保存情報 第126回
登録有形文化財 日本大正村役場(旧明智町役場) 鈴木祥司/アトリエ祥 建築設計
 
明治洋風建築としての全景(西南面) 洋風上下窓がおしゃれな2階会議室 石畳の上り坂と街並み
■紹介者コメント
 恵那市明智町は鎌倉時代1247 年に明知遠山氏の遠山景重が明智城(白鷹城)を築城したところで、中馬街道脇道の宿場町として栄えた。その子孫明智光秀は歴史上有名であり、菩提寺の龍護寺には彼の御霊廟が建っている。戦国時代には織田軍と武田軍の戦いの場となり、明智城焼失の話も有名である。
 テーマパーク日本大正村は初代村長高峰三枝子を起用して町おこしに貢献しており、当役場はその中の観光スポットの1つである。明治39(1906)年から昭和32(1957)年まで町の庁舎として活用され、後に商工会議所、地域の集会所などに利用され、現在は無料休憩所、郷土資料館として使用されている。
 建物は木造2 階建て寄棟造り、桟瓦葺き、下見板張りの洋風建築。窓は上下窓、玄関は寄付形式といわれ、当時のモダン建築として東濃地域のシンボルであった。1 階は事務室、収入役、会議室、いろりの間、当直室、便所が配置され、2 階は議場と町長室があった。 屋根瓦や外壁下見板は手入れされており保存状態はとても良く、装飾も控えめな様相の洋風建築は山間の町に溶け込んでおり、今に活用されていることは価値評価の高いものといえる。
 また、小高い丘陵中腹にあり、石畳の坂道をはさんだ街並みとともに歩く人に心地よさを与えており、長くまちのシンボルであったことがうかがえる。

所 在 地:岐阜県恵那市明智町1844-3
      (TEL:0573-54-3944)
交   通:明智鉄道明知駅より徒歩10分
登録番号:21-0030 
建 築 年:明治39(1906)年
構造・規模:木造2階建て、瓦葺き、建築面積150㎡
登録有形文化財 小町酒造 澤村喜久夫/伊藤建築設計事務所
主屋・塀 通用門正面 主屋土間(店舗)
■紹介者コメント
 小町酒造は明治27(1894)年、金武吉兵衛が年貢米を利用して酒造りを始めた造り酒屋で、現在は5代目蔵元で杜氏でもある金武直文氏に引き継がれている。酒蔵内に自然波動音楽(ヒーリング・ミュージック)を終日響かせる「静音醗酵仕込み」を導入、岐阜の風土を伝える主銘柄の「長良川」が評判となっている。
 建物は創業当時の通用門(明治30(1897)年建築)をはじめ、通りに面して玉石亀甲積み基礎の上に建つ土蔵と塀が落ち着きのある街路景観をつくり、2008年4月、店舗兼主屋、離れなど5棟が登録された。
 主屋(昭和29(1954)年建築)は木造2階建て、切妻造り桟瓦葺き、桁行8間、梁間4間の規模で、軒の出桁造りなどこの地域の伝統的な建築様式を踏襲して建てられ、正面戸口はせいの大きな差し鴨居と五平柱、上部のガラス欄間と軒下に飾られた杉玉が造り酒屋の風格を醸し出している。
 敷地南東隅の土蔵(大正14(1925)年建築)は2階建て、切妻造り桟瓦葺きで、主屋の土間(店舗)から出入りする。外壁は漆喰仕上げの上にささら子下見板が取付けられ、妻面では1、2階の窓の持送りを付けた小庇と窓枠繰形が外観に変化を与えている。
 主屋西側に建つ離れ(明治45(1912)年建築)は木造平屋建て、入母屋造り桟瓦葺きで、南北に八畳間が2室並ぶ。主座敷ではトコと違い棚、付書院を構えその南側を庭園としている。この庭を囲むように桟瓦葺きの塀がコの字型に配置され、東面(主屋戸口左手)に腕木門が設けられている。
 取材当日には翌週に控えた立春朝搾りの様子を聞き、お勧めの天然微発泡のにごり酒を買い求めた。「日本酒から文化を発信したい」との蔵元の心意気が感じられる自然の炭酸味を楽しんだ。

所在地:岐阜県各務原市蘇原伊吹町2-15
登録番号:21-0160(店舗兼主屋)、21-0161(離れ)、
21-0162(土蔵)、21-0163(門および塀)、
21-0164(通用門)