まちの風景
第1回

街路景観の形成について思うこと

大影佳史|名城大学理工学部環境創造学科 准教授
  おおかげ・よしふみ|京都市生まれ。
京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程(~1998.3)。
京都大学大学院工学研究科助手(1998.4 ~)。
博士(工学)京都大学(2002.11)。
名城大学理工学部講師(2003.4~)。
同准教授(2007.4 ~)。
一級建築士。
作品に「京都大学総合博物館(南館)」「愛知万博瀬戸会場竹の日よけプロジェクト」。
共著に『都市・建築の感性デザイン工学』『建築思潮05(漂流する風景・現代建築批判)』など。建築・都市・環境デザイン
 京都から名古屋に赴任し10年目となる。まちや風景について考えることがより多くなった。雑文ではあるが、そんなこんなを記してみたい。
 まずは赴任直後、一番に感じたこと。景観のまとまりのなさ、乱雑さとでも言えばよいのだろうか。当初、地下鉄の駅を1つずつ降りて地上に出てみたことがある。どこで降りても印象はほとんど同じ。特徴が見出しがたい。建築や都市にかかわる者として、いったい何ができるか、そして何が必要か。
 そんなとき、京都の市街地のとあるメイン道路に面して建つ事務所兼店舗施設の建て替え計画、設計について検討する機会があった。規模は小さく通常の戸建て程度、あるいはそれ以下のスケールである。近隣に著名な寺社仏閣もあり、歴史の重層性も感じられる地域であることから、事務所兼店舗という建築の内的条件を満たすことは当然のことながら、地域あるいは通りの景観形成の一端を担う建築として何がそこにあればよいのか、どのような存在・たたずまいがありえるのかを常に考えながらの検討となった。スケールは小さいながらも、このような建築物の集積が、通りの、あるいは地域の景観を形成することになる。
 検討に当たって、形態や色彩その他、あるいは通りを特に特徴づける要素や、周辺環境の中で規範となりそうな事項、また地域や通りの文脈がきっと存在するであろうこと、そしてそれを読み取り計画に反映させることが可能であり、必須であると考えた。そこで、まず通りを構成する建築物の連続立面写真(写真1)を作成し、状況を把握することにした。しかし思いに反して、有効な手がかりを得ることが困難であり、むしろかえって混乱を生じる結果となった。
 沿道の建築物群(現況建物も含む)には、強い連続性や秩序も見出しがたく、このような景観にどのような接続を行うべきか、頭を悩ませることとなった。
 そんな中、店主の母の子どもの頃の記憶として、店舗前面の街路樹を用いてゴムとび遊びを行っていたこと、昔はこのあたりは雑木林であったことなどを知ることができた。そのような時間軸上での地域の特性や隣地の条件、その他諸々の条件もかさなって、隣地を取り込み敷地面積を確保し、街路樹の存在ともあわせ、雑木群を配し、そうした環境の中での佇まいをコンセプトとして検討を行うことにした(実際には施主の敷地の高度利用の要求との間に挟まれることになる)。顛末はさておき、そんな事例から考えたことを記してみたい。 
 
 街路景観連続立面の例
 景観を形成する個々の建物の姿を実質的に決定しうるのは、さまざまな規制や制約があったとしても最終的には結局、個人の施主と設計者の意向が強い。本事例のような街路景観の様相は誰がつくってきたのか、と考えると、ばらばらな個々の、あるいは1個の建築にかかわる複数の主体の意向の集積の結果とも見ることもできる。
 だからこそ何らかのルールや意識のまとまりが重要であり、またそれらについて住民参加や地域コミュニティの役割など全国でさまざまな取り組みがさかんになされ、事例も数多い。しかし、ここではそのような取り組みの機運も特にみられない。
 本件の場合もそうであったが、隣の建物でさえ、どのような意図をもって建てられたのか、また、将来隣にどのようなものが建つのかも分からないといった不安もある状況の中で、街路の景観形成の一端を担い続けるであろう建築物の設計・計画を行い、姿かたちを決定しなければならないという事態も、現実には多いと思われる。このような状況において、何が必要なのだろうか。 
景観更新の記録と開示
 本件において、これらの街路景観を形成する個々の建物をよく見ると、まったく街路景観の形成に関して意図のないまま建てられたのかというと、そうでもないものも少なからず見られる。
 ここで、これまでどのようなプロセスで現在の状況が生じてきたのかということ、そしてこれからも変化が生じていくであろう街路景観の改変の様子(視覚的に、またできればその時々の計画の意図も含めて)を履歴情報として継続的に記録し、残して開示していくこと、またそのような仕組みが重要ではないかと感じられた。
 その理由はいくつか挙げられる。
 市街地は、あるいは景観は常に変化・改編し続けていく可能性を持ったものであることを前提とすると、時間軸の中で現在の状況を位置づけることが重要であろうと考えられるからである。その過程はその市街地らしさ、あるいは個性を担うものでもあるとも考えられる。そしてそれを後世に伝えていくことには意義がある(この点についてはもう少し考察が必要だ)。
 また、通常、設計者であれば、地域や敷地周辺のコンテクストを把握した上で計画・設計を行うことは当然のことであろうが、現実に、景観形成やその向上につながるようなコンテクストを見出すのが困難な場合も多くあるように思われるし、またそうでなくとも、履歴の情報を知ることは、計画・設計時の手がかりの1つとして有用なものとなることが考えられる。
 また改変が記録され蓄積され、開示されていく(すなわち街路全体を見る視点が設定される)ことになれば、みずからの建築が景観形成の一端を担うものであるという意識、個々の設計者や施主がより深く景観を考える1つのモチベーションになる可能性もある。どこかで記録される、あるいは見られているという 意識は重要である。
 また住民などの意識の醸成がなされている場合でも、まだあまりなされていない場合でも、実際につくる、設計する場合すべては特殊解であり、さまざまな工夫や格闘が行われている(行われてきた)はずである。個別の計画・設計事例において直面している問題をあげればきりがないだろうが、個々の建築にかかわる施主や設計者の景観形成に関する意図が存在する場合については、それらを蓄積・開示していくような仕組みがあってよいはずである。
 以上、地域などの全体を見渡しながら対象の敷地や建築を考えるための手がかりの1つとして、また地域の歴史の記録として、景観更新の記録と開示がなされれば有用ではないだろうかと感じられた理由の主なものである。
京都での敷地周辺の様子1 京都での敷地周辺の様子2
景観にかかわる職
 といっても現実には、ある程度調査は可能であろうが、通常の設計業務を行う事務所などが依頼を受けた敷地のコンテクストに関して、そこまで行うことは困難であろう。また実際、昔の街路の姿を知りたいと思っても具体的な姿の記録、その変化の記録といったようなものは、場所にもよるがそれほど残されてはいない(だからこそ、これからは残していく仕組みがあってもよいのではとも思われる)。どのような場合に、どの範囲を、誰が何をどのように調査あるいは記録を行うのか、またその継続性などの問題も含め、問題は多くあるが、やはり、どこかに、設計者や施主に地域のコンテクスト情報を提供する役割があってもよいのではないか。またそのようなコンテクスト情報の一部として、景観更新の記録があってもよいのではないだろうかと感じられた。
 ここでいうどこかが、また問題であるが、たとえば自治体など行政の役割として、どこまで期待できるだろうか。あるいは大学などの機関も地域との連携において大きな役割を果たしえるだろう。しかしそれだけでよいのだろうか。 
 そう考えると、問題は地域や街路などの全体を見渡して、考えるという行為、またそのような人や機関、企業の存在が、一般にきちんと認知されることと、そのことがどのようにきちんと仕事、職として位置づけられるのかという問題にもつながってくる。
 景観の向上ついて考えるにあたっては、このあたりについても重要な論点があると感じた。