近代建築に寄り添ったステンドグラス
第3回

J・M・ガーディナー建築と木内家資料

金田美世|工房 我羅 主宰
  かねだ・みよ|工房 我羅(Glass art & design)主宰(1986 ~)。
名古屋造形大学非常勤講師。
PILCHUCK GLASS SCHOOL( 米)(1992&1995)。
メッセフランクフルト(独)国際見本市作品出展(2004)。
国立故宮博物院(台湾)講演(2011)。
現在、名古屋工業大学大学院 博士後期課程
聖公会日光真光(しんこう)教会 
 2009年夏、日本建築学会東北大会は、仙台で開催された。昨年の震災で大会会場も大きく被害を受けたと聞く。被災を受けたすべての人々の心に寄り添った1日も早い復興を願う。
 日光市へ行く機会をずーっと待っていた。ようやく東北大会に論文発表をすることで実現する。大会発表の翌朝早々に、清水隆宏さん(岐阜高専准教授)と日光市へ移動する。
 宇都宮からJR 日光線で終点日光駅へ。サプライズがあった。駅舎が貴賓室のある大正元年竣工の建物なのだ。人けがない無料の舎内を見学。2階待合室への階段手すりは、まさしく近代建築。ホール天井に下がるシャンデリアなどの見学ができ少し得をした気分。駅前には人影がなく、タクシーを探すが見つからない。少し離れた東武線日光駅前まで歩き乗車する。運転手さんの話では、東京方面からの観光客は、便利な浅草発、東武線を利用するらしい。東北から入ったおかげでJR日光駅舎に出会えたのも何かの縁であろう。
 駅前から10分弱で、日本聖公会日光真光教会に着く。木内真太郎は自筆にて「日光大谷川畔 大谷川ノ石ヲ以ッテ建設セラル」と記している。大谷川から採取の安山岩を積み上げた、石造平屋建て、切妻屋根、塔屋付きの小さいながらも雰囲気を持った教会である。久保田智牧師に塔屋最上部まで案内を受ける。礼拝堂西側窓(図1)と木内のデザイン画(図2)を見比べる。中心模様は「図2」と寸分違わぬステンドグラスに感銘を受ける。「図1」中段の中心模様は4枚とも絵に焼き付けの技法が施されている。この日の調査も含め、昨年の日本建築学会関東大会(早稲田大学)において「J.M.ガーディナー作品における木内真太郎のステンドグラス」として発表した。
・ 明治42年(1909) 旧村井吉兵衛京都別館(長楽館)
・ 明治43年(1910) 旧内田定槌邸(外交官の家)
・ 大正2年(1913) 小田良治札幌別邸
・ 大正3年(1914年 定礎) 日光真光教会
     
図1 日光真光教会礼拝堂) 図2 木内真太郎のデザイン画
旧村井吉兵衛京都別邸(長楽館)
 京都円山公園内、煙草王といわれた村井吉兵衛京都別邸(長楽館)の木内家資料は3点ある。大正6年発行『建築写真類聚17スティンドグラス』の長楽館の写真裏面(図3)に真太郎が自筆でサインしている。また和紙彩色縮尺のデザイン(図4)は同邸と近似の絵である。
 2年前、京都調査の折、一般客として長楽館の喫茶に入る。暑い日だった。一息ついて室内を見回した。その重厚な仕上げ、豪華さに目を見張る。20年以上前に宿泊したときは安心、安全なレディースホテルとして営業していた。雑誌に掲載された同邸ステンドグラスを見るのが旅の目的だ。自然光の薄暗い館内を探したがほとんど見かけない。当然だ。その当時、本館は全面開放をしていなかったことを最近知り、謎が解ける。現在本館1階は、喫茶、レストランに改装されて、さまざまなデザインのステンドグラスが喫茶室からも目に入る。
 休憩なぞしていられなく、近くのスタッフに館内調査の依頼をする。宴会部のUさんが突然のことにも気持ちよく応じてくれる。1階、2階、3階と見て回る。見たことがないデザインのステンドグラスもあり、見事な調和で各部屋、各所に嵌め込まれている。有名近代建築は比較的調査が進み、ステンドグラス写真を目にすることも多く、木内家資料と照合するとき助かっている。設置枚数が多い建築の場合、今回のように発表されていないものも多々ある。同館は、窓、扉、欄間、扉の袖などに、牧歌調の風景、海、植物、白鳥と水草、和風丸窓、自動車と山道の風景、ゼッセション風デザイン…とさまざま。これらジャンルの違うデザインをどう室内に調和させていったのか? まだまだ研究は続く。
   
図3 長楽館の写真(『建築写真類聚17スティンドグラス』)  図4 和紙に彩色された近似のデザイン(木内家資料) 図5 村井邸 4枚扉(一部)
旧内田定槌邸(外交官の家)
 昨年11月、横浜市山手・イタリア山庭園内・旧内田家住宅(外交官の家)にて「ステンドグラスは語る」をテーマに講演の機会を頂く。明治43年、東京澁谷の南平台に建築され、平成9年、横浜市に移築と同時に重要文化財の指定を受けている。邸内のステンドグラスは村井邸に比べて数は多くないが、同様に質は高い。講演依頼を受け、さらに深く前記4邸、すべてのステンドグラスを丹念に見比べる。共通性を探し、デザインから辿ってみる。村井邸4枚扉(図5)、内田邸食堂窓(図6)の中に、それがあるではないか。ゼセッション風のデザインだが、モチーフがよく似ている。並んだ3つのバラの花、3つの実がなる3枚の葉、葉をつなぐアールの線。遅きに失した気付きだが、学会に、講演にとご来場いただいた方々に明治、大正時代のステンドグラスの歴史と面白みを伝える。
     
図6 内田邸 食堂窓 図7 小田邸のデザイン(木内家資料)  
小田良治札幌別邸 
 小田良治はアメリカの商業学校を卒業後、三井物産札幌出張所長を経て、札幌「五番館」を経営、鉱業を起こし、実業家として成功。道庁近くの大きな邸宅には、昭和12年廣田首相も滞在した。小田邸の木内家資料、2枚の絵ハガキを見る。1枚目は「階段室窓奈良風景図案」とあり、五重塔を手前にデザイン、ほかの1枚はアールヌーボー風、百合とあやめ模様がおのおの描かれた扉のデザイン、「札幌小田邸室内出入口」(図7)である。この時代のステンドグラスデザインの分析に必要な作品資料である。