保存情報 第121回
登録有形文化財 浜松茂 玄関棟・さつき棟 藤田淑子/元名古屋文化短期大学
 
浜松茂 玄関棟 さつき棟 信楽の間
■紹介者コメント
 「浜松茂」は、明治17(1884)年に廻船問屋であった稲葉三右衛門が改修工事で埋め立てた、四日市旧港に近い高砂町にある。町内には稲葉翁記念公園があり、先人の知恵でつくられた重要文化財の「潮吹き堤防」を望む。
南に約1.5 ㎞歩くと、今も現役で働いている重要文化財の跳開式可動橋「末広橋梁」があり、続くコンビナートの眺めは工業都市四日市の歴史を物語っている。
 三代目吉田稔さんのお話によると、戦前は本店と支店があり、旧東海道沿いの遊興街を「高の~」と呼んでいたので本店を「高松茂」といい、港に近い地域を「浜の~ 」と呼んだことから、支店を「浜松茂」というようになった。現在、本店はないが、これらの料亭は旧港の繁栄と共に商談と遊興の場としての役割を果たしてきた由である。
 「浜松茂」は明治39(1906)年の創業。数寄屋造りの玄関棟は、東洋紡績の創業者・伊藤伝七の別邸を利用したものである。設計者は不明。東に面する大型の車寄せは格天井で重厚さを感じるが、玄関に入ると下足戸の上には天窓、ホールには窓がとられ、明るい印象を受ける。北側の1 階には接待室や応接室、その奥には調理室や帳場があり、2 階には海を望む座敷が続く。戦災を免れ、高度成長期には営業マンや船員で賑わったとのことであった。
 さつき棟は、敷地の北西隅に建ち、昭和30(1955)年頃の建物で、設計者は不明。長押には半割丸太を回し、琵琶床に飾られた信楽焼の大きな茶壺は海の男を迎えるにふさわしい設えである。床脇と付書院には大きく窓を設け、庭に向かった南側に縁が広がり、障子越しの柔らかい光が客を迎える。この部屋は宿泊としても使われ、次の間の桐の板戸の絵は泊まり客の作品とか。
 これらの建物と歴史ある食器に未来を託し、産業の伊勢茶や万古焼を紹介、四季折々の料理に腕を奮っておられる吉田さんにエールを送りたい。
所在地:三重県四日市市高砂町6-12
構造・登録番号:
玄関棟/木造2階建て、入母屋と寄せ棟造り、桟瓦葺き、建築面積152㎡(24-0090)
さつき棟/木造平屋、切妻造桟瓦葺き、建築面積56㎡(24-0091)
建設年代:玄関棟/明治年代 さつき棟/昭和30(1955)年頃
参考資料:「四日市市史第五巻史料編/民族pp.748-758」に「浜松茂」全体の建物配置図および平面図が掲載されている。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 山口銀行名古屋支店 福田一豊/福田建築事務所
外観(現在) 外観(竣工時-「新建築」より)。街路灯や交通標識が
邪魔し、現在この角度からこのようには撮影できない
壁画
■発掘者のコメント
 この建物の竣工時、伏見通には、周りに建物も少なく目立った存在であった。この近くに私の勤務先があった関係で目にする機会も多く、特に印象に残っている、当時の姿をそのまま伝えている数少ない建物の一つである。
 設計は園堂政嘉(えんどう・まさよし)で、この支店竣工1 年前の昭和40(1965)年に完成した本店の設計に続き、2 番目の作品である。
 縦の柱と横の梁を強調し、その間を大きなガラス窓で構成し、3 層部分が下層部の上に浮いたように積み重ねられていて、小規模建築ながらダイナミックさを感じさせてくれる建物である。外壁の柱・梁は一見鉄骨のように見えるが、合成樹脂塗料を塗っている。空間構成と外壁のデザインの斬新さが、大学を卒業したての私に刺激を与えてくれた。
 ここには、彼の恩師である中村順平(1887~ 1977)に制作を依頼した大きな壁画が吹き抜けの営業室の背面に残されている。中村は建築家としても有名であるが、本店を始め京都の祇園会館など多くの壁画を手掛けていて、この方面でも活躍していたことが分かる。高さ7m、幅約12m の壁画(画題「城を築く」)は、この銀行が初めて名古屋に支店を構え、今後の発展を願ったもので、名古屋城の築城に大きな役割を果たした加藤清正をモチーフに築城の風景をモザイクタイルで描いた力作。支店の建て替えなどについての話もこの壁画の存在が少なからず影響しているようだ。取材でこの壁画の存在と詳細を知る貴重な機会となった。
所在地:名古屋市中区栄1-11-11
     (地下鉄 東山線・鶴舞線伏見駅下車)
建設年:昭和41(1966)年5月
構造規模:鉄筋コンクリート造地下1階 地上3階 
     延床面積1,361㎡ 高さ13.1m
設計者:園堂政嘉(園堂建築設計事務所)
施工者:清水建設名古屋支店
問合せ先:山口銀行名古屋支店(TEL 052-221-7771)
参考文献:「新建築」昭和41(1966)年8月号