解体/ 集合住宅モダニズム
           第5回

オランダモダニズム集合住宅

村上 心
(椙山女学園大学 教授)
むらかみ しん|
1960年大阪生まれ。
1992年東京大学大学院博士課程満了、椙山女学園大学講師・助教授・准教授を経て
2007年より同大学生活科学部生活環境デザイン学科教授。
1997年オランダTUDelft OBOM 研究所客員研究員。
博士(工学)、写真家・ハイパースペースクリエータ。
著書に『The Grand Tour- 世界の建築風景』『建築再生の進め方』、
訳書に『サステイナブル集合住宅』など。
2008年度都市住宅学会著作賞、2007年日本ディスプレイ大賞入選など。
 「解体」という視座で連載しているモダニズム集合住宅の黎明期と、モダニズム後の再生行為を、オランダを例にとって眺めてみよう。筆者は、1997年のデルフト工科大学OBOM研究所滞在前後より、1〜2年に1度のペースで、オランダの集合住宅を追いかけてきた。ともかくも、1900年頃の煉瓦造たちが素晴らしい。一方で、マスハウジング期の鉄筋コンクリート造たちは、つまらないと言わざるを得ない。しかしながら1980年代以降の集合住宅群は、極めて面白い。加えて、それらのストックを、再生しながら時代に合わせていくオランダの建築行為は、日々恐ろしいスピードで進行しており、頻繁に訪れるに値するものなのである。
オランダモダニズムの誕生 H.P.ベルラーヘ(Hendrik Petrus Berlage)1856-1934 年
 ベルラーヘは、オランダにおける近代建築の父である。アクティビティ、材料、構造を重視した合理主義を主張し、伝統建築から近代建築への過渡期にあるオランダの建築界に大きな影響を与えた。アムステルダムに生まれたベルラーヘは、画家を志しアムステルダム国立美術アカデミーに入学した。しかし、建築への転向を決意し、1875年から78年にスイスに滞在し、現在のチューリッヒ工科大学で、ゴットフリード・ゼンパーらから合理主義論を軸とした建築教育を受けた。その後、アムステルダムの国立博物館を設計したP.J.Hカウパース(PetrusJosephus Hubertus Cuypers)と共にアムステルダム証券取引所を設計することになる。
 ヴィオレ・ド・デュク(Eugène EmmanuelViollet-le-Duc)の合理主義の影響も受けて、こうして、ベルラーへは、オランダモダニズム建築家群の黎明期の活動に大きな影響を与えることとなった。
 
ベルラーへの集合住宅
アムステルダム派とロッテルダム派
 オランダの近代建築は、ベルラーへの偉大な活動の後には、大きく2派に分かれることになる。1920 〜30年代にアムステルダムで勃興した表現主義と、同時期にロッテルダムで盛んとなったデ・ステイル (De Stijl) で、それぞれアムステルダム派とロッテルダム派といわれる。
 アムステルダム派は、石とレンガ、茅などのオランダ古来の建築素材を使って、表現的形態の可能性を追い求めると同時に、労働者階級のための集合住宅建設に貢献した。デ・クラーク (Michel deKlerk) やピエト・L・クラメル (P.L.Kramer) らが代表的建築家である。ロッテルダム派とも呼ばれるデ・ステイルは、1917年にオランダのライデンで創刊された芸術雑誌『デ・ステイル』と、それを中心とした芸術運動の総称である。中心人物は雑誌を創刊したテオ・ファン・ドゥースブルフ (Theo van Doesburg) とピエト・モンドリアン(Piet Mondrian) であり、デ・ステイルの方向性を決定したのはモンドリアンの新造形主義であった。建築家としては、J.J.P.アウト( J.J.P. Oud)とG.T.リートフェルト (Gerrit ThomasRietveld) らが代表的である。 
キーフフーク集合住宅(Kiefhoek Housing Development in Rotterdam)J.J.P. アウト(J.J.P. Oud) 1890-1963 年
 アウトによる、労働者住宅を中心とした大規模な低層集合住宅プロジェクトである。ロッテルダムの、当時は南部郊外、現在は、市中心部の南端に位置する。住棟デザインは、水平線を強調し、鋭角の住棟コーナーは、丸みをつけている。表通りからワンブロック内側に立地することから、今でも非常に静かな佇まいをみせる。この区画に踏み込むと、まるで数十年前にタイムスリップしたような不思議な気持ちがわき上がる。
 この作品の後アウトは、デ・ステイルが展開する抽象的な議論と決別し、機能主義に傾いていくのだが、建物の方は、継続的に手を入れられ、オシャレな地区として存続している。当初の住戸面積が、低所得者を対象としていたため小さいことから、二戸一再生も見られる。
 
キーフフーク集合住宅
シュパンヘンの集合住宅(Justus Kwartier in Spangen)オリジナル:Michiel Brinkman 1873 -1925 年、2010 年改修:Molenaar & van Winden architecten 
 息子のJ.A.Brinkman(1902-1949)がVAN NELLE FACTORY (1931年、この時代にガラスのファサードに覆われた極めて現代的な建築を設計したとは、信じられないくらいに先進的な建築である)を設計したことでも知られる、Michiel Brinkman(1973-1925) によって1921 年に建設された。
 重層長屋で3階のレベルに空中回廊を持つこの住宅は、1985年にも大改修が行われたが、近年では2010年からほとんどスケルトン状態を残す大規模改修が行われている。空中回廊は、我が国のオープンビルディングの代表的建築であるNEXT21にも影響を与えているほど、非常に開放的で景観性に満ちたアクセスを提供している。団地中央部には、当初は洗濯室と乾燥室が設置されていた。
 1985年の改修では、住戸数を減らし、面積の拡大を図り、さらに外壁を白く塗るという改造を行った。しかし、白い外壁は不人気で、空室の増加による治安などの悪化を招き、2010年からの再生では、外壁をオリジナルのレンガの状態に戻し、時代性能にあった設備の改修と住戸プランの変更を伴う大規模な改修を行っている。
シュパンヘンの集合住宅
キャパシティ
 空間のキャパシティとしての集合住宅の運命の再生を選択されて使われ続けるという状況と、取り壊されるという結末との違いは、何に起因するのだろうか。村上は、キャパシティという概念によって説明できると主張したい。キャパシティとは、建物や環境が有する変化への対応能力である。いい建築とは、キャパシティが大きい建築である、と言っても過言ではない。 
ディストピアの可能性 
 一方で、「都市の未来は『ユートピア』ではなく、『ディストピア』に他ならない」という提示も多く見られる。例えば、映画「ブレードランナー」で描かれた未来都市像(図5-1、5-2ハ参照)は有名である。論理的な理想都市像を提示してきた混沌としたアジア都市を示したことは興味深い事実である。前稿のワングサマジュ団地の再生行為に関して、ルールや規制に縛られるだけではない空間づくりのプロセスの可能性が意識されている。
 村上研究室が行った「高蔵寺ニュータウンの空地・空家調査」では、マスハウジング期に計画されたベッドタウン型理想都市での衰退期への前兆である空地・空家が確認された。空地が増えることは「悪」であると決めつけがちであるが、自然へ還すことも含めた環境的活用再生行為の可能性は、未来にとって「良い」ことであるとも言えよう。
     
<事例1>
Project name: Poptahof (Delft/ Netherlands)
Molenaar & Van Winden architecten この再生計画は、都市計画プランナーがマスタープランを担当した、街区再開発のシンボルである。今回の再生では、中高層の平行配置から囲み配置へ変更し、既存の中高層の住棟は中央部分を減築している。中央部には公園と接続されたデッキがあり、低層の住棟にはデッキに向かって開く庭が設置されている。デッキの下には駐車場が完備されている。単一形の焼き物によるレリーフによって全体が統一されている
<事例2>
Project name: De Noordwachter, Brandaris and IJdoorn(Zaandam / Netherlands)Heren 5 Architecten マスハウジング期、1960 年代後期の巨大な板状集合住宅である。今回の再生では、高速道路のジャンクションの近くに立地することから、防音とのためのダブル
スキンが求められた。これは、グレア防止にも寄与している。階層ごとにガラスパネルを割り付け、グレア防止と層ごとの雨仕舞のために、7°前傾させている。角はガラスを接着し、透明感のある納まりとなっている。同時に行われた住棟エントランスの再生では、細い鉄骨のフレームと、カラフルな着彩のガラスを使用し、非常にモダンな印象を与えている
<事例3>
Project name: Dillenburgh (Leidschendam /Netherlands) Hans van Heeswijk archtecten 高齢化が差し迫っている地区の再構築計画である。大公園を囲むフラットが、街区構成の特徴となっており、高所得者向けの住戸にコンバージョンし、高齢者ケアサービスを新たに提供している。水平ラインを強調して、部分と全体の調和を図っている。建物各々部分が、タワーは石、低層はレンガと木、既存住棟は木質フレームというように、自然系素材でラインを形成している。住戸は、既存のファミリー向け4ベッドルームの住戸を需要に見合った3ベッドルームへと改修した