保存情報 第122回
登録有形文化財 安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)
 本殿・神楽殿ほか
鈴木利明/日本設計
 
本殿 神楽殿
■紹介者コメント
 豊橋市の中心部にある安久美神戸神明社は別名・豊橋神明社とも呼ばれ、その例大祭の「鬼祭」は東三河に春の訪れを告げる風物詩
となっている。
 起源は天慶2(939)年の平将門の乱に遡り、関東平定を伊勢神宮に祈願した京の朝廷(朱雀天皇)はその即成就を喜んで、当地(三河国渥美郡飽海荘)を伊勢神宮に寄進し、「安久美神戸」名の神領地となった際に創建されたのが当社の由来という。その後、戦国時代の今川氏や今橋城(吉田城)築城後の歴代藩主にあつく庇護され、式年造営や神宝奉納などを重ねて近代に至っている。
 主祭神は天照皇大神、本殿は格式高い神明造で、頂部を貫く堂々の棟に居並ぶかつを木(および対を成す端正なぬき木)、その両端に天を衝くV字の千木が神々しい。ただ、起源の伊勢神宮の厳粛に比せば、武家社会の剛健に変遷を辿った感もある。
 登録有形文化財には本殿のほか、神楽殿や手水舎など計5 件が列挙され、本殿と神楽殿の正面を結ぶ八角の石舞台も由緒がある。
 当社で約千年の歴史を誇る豊橋鬼祭は、豊年と厄除けの神事(日本建国神話の古式ゆかしい田楽の舞)で、荒ぶる神・赤鬼の悪戯を武神・天狗が戒めるストーリーが厳かに、やや滑稽に演じられる著名な地域伝承行事であり、結婚式やお宮参り、七五三など日常的な家族行事も併せて、子々孫々この地の敬愛を集めている。
在地:愛知県豊橋市八町通3-17
登録番号:本殿 23-0322
       幣殿および拝殿23-0323
       神楽殿 23-0324
       神庫 23-0325
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 吉田寿し 森口雅文/伊藤建築設計事務所
寿し店南面(正面) 奥座敷 茶室南面
■発掘者のコメント
 「吉田寿し」は、堀川にかかる五条橋と桜橋との間にある中橋を渡り、杉の町筋を東に、緩やかな坂道を上った西萬町(にしよろずちょう・新住居表示以前の呼び名)にあり、木挽町(こびきちょう)通りと皆戸町(みなとまち)通りの中ほどの北側にあります。最近では名古屋のグルメ情報誌にも紹介されたためか、ガイドブック片手の訪問客が散見されます。
 当主の若杉章氏にうかがったところ、この周辺でも戦災に残った数少ない建物の一つになりましたが、母親の先代女将若杉さき子さん(平成23(2011)年8 月逝去)の話によれば、明治の初めに米野(中村区)から移築されたもので、もともとは掘川沿いの瓦屋さんの隠居所として建築され、戦後昭和20(1945)年に、彼女の叔母にあたる吉田とめさんが、敷地215 坪と建物を借用して「料亭よしだ」を開店、その後昭和44(1969)年に「吉田寿し」を併設し現在に至っており、部分的には手入れはしていますが、ほぼ昔のままの形でのこっているとのことでした。
 設計者や施工者、建設時期などは定かではありませんが、下記の参考文献にはそれぞれ掲載されています。周辺には高層マンションや事務所ビルが建ち並び、すっかりビルの谷間になってはいますが、寿し店とその奥座敷や茶室もすべて年代(推定)どおりのたたずまいで残されています。今後この建物やお庭の緑がどのように生かされ、いつまで存続するのか大変気になる存在です。
 
問合せ先: 吉田寿し TEL 052-231-5056
参考文献:
①「愛知県の近代和風建築」平成19年愛知県近代和風建築総合調査報告書(編集発行 愛知県教育委員会事務局生涯学習課文化財保護室 2007年3月)
②「花の名古屋の碁盤割」(発行 堀川文化を伝える会 2004年3月)