大垣と水の文化

第1回

水の力

車戸慎夫
(車戸建築事務所)
   くるまど・しずお|1947年生まれ。
1974年名古屋大学工学部建築学科
大学院博士課程修了。1983年より
車戸建築事務所代表取締役社長。
JIA岐阜会員。受賞歴:1980年大垣市
立図書館(中部建築賞)、1987年揖斐川町
歴史民俗資料館(日本建築学会100周年記念東海賞)、1995
年西濃運輸竃{社社屋(第1回岐阜県21世紀ふるさとづくり
芸術賞優秀賞)、2001年中山道広重美術館(中部建築賞)
 「大垣と水の文化」をテーマに、6回の連載をすることになりました。文章の一部が過去の「ARCHITECT」に記載したコラムと重複することをお許し下さい。
 第1回は「水の力」と題して、「水」の諸事象について概説します。   
 レオナルド・ダヴィンチは、地球を「生命体」と考えていました。金属は外気温度に合わせて、その個体温度を変化させますが、人間は外気温度の変化にもかかわらず、約36 ℃の体温を保っています。NASAは地球外の生命体を確認する基準の1つに、この人間が持つ「恒温性」を挙げています。大気に包まれて、他の惑星に比べればはるかに恒温性を保っている地球は、その意味ではダヴィンチが考えたように「生命体」ともいえます。
 そして、地球のこの恒温性を、大気と共に維持している重要な要素が「水」です。「生命体」である地球の中では、人間をはじめ多様な生物が、永い進化の過程を経て生存しています。 
 『骨から見る生物の進化』(ジャン=バティスト・ド・パナフィユー著)の中で、進化とは決して進歩ではなく、自然環境に対して変化するものであり、種に固有の価値観があるのではなく、種はある自然環境の中で、生存に有利なように変化するのみと記されています。
 それ故に、人間という種は、「最終目標」では決してなく、生物系統樹の多くの枝のひとつの先端に位置しているだけで、人間がこの世を支配していると考える傲慢さは、人間の未来の輝きを失う結果になる、とも指摘されていました。
 考えてみると、我々は人間こそが生物の「最終」形態であると思いがちです。そして我々は改良と進歩によって生産と消費を繰り返し、地球資源を費やして文明社会の高度化を図ってきました。しかしながら、金融工学の進歩の結果が、今日の経済の混乱であるのならば、福島の原発事故によって明らかになったように、夢の文明システムの中にあった進歩主義の矛盾が、反原発で種々に提案されているエコロジーのシステムの中にも、同様に内在しているかもしれません。
 地球が、生物が、人間が、「生命体」であることを考えるとき、「生命体」を維持する「水の力」を、俯瞰して見ることが、今日ほど大切な時代はないと思われます。
 日本では幸せなことに、特に木曽三川に育まれた岐阜県、そして私の住む大垣ではなおのこと、水資源の涸渇・汚濁問題が意識されずに済んでいます。
 近年、「低炭素社会」を主語にした温暖化防止対策が、そして原発の安全神話が崩れ、種々な再生可能エネルギー・次世代エネルギーの開発が、新たなバブル発生装置のごとく取りざたされています。確かに、原発の安全性が散霧した現状にあっては、太陽光・風力発電など新エネルギーへの関心が高まることは時代の流れでしょう。
 五木寛之の『下山の思想』が話題になっています。日本の文明社会はすでにその頂点を極めたといえます。エネルギー問題を含め人間社会のあり様にこそ「下山」の思考が必要になってくるでしょう。それは、日本ばかりではなく先進各国、いや世界全体が再考しなければならない事柄のような気がします。
 
 『骨から見る生物の進化』(ジャン=バティスト・ド・パナ
フィユー著 パトリック・グリ写真 河出書房新社)
  水の諸事象―『 水の未来』より   
 世界の持続可能な発展を左右する重要にして基本的な問題が、「再生可能な」水資源の確保であることを『水の未来』(フレッド・ピアス著 古草秀子訳)は指摘しています。考えてみれば、電気もなく、石油製品もなかった江戸時代でも生活は営まれ、豊かで清潔な水の確保が当時の重要なテーマでした。
 この本では、食後の1杯のブランデーに2,000?の水が必要であることなど、世界貿易の対象となる産物を栽培・生産するための水=「仮想水:バーチャルウォーター」の輸出入の諸問題が、黄河の渇水化、バングラディッシュのデルタの喪失と水質汚染、そして米国のオガララ帯水層(化石水)の涸渇など、地球規模の食糧自給や温暖化と深く関係し、人類最大の環境問題であることが詳しく述べられています。
  近い将来、清流長良川の鮎が貴重で付加価値の高い輸出品となる日が来るかもしれません。それは日本の豊かな水資源の保全と利活用が、新世紀の新たな日本の国力になると言い換えることもできるでしょうし、世界規模の環境問題へと発展してゆくでしょう。  
  水の単位



人間はスポンジ



食品の為の仮想水






仮想水輸出国
     輸入国

地球は水の惑星
  移動ではな
  く、一瞬の静
  的な全体像
1?−1,000?・・・・ バスタブ約3杯
           バスタブ3,000杯強がオリンピックプール1個
           ナイル川の年間流量は約50k?(アマゾン川−6,000k?) 

1人が1日飲む水 3?〜 5?
   〃  生活水 先進国150?(日本314?)
   〃  芝生への散水含むと  〃 300?〜 400?

米1kg          2,000?〜 5,000? 
小麦1kg        1,000?
じゃがいも        500?
114gのハンバーグを作るのに
必要な牛の飼料 10,000?
コーヒー1kg       20,000?−20t

最大 アメリカ−肉のみで100k?
最大 日本(近い将来、中国)

140億k?−但し97 %以上塩水、3,500万k?(0.25 %)が淡水、しかし3分の2以上が万年雪と氷河に閉じ込められている。
液体の水は1,200万k?−その大半は地下水による帯水層
地球の淡水は20万k?
  内訳 湖沼9万k?、永久凍土など9万k?、水蒸気1万3,000k?、湿地・湿原1万1,000k?、河川2,000k?、植物・人間1,000k?  
 『水の未来』(フレッド・ピアス著 古草秀子訳 日経BP刊)  
 『水の文化』で指摘されている世界の水問題の数例を簡単に紹介します。
?パキスタン インダス川(地図中@)
 1億4000万人の人口を抱えるパキスタンは「インダスの賜物」であり、インダス川は作物の90 %に水をもたらし、電力の半分を供給している。シンド州とパンジャブ州の堰による砂漠化した土地への灌漑により、世界有数の綿花輸出国となっている。しかしながら、塩分を含んだインダス川の水は、徐々に耕作地を蝕み、綿花ばかりでなく、小麦・米などの食糧生産高を減少させ、さらに河口の三角州の天然資源を崩壊させて、農地・漁業を捨てた人々はカラチへ移住し、その大半が無法スラムに住みつき、アルカイダなどのテロ組織の温床となっている。
?インド 地下水の無秩序な汲み上げ( 地図中A)
 灌漑用水路の整備に比べて安価な井戸による無秩序な地下水利用は、貴重な地下水を枯渇させ、農園・水田の喪失ばかりでなく、飲料水の汚染をもたらしている。また、近年のインドの工業の発展はガンジス川流域の水需要を飛躍的に増大させ、下流のバングラディシュのデルタ地帯を不毛地化させ、バングラディシュのさらなる貧困の原因となっている。
?アラル海の喪失(地図中B)
 ソ連崩壊と共に、ウズベキスタンにソ連からの資金が入ってこなくなり、アムダリヤ川の運河は修理されず、水は漏れ、水門は壊れたままで、農業用水の60 %が農地に届くまでに消失してしまう。それは、綿花をはじめ農作物の大幅な収穫減と共に、1,000k?以上の水を有し、豊富な魚類による活気に満ちたアラル海の漁業を失うこととなった。今ではアラル海の水量は以前の10分の1しかなく、世界地図に描かれているアラル海の大半が砂漠へと変わっている。
?インド・パキスタンの水争い( 地図中C)
 カラコルム・ヒマラヤ山脈からの豊富な雪解け水の水利権の確保は、文明社会形成にはなくてはならないもので、両国の領土拡大紛争の主要な原因となっている(いまだに国境が確定していない)。
?コーカサス山脈の水利権 (地図中D)
 コーカサス山脈の南側、グルジア共和国、アルメニア共和国、アゼルバイジャン共和国を流れる川の水利権と、ダムによる発電は、いまだにロシアの支配下にあり、ダムにはロシア軍が駐留している。