保存情報 第124回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 窯垣の小径(かまがきのこみち)と窯垣の小径ギャラリー 三輪邦夫/ RE 建築設計事務所
 
窯垣の小径ギャラリー 自然な風合いの窯垣 デザインされた窯垣
■発掘者のコメント
 瀬戸は「やきもの」のまちとして長い歴史を有している。その生産の中心地の一つが仲洞町である。かつては多くの窯元が点在し、陶磁器を積んだ荷車が行き交ったところである。道幅が狭く、斜面が多く、狭い敷地のなか少しでも平らなところを確保するため、ところどころに窯垣(擁壁)を巡らせている。顔料として使われた鬼板(鉄分を多く含んだ粘土)、製品を登り窯に詰めるときの道具「ツク」「エブタ」「エンゴロ」などを埋めこんだ窯垣が「陶都」と呼ばれた往時を偲ばせてくれる。職人たちが仕事の合間をみて無意識に積んだ窯垣は、意識的に積んだ現在の窯垣よりもなぜかその土地に溶け込んでいるように感じる。「デザインとは」を考えさせられる。
 窯垣の小径の中ほどに、「窯垣の小径ギャラリー」がある。江戸時代後期に建てられたといわれている旧窯元の建物である。平成17(2005)年に瀬戸市がギャラリーに改修し、現在は若手陶芸作家の発表の場として、また訪れる人たちの休憩の場として再活用されている。向かって正面中央に平入り切妻瓦葺の主屋、左側に妻入り瓦葺の離れ、右側(入口付近)に妻入り瓦葺の倉庫と、このあたりの窯元の屋敷の典型的な配置である。玄関(にわ)を入るとかつての通り土間があり、その左側に8 畳が4部屋、陶磁器の展示空間となっている。役物の柱は栗材、土間を見上げれば野物の梁が左右、上下とダイナッミクに架けられている。この地方の多くの民家に見られる鳥居建て4間取り形式である。
 一歩足を踏みいれると、いつも空間の豊かさを感じさせてくれる。


所在地:愛知県瀬戸市仲洞町31
     TEL 0561-88-2542
アクセス:名鉄尾張瀬戸駅から徒歩20分
     (尾張瀬戸駅から名鉄バス品野方面、
     名鉄バス古瀬戸経由赤津方面「瀬戸公園」下車 徒歩3分)
営  業:10:00 ~16:00 
     企画展開催時のみ土日オープン 
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 高針界隈 尾関利勝/地域計画建築研究所
東勝寺 蓮教寺 尾張名所図会」にある蓮教寺
■発掘者のコメント
 名古屋の街は、かつて濃尾平野一帯が日本でも有数の荘園地帯だったことから、旧城下町付近を除くと、平安~中世以来の農村集落や街道筋の歴史を伝える街がたくさんある。
 名東区は戦後の区画整理で市街化した新しい街だが、ここにも近世以前の歴史を伝える街がある。かつて城下町と足助を結ぶ中馬街道(高針街道)の宿(新宿の地名を遺す)であった高針界隈もその一つだ。江戸期の愛知郡村邑全図(愛知県図書館蔵)には、牧野ヶ池までを含む山田荘高針村の図がある。 慶長6(1601)年の調べによると石高1675石余、戸数127、人口787 人の集落があった。
 星ヶ丘から梅森、日進市香具山に向かう高針街道の北は、小高い南向き丘陵地に曲がりくねった細い地道が巡り、社寺や旧農家の伝統的住宅建築が、傾斜地の石垣や生け垣、竹藪、社寺林に囲まれて建つ閑静な住宅地である。
 戦国期には高針城があり、保育園を持つ臨済宗済松寺付近が城跡と伝わる。地区の北端にある高牟神社は延喜式内社の八幡社と伝わる古い社で、地区の氏神様でもある。このほか、高針城主加藤勘右衛門ゆかりの真宗大谷派東勝寺本堂は天明7(1787)年の再建で、境内にはクロマツ、クロガネモチの保存樹がある。地区北東に長徳年間(995 ~ 998 年)創建と伝えられる真宗高田派蓮教寺があり、現在の本堂は宝暦8(1758)年の建立と伝えられ、尾張名所図会にも見ることができる。以前にも紹介したが、尾張名所図会は尾張藩士小田切春江(1810 ~ 1888)らによって、天保~明治初年に編纂、描かれ、主に幕末期の尾張の名所旧跡の姿を今に伝える貴重な資料である。
 蓮教寺境内は今も尾張名所図会そのままに遺され、本瓦葺き寄せ棟屋根を持つ棟の短い造りは、庫裏、山門とともに江戸期の様式を良く今に伝えている。ぜひ一度、高針界隈を散策されることをお奨めしたい。

所在地:名東区高針1 ~5丁目、松井町付近
社  寺:高牟神社(旧式内社・八幡社)、東勝寺 本堂=1787年再建、 蓮教寺 本堂=1758年建立
アクセス:市バス・名鉄バス「高針」下車 徒歩5分 
地区の散策は1 ~1.5時間程度