保存情報 第123回 | ||
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 旧小牧宿と岸田家 | 澤村喜久夫/伊藤建築設計事務所 |
全景 | 正面 | 旧中町の屋根神 |
■発掘者コメント 江戸初期に尾張藩が独自で整備した上街道(木曽街道)は、名古屋城下から小牧、善師野、土田の三宿を経て、伏見で中山道に合流していた。この街道につくられた小牧宿は、南より下町、中町、本町、横町、上之町からなり、現在も横町と上之町の一部を除き当時の道幅のまま町並みが形成されている。街道は本町の北で戒蔵院に突きあたり、横町が鍵の手になっている。 旧下町の岸田家は天保年間から小牧村の庄屋を務めた旧家で、屋敷は小牧御殿(後に小牧代官所)の東に位置し、脇本陣の機能も果たしていた。当時の主屋が残されている岸田家では、平成12 ~ 13 年度に半解体修理が行われ、建築年代や建物の変遷が明らかになった。 それによれば19 世紀初頭に、平入り2 階建て、間取りは2 列2 間型の町屋として建てられた。天保年間(1830 ~ 43)に主屋背後に仏間と茶の間が増築され、2 列3 間型の大規模な町屋となった。また同時期に表座敷(ナカジキ)の街道側半分を土間にして玄関の機能を持たせ、庄屋や脇本陣としての体裁を整えたようである。明治以降は度量衡の商いを始め、板の間(ミセ)を通り土間に拡張し、玄関を座敷に戻すなどの改造を行っている。修理工事により、岸田家が小牧宿の中で重要な位置を占め、建物が最も整備された幕末頃の姿に復元、公開されている。 また正面下屋には「屋根神」の祠がある。江戸時代の大火後に祀られ、旧宿場内には10 体余の屋根神が存在していた。岸田家では屋根上に完全な形で残されており、平格子や出格子による表構えとともに、江戸時代の当宿の町屋の姿を今に伝えている。 所在地:愛知県小牧市小牧4-827 指 定:小牧市指定有形民俗文化財(昭和63年指定) 参考資料:小牧市ホームページ 公開状況:見学は予約が必要(小牧市文化振興課) |
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データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 神谷勇雄/ユウアンドアベトウ | |
母屋 | ||
■発掘者のコメント 常滑駅で下車し土管坂を上っていくと、その建物が現れる。 常滑は焼き物の町であるとともに、江戸時代から明治時代まで廻船業が盛んな町であった。常滑、北条、多屋(いずれも常滑に隣接する町)には多くの廻船主が住んでいた。知多半島の廻船を総称して尾州廻船と呼び、常滑湊に近い廻船を常滑船と呼んでいた。瀧田家はそうした廻船主の1 つである。廻船業を始めた4 代目瀧田金左衛門が1850 年代に建造した。 広大な敷地は塀で囲まれ、母屋、離れ、土蔵(いずれも補修修復)、2 つの納戸(新築)などが配置されている。民家としては大変大きい。母屋の間取り構え、胴を固める指物、指鴨居を採用した構造様式などから江戸中期の住宅形式を踏襲していることが分かる。また土間もあり、農家の風情が伝わってくる。庭には水琴窟もある。母屋は坂道の途中にあるため、西側は半地下のような構造になっている。現在は、瀧田あゆち(日本のキャリアウーマンの先駆け)の資料館になっている。離れは、開放的で線が細く数奇屋風である。展示品は古文書(土蔵に収められている)、帆船模型(弁財船)、TV の「JIN- 仁」で有名になった、からくり儀右衛門(田中久重)が発明した無尽灯(現在も使用可能)、船の小物などが展示されている。 瀧田家に嫁いだ「花柳はるみ」(本名:糟谷いし、あゆちの母)は茨城県で生まれ、1918(大正7)年に日本で最初の映画女優として主演した。昭和5(1930)年に瀧田家8代目瀧田英二と結婚し、昭和14(1939)年、常滑に転居した。しかし周りの目は厳しく、暮らしになじむのには時間がかかったようだ。 所在地:愛知県常滑市栄町4-75 面 積:敷地/1,661㎡ 補修復元部分 母屋/301.38㎡ 土蔵/49.58㎡ 離れ/61.09㎡(以上、常滑市指定文化財) 新築復元建物 数棟/132.51㎡ 入館料:300円 |
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無尽灯 |