近代建築に寄り添ったステンドグラス
第5回

重要文化財「萬翠荘」のステンドグラス

金田美世|工房 我羅 主宰
  かねだ・みよ|工房 我羅(Glass art & design)主宰(1986 ~)。
名古屋造形大学非常勤講師。
PILCHUCK GLASS SCHOOL( 米)(1992&1995)。
メッセフランクフルト(独)国際見本市作品出展(2004)。
国立故宮博物院(台湾)講演(2011)。
現在、名古屋工業大学大学院 博士後期課程
 平成23年秋、四国松山城の麓、華麗なフランス風洋館が重要文化財の指定を受けた。
 松山藩といえば司馬遼太郎の『坂の上の雲』を思い浮かべる。まさしく秋山好古(よしふる)が仕えた旧藩主、久松定謨(さだこと)伯爵の松山別邸である。明治中頃、定謨はフランスのサン・シール陸軍士官学校に留学、好古も藩主の命を受け定謨に仕え、卒業後、共に帰国する。その後も伯爵は駐在武官としてパリ勤務につき、都合15年間のフランス滞在であった。
 設計は木子七郎。父、木子清敬、兄は木子幸三郎だ。木子七郎は松山別邸にかかわる建築視察のため大正10年2月に西欧に船出し10月に帰国。このとき、木内家資料によると木子七郎に外遊の餞別を贈っている。萬翆荘は大正12年3月の竣工予定であったが、実際は大正11年11月に竣工した。 
 
 萬翠荘 外観(ホテル14階の窓から撮影)
伯爵家感謝状
 木内真太郎の娘、故富左江さんのメモに「久松家感謝状あり」とある。その感謝状がなかなか見つからない。「感謝状ってなんでしょうねー。見たことありま
せんか? おばあちゃん(富左江さん)の部屋の隅からでも出てきませんか?」と幾度もカオルさん(玲光社2代目保英氏の妻)に聞くが、「知りません」との返事。
 木内真太郎の研究から2年ほどしたある日、電話でカオルさんに「明日調査に参ります」と伝える。翌日、大阪の木内家を訪れると、真太郎の回顧録「自己記・昔の昔」と伯爵家感謝状が出てきたことを知る。彼女は私からの電話を受けた直後、仏壇の上の隙間のずーっと奥からこれらを探し当てた。「私も初めて見ました。ここから見つかったということは、金田さんには真太郎おじいちゃんがついてはる。不思議や」とカオルさんは言う。
 感謝状には「大正11年11月 皇太子殿下松山市ヘ行啓ニ付當時新築中ニ係ル一番町別邸ヲ御泊所ニ御治定相成急遽竣工ヲ要スルニ當リ精励努力克ク其目的ヲ達成セシメラレタルヲ感謝シ茲ニ金一封贈呈致候 大正11年11月 久松伯爵家 木内真太郎殿」とある。萬翠荘に伝わる摂政宮(皇太子であった昭和天皇)の松山行啓に関しての内容はここに一致する。ほとんどの資料が失われていた萬翆荘にとって、この感謝状は貴重な資料だ。行啓のため竣工を急いだ、という事実が初めて認識された。 
 
 木内に贈られた感謝状
謁見の間 蝶が舞うデザイン 2階 階段室ホール 大階段 踊り場
萬翆荘の調査に行く
 平成22年5月、JAL名古屋(小牧)空港便廃止のニュースを知り、JAL名古屋⇔松山線のチケットを取る。家から車で20分足らずの便利な空港である。全日空便松山行は中部国際空港発着で、家から空港まで片道約2時間かかる。時間と体力を考えるとこの機会は逃せない。
 とりあえずステンドグラス写真を撮影するため、伯爵家の感謝状コピーを携え松山へ。松山空港からリムジンバスに乗り松山市内、全日空ホテル前の停留所(大街道)で下車。目の前のちょいと無粋な裁判所建物を左手に、右手は安藤忠雄設計、坂の上の雲ミュージアムの建物に沿う道を70 ~80mほど歩く。
 萬翆荘入口の門に到着。重要文化財指定を受けた可愛い洋館、旧管理人舎を左手に見る。さらに庭園内の坂道をゆったり登ると左右非対称、塔屋のある2階建て洋館が萬翆荘だ。館長八木健氏にお会いして木内真太郎の資料の説明をする。旧藩主定謨の孫、定成氏の妻,昂子(たかこ)さんも来館。インタビューをさせていただく。その日のその時点まで、萬翆荘パンフレットおよびすべての資料には、ステンドグラスは「ハワイに特注した」とある。私の突然の訪問に本当に木内家資料を信じていただけたのか、不安も少し残る。
 その後、館内のステンドグラス写真撮影に実測も加える。玄関正面から目に入る階段室大窓ステンドグラス「帆船にカモメ」以外は、すべて出入口扉上の欄間に嵌め込まれている。脚立が必要だ。借用した脚立を脇に抱える。建物を傷つけぬよう、部屋から部屋を縫うように欄間ステンドグラスの写真を撮り、寸法を採る。これほど多数のステンドグラスが嵌め込まれているとは意外で嬉しい悲鳴だ。この実測資料が後に、奈良文化財研究所からの「萬翆荘調査報告書-萬翆荘ステンドグラス制作者-」の執筆依頼を受けたとき大いに役立った。木内家資料が世に出る機会をいただき、ありがたく執筆をした。
 ステンドグラスの種類は扉上部欄間が17か所。階段室大窓の「帆船にカモメ」は9枚組で構成され、幅約3m、縦約4.5mの大きなものだ。
記念講演会
 重要文化財指定の記念行事が萬翆荘では数々行われている。私も講演の機会をいただいた。今年6月初旬、謁見の間にて開催された記念講演会は「萬翆荘のステンドグラスの魅力と制作者木内真太郎について」がテーマ。以下に、その内容をまとめた。
①デザイン構成
 欄間のステンドグラスのすべてに菱の紋様が入り、縦格子に中心模様。左右、上下、または対角に対称模様。
②島津公爵邸との絡み
 久松伯爵の妻貞子は、島津忠義公爵の娘である。コンドル設計島津公爵邸も大正6年に行幸啓あり。木内が制作したステンドグラスがある。 
③感謝状
 急きょの制作をねぎらい金一封が出た。レベルの高い作品の制作期間を短縮する工夫と謎。 
④まとめ
 木子七郎と木内はステンドグラスの最大の見せ場を2階迎賓室に求めた。部屋から階段室への出入口扉を両脇に開けると、大海原にゆっくり進む帆船が伯爵をフランスへと誘う仕掛けだ。大窓全体のバランスから船のサイズが小さいのが気になっていたが、やっと謎が解けた。
 講演会は岐阜高專准教授清水隆宏氏の手伝いもあり、無事終了。立ち席が出るほど市民の皆さんに愛されている館(やかた)だ。出会えた幸せを実感する。同じ日に、記念行事として玲光社3代目、木内英樹さんのガラスアート講座が同館地下室で開催された。受講者各人が作品を手にして大満足であったと聞く。
 前述の報告書は河田克博教授(名工大大学院)の指導を受け無事執筆ができた。教授は出かけた折、足を延ばして萬翆荘を視察し、学生である私をフォローしてくださった。河田研究室では学ぶ喜びを堪能している。
ステンドグラスメモ 
❖制作期間の短縮の工夫
 対称模様の場合、ガラスカットに必要な型紙制作は、約半分、または約4分の1で済む。左右・上下など反転して、型紙の表裏を使用する。境目にかかる部分は模様をそのまま型取る。木内は基本的には、この対称模様を好んだ。
 
約4分の1の型紙制作で済むデザイン