、今後、読者の皆さんと一緒に仕事をするきっかけをつくりたいと勝手に思っております。今回はイントロです。
   
東山スカイタワーから見る名古屋の市街地  堀内公園の観覧車から見る安城の市街地と農地
どのような都市を目指しているのか   
 自らを「プランナー」と呼ぶからには、どのような都市を目指しているのかを勇気を出して説明しなければなりません。勇気がいる理由は、都市の構想・形成には、そのつくり手・使い手である市民、企業、政府、非営利活動団体などの多様な主体が関与しており、目指す都市の姿は、本来、多様な主体の熟議を通じて導かれるべきだからです。しかし、「プランナー」としては、都市の現状分析や将来予測に基づき、多様な主体の意向や活動を理解しながら、都市の方向性を示す必要があると思うため、賛否両論を覚悟して説明します。
 まず、都市基盤の整備や維持、修復に必要なコストを可能な限り削減し、環境問題の緩和と超高齢社会への対応に向けて都市構造を再編するために、公共交通機関をはじめとする都市基盤が整備され、かつ、災害危険度の低い適切な場所に都市の諸機能を誘導し、多様性を持つ魅力的な都市空間を創出・維持する一方、都市基盤の密度が低い地域では自然環境や農地を積極的に保全・復元する−これは、徒歩・自転車・公共交通機関・次世代小型自動車による移動を前提とする「集約型都市構造」です。そして、大型商業施設・娯楽施設や工場・物流施設は高速道路・幹線道路ネットワーク上に分散的に配置する−これは、自動車・トラック・鉄道による効率的な移動・運搬を前提とする「分散型都市構造」です。この2種類の都市構造がレイヤーとして重なっているようなものが目指すべき現実的な都市構造だと考えています。
 実際、自らの生活を振り返っても、徒歩や公共交通機関を利用して行動するときは「集約型都市構造」を、自動車を利用して行動するときは「分散型都市構造」を意識し、その両方が重なって機能しているように見えます。2種類の都市構造が共存していることを認識した上で、両者のバランスを考えること、つまり今日では、環境、超高齢社会、財政などの制約から、「分散型都市構造」の進行を適切に制御し、「集約型都市構造」を強化していくことが求められています。
   
錦2丁目長者町。夏祭りの際にストリートウッドデッキを仮設置した 海外の大学との国際建築・都市設計ワークショップ
自動車依存型郊外生活から歩いて暮らせる「駅そば生活」へ
 前述の内容の背景には、これまでの学修や研究の他、自らの生活体験があります。私の父は団塊の世代で自動車会社の技術者でした。自動車利用を前提とする郊外生活を嗜好し、埼玉県川越市の郊外にある、1970年代に開発された戸建て住宅地に自宅を構えました。私が10歳の頃に米国へ転勤となり、ロスアンゼルスの郊外で2年、コロンバスの郊外で3年弱、家族4人で生活しました。家も庭も広く、緑豊かで快適な居住環境でしたが、ゾーニングが厳格なので住宅地には商業施設がなく、公共交通機関もないので、どこへ行くのも親に車を出してもらう必要がありました。広い戸建て住宅の冷暖房や移動のための自動車に相当量の資源・エネルギーを使っていたと思います。大学で都市計画の勉強をしながら、徐々に自動車依存型郊外生活の主に環境面での課題が見え始め、歩いて暮らせる市街地での生活を嗜好するようになり、大学院2年目に大学近くで1人暮らしを始めました。以降、結婚して2人の幼児がいる現在に至るまで、職住近接と歩いて暮らせる「駅そば生活」を続けています。一方で、超高齢コミュニティとなってしまった実家の郊外住宅地の今後は、いろいろな面で心配があります。 
最近の仕事 
 私の仕事は、大きくは研究・教育・実務に分かれますが、このうち研究と実務は、主な研究内容が計画制度と計画策定技法なので、ほぼ一体化しています。
 実務では、まず、東海地方の多くの自治体の総合計画、都市マスタープラン、景観計画、中心市街地や駅周辺の計画の策定に携わる機会に恵まれています。中でも、2011年12月に策定された名古屋市の都市マスタープランは、「集約連携型都市構造の実現」「地域まちづくりの推進」など研究に基づく先端的な内容を盛り込みました。現在進行中の長久手市の公園西駅周辺環境配慮型まちづくり基本構想・基本計画の策定は、低炭素街区群に関する研究と連携させています。東日本大震災後は、中部圏・愛知県・基礎自治体の災害に強いまちづくりの検討にも参加しており、これは名古屋大学減災連携研究センターの取り組みと密接な関係にあります。一方で、名古屋市中区錦2丁目長者町、同名東区藤巻町、名古屋港周辺の地区スケールのまちづくりもお手伝いしています。都市生活の質を低下させることなく、生産年齢人口減少、高齢者激増、財政難、環境問題の深刻化といった進行性リスクに適応しながら、巨大地震の到来という突発性リスクに備えることが共通の課題です。
 大学における教育では、通常の講義のほか、「建築・都市設計実習」に力を入れています。これは、都市の具体的な地区を対象に、現状分析・将来予測をもとにコンセプトを検討し、マスタープランをまとめ、建築や公共空間のデザインを行うものです。2009年度からは、フランスのパリ・ヴァル・ドゥ・セーヌ国立高等建築学校を中心とする海外の大学との交流を進め、国際建築・都市設計ワークショップも定期的に開催しています。
 第2回以降の連載では、持続可能な安全安心社会を目指す上記の仕事のいくつかを紹介します。