近代建築に寄り添ったステンドグラス
第6回

東海地方の近代建築ステンドグラス

金田美世|工房 我羅 主宰
  かねだ・みよ|工房 我羅(Glass art & design)主宰(1986 ~)。
名古屋造形大学非常勤講師。
PILCHUCK GLASS SCHOOL( 米)(1992&1995)。
メッセフランクフルト(独)国際見本市作品出展(2004)。
国立故宮博物院(台湾)講演(2011)。
現在、名古屋工業大学大学院 博士後期課程
木内家資料から近代のステンドグラスの調査研究をしてきた。最終稿は、この紙面で記す機会がなかった東海地方のステンドグラスの一部を挙げて結びたい。  
調査・修復
○矢橋亮吉邸(大垣市) 大正13年(1924) 設計:岡本徳一郎 
 矢橋邸(矢橋商店)は、中山道の宿場町JR美濃赤坂駅構内地続きの敷地に、現在も矢橋大理石㈱の事務所として現役。近くの山から採掘の大理石をもって近代建築を凌駕した石材店だ。木内と矢橋商店は同じ建築に数々かかわった。大正期では大阪中央公会堂、大阪市庁舎、岐阜県庁舎などだ。同邸は大理石をふんだんに使用した2階建て。建物すべての空間が光と色彩に導かれた美しい洋館だ。18か所あるステンドグラスのデザインは、鹿、フクロウ、オウムの動物模様、植物、幾何模様と数えたら13種。落ち着いた色彩のステンドグラスの数々と大理石を隈なく使用した矢橋邸はショウルームも兼ねていたのだろう。2009年日本建築学会大会では、木内家資料より見つけた矢橋邸の縮尺デザイン画(図1)などから建築年代と、ステンドグラス制作者が木内真太郎であることを発表した。 
 
図1 「矢橋商店」と書かれた美濃和紙デザインと矢橋邸ステンドグラス
○名古屋控訴院庁舎(名古屋市市政資料館) 大正11年(1922) 
ステンドグラスが随所に設置されている。木内制作の可能性も考え現在調査中。メインは正義と公平のシンボルの天秤を描いた左右対称紋様の正面階段室ホール壁面パネル。また1階階段室吹き抜け真上に、青色ガラスが四周ボーダー模様となった天窓もある。 
○伊藤銀行本店(名古屋市) 昭和5年(1930) 設計:鈴木禎次
資料収集の調査中、鈴木禎次のサインが入った三菱東京UFJ銀行の前身だった伊藤銀行本店設計図面に出会った。史料では、3階客室(貴賓室)とベランダに通じる欄間のステンドグラスが知られていた。今回の研究でさらに1階からの階段室に「ステンドグラス」と書き込まれた図面が新出。「伊藤銀行本店、設計図面NO.48 西階段詳細図1階廻り」。美濃和紙手描きの美しい図面だ(図2)。これらの詳細は不明だが、禎次はステンドグラスのある空間を、建築のステータスを高めるために必要としたのだろう。残念なことに建物は現存しない。代々続く松坂屋伊藤家の資産管理会社である伊藤産業合名会社と地下で結ばれた、私的要素の強い贅を尽くした銀行であった(本年9月、「伊藤銀行本店」と題して名古屋大学での日本建築学会大会にて発表)。   
 図2 「伊藤銀行本店 設計図面No.48
○本多忠次邸(岡崎市) 昭和8年(1933) 設計:本多忠次
平成14年、博物館明治村飯田喜四郎先生からステンドグラス修復のお話を受けた。東京都世田谷区から岡崎市に復元移築のため解体保存されている本多忠次邸のステンドグラスだ。同年9月の暑い日、岡崎市教育委員会生涯学習課係長I氏と保存管理場所まで出かけ梱包を解き調査をした。思ったほど傷んでいないものと、大きく膨らみ修復しなければならないものとが混在した。真太郎時代の色ガラスを保存し、修復技術を持つ玲光社に連絡を取り、同年、11か所14枚の修復を執り行う。制作者は真太郎ではなく、宇野澤の流れをくむ技術の高い職人らしいことを本多家の資料から推測できた。色使いは見事で、当時よく使われたデザインだ。本年7月修復が完了し、一般公開中。
明治村での修復
2000年秋、日本建築学会東海支部歴史委員会主催で博物館明治村にて「親と子の建築講座」のステンドグラス講師を務めた。自宅兼工房が明治村に近かったこともあり、ここから明治村での修復の繋がりが始まった。ボランティアとしてかかわった村内の建築物は4件ある。
○旧帝国ホテル 大正12年(1923) 設計:フランク・ロイド・ライト
2001年春から明治村に毎週1回通い、修復に携わった。現在の部材と違い、ステンドグラスを繋ぐH型鉛(桟)ケームの幅が3㎜弱、厚みが約1㎜だ。鉛桟は金属劣化もあり半田付けは苦労をした。鉛桟を新しく組み直せば早いのだが、雰囲気が変わるため、打ち合わせて当時の素材を修復に使用した。デザインは一辺約17㎜の四角ガラスを格子に3段積んだ単純なものだ。金箔を挟み込んだものは千鳥状に配置。光を受けたときに□のガラス片が波状に輝き踊る個性的なデザインだ(図3)。
 
図3 明治村 帝国ホテル ステンドグラスの一部分 図4 明治村 芝川邸 ステンドグラス
○聖ザビエル天主堂 明治23年(1890) 設計:(仏)パピノ神父 
明治22年、京都河原町三條にそびえ建った木造洋館。正面バラ窓、丸窓、尖塔アーチ窓などの窓面は、表裏2枚のガラスを鋳鉄製サッシュの十字桟で受け、両面パテ止め。内側の色ガラスに白色塗料の亜鉛華で植物紋様を描き、外側は透明ガラスの複層だ。破損から雨水が内部に溜り亜鉛華の絵柄が少しずつ今も消えている。外観は白色のレース模様に見え、堂内は5色の色ガラスで荘厳な雰囲気だ。丸窓の修復に参加した頃『明治村建造物移築工事報告 書聖ザビエル天主堂』の資料収集を手伝い、研究の面白さに気付く。天主堂外観の白色レース模様について、2005年日本インテリア学会大会にて発表をした。 
○芝川又右衛門邸 明治43年(1910) 設計:武田五一
兵庫県西宮市にあった大阪の貿易商、2代目芝川又右衛門の別荘。2007年、明治村に移築。玄関階段下の小さな窓のステンドグラス修復を依頼された。青色のガラスがバックの草花模様(図4)。大きな破損はないが、ひどい汚れを水洗い。仕上げ作業の鉛桟を磨いていたら全体に金色がうっすら認められた。鉛桟には金色の鍍金が施されていたのだ。夜間、室内灯に輪郭だけが金色で浮かぶ華麗なアート空間だ。玄関壁面の渦巻漆喰金彩仕上げのインテリアとマッチするよう、武田五一は仕掛けたのであろう。  
○坐漁荘(西園寺公望別邸) 大正9年(1920) 
ただいま修復作業中。完了予定の来年末まで見学はできない。昭和の初期に増築された洋間にステンドグラス建具が4本ある。菱格子の単純なデザインだが、薄い青みを感じる乳白色ガラスは雪が積もったかの雰囲気だ。現在、明治村建築担当のIさんと修復の相談中。 
おわりに 
近代建築のステンドグラスがその建築物と共に人々を魅了している。透過する光と色彩が関係しているのか! 木内真太郎の残した美しく貴重な資料に出会い、光と色、その影を追いながら多くの近代建築の調査をしてきた。またそれらにかかわる人々の熱意にも影響され、やっとの思いでここまで研究が進んだ。
 まだまだ調査は続く。JIAの先生方にも励まされ、1年間の執筆ができたことに感謝をいたします。(了)