保存情報 第130回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 白雲座  坂本 悠|有理舎
外観 舞台下 舞台。上から寄進札が下がる 壁に残る古い興行ちらし
■発掘者コメント
 白雲座は下呂から20分ほど中津川方面へ戻った門和佐部落の白山神社境内に、山深い景色を見下ろすように建っています。名前は白山神社に由来しているようです。
 建物は「門和佐の舞台」として国重要有形民俗文化財に指定されており、切妻屋根、妻入りの貴重な劇場型舞台空間です。江戸時代末期に拝殿型の舞台部分がつくられ、その後客席部小屋を増築して明治23(1890)年3月27日舞台開き。その記録を、舞台内部の柱や壁に書かれた落書きの中に見つけることができます。建物は間口約16.4m、奥行き約20m。舞台は間口10.9m、奥行き9.1m、回り舞台の直径5.4m。450人を収容する2階桟敷を持つ芝居小屋です。
 舞台下に下りると、コマを人力で回す押し棒やすっぽんがあり、楽屋や裏方のスペースは傾斜地を利用した明るい空間になっています。
 江戸時代以来、農民の大きな楽しみは祭礼の奉納行事として自ら演ずる地芝居・農村歌舞伎で、江戸から役者を呼び本格的に競演するほど力の入ったところもありました。昭和に入り戦争と新しい娯楽のために衰退しましたが、近年になって地域伝統文化復興の機運が高まり、文化遺産を生かした地域の活性化にと復活。現在全国で182の保存会があり、うち56会が東海地方で、特に東濃地方は熱心に保存されています。
 白雲座も昭和40年代には幼稚園や寒天倉庫に使用された後、取り壊し売却の話が出ましたが、昭和53(1978)年国の文化財指定を機に、地元の方々の熱意と努力によって「白雲座歌舞伎保存会」が結成され、毎年11月の白山神社の祭礼に合わせて「白雲座地芝居公演」が行われるまでに復活し、町内外の人々の楽しみとなるとともに次代へと受け継がれています。
 入場料は取らずに神社寄進の形でいただくお金と公演冊子の広告料など300万円で興行費用を賄っているようで、場内に張られた寄進札が村芝居の雰囲気を盛り上げています。

所在地: 岐阜県下呂市門和佐/門和佐白山神社
アクセス: 下呂方面から国道257号線を10分ほど、門和佐方面の標識を県道62号線へ右折、5分ほどで笹峠を越して小さな案内板を左折
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 一宮市役所本庁舎旧館  谷 進|タクト建築工房
 
正面玄関(隣接地は新庁舎建設工事中) カウンター(天板: 大理石、腰: テラゾー) 国旗用金物(左右からの国旗はここで交差)
■発掘者のコメント
 大正10(1921)年市制が施行され一宮市は誕生し、市制10周年を記念してこの建物は建てられた。中庭に議場を設けたE型プランの2階建て鉄筋コンクリート造に、新築時は木造平屋が中庭を閉じるように建ち、ロの字型平面となっていた。日本の鉄筋コンクリート造建築は大正初期に始まり、東海地方の庁舎建築の鉄筋コンクリート造は大正末期の旧岐阜県庁舎(1924年)、旧加納町役場(1926年)、昭和初期に一宮市役所、名古屋市役所(1933年)、静岡市役所(1934年)、静岡県庁(1937年)、愛知県庁(1938年)と続いた。鉄筋コンクリート造の庁舎はさほど多くはないが、いち早く一宮市庁舎をつくったのは繊維産業で栄える当地の勢いだったのだろうか。
 北東角を隅切りした正面玄関は端正な顔立ちで、天井照明廻り・廻り縁・柱などに控えめながらも装飾が見られる。玄関前で国旗を交差させて掲げるための金物も朽ちることなく現存する。外壁は縦長の窓を挟むように2層通しの大小の柱が繰り返し並び、人造石塗りの仕上げには切石積み風に目地が切られている。玄関を入ると正面に階段。左右に進むと客溜まりと執務室を区切るオープンなカウンターが伸びている。この形態はそれまでにない試みであり、「日本の市庁舎ではじめて採用された」と当時の竣工写真帳にも記されている。階段の親柱や議場2階の傍聴席を支える片持ち梁など、幾何学模様のデザインが面白い。
 昭和35(1960)年に新庁舎の建て替えが検討されたが、当時は反対の声が強く隣接地に増築することとなった。再び平成21(2009)年に合併特例債による建て替えが議論され、分散化する庁舎を統合するよう建て替えが決定した。戦災を免れ長きにわたり一宮の近代史を眺めてきた歴史遺産だが、いよいよ役目を終えようとしている。
所在地:一宮市本町2-5-6
建設年代:1930年(昭和5年)
設計者:松本善一郎(元愛知県技師)
施工者:土井新太郎/榊原信太郎