保存情報 第120回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 旧楓江ホテル 高橋 徹/高橋徹都市建築設計工房
 
特徴ある六角塔 遠景
■発掘者のコメント
 風光明媚な五ヶ所湾に注ぐ五ヶ所川沿いにひときわ異彩を放つ六角塔を持つ3 階建ての小さな洋館建築が旧楓江(ふうこう)ホテルである(楓江は五ヶ所湾の別名)。たきちや旅館の別館として建てられ、かつての看板には「楓江ホテル たきち屋旅館部」と刻まれている。明治44(1911)年2 月、小建築であるが工事は満2 か年を要し、大正2(1913)年1 月に竣工した。
 当時五ヶ所湾は真珠産業が盛んで、御木本幸吉をはじめ多くの業者は横浜、神戸など都市との結びつきが多かった。主人の西浜多吉も旅館業と共に天然真珠の仲買を兼業し、横浜や東京を訪れるうち、この洋館建築を建てようと考えたのだろう。彼は土地の若い大工林清三郎(当時28 歳)を連れて横浜などの洋風建築を見て回ったという。
 当初は塔を持つ中央部が建てられ、のちに両脇部分が増築された。ドーム屋根の玄関ポーチ部分は道路拡幅のため取り除かれたという。外観は軒周りや縦長の窓、手摺り、下見板貼りの外壁など洋風の意匠が強く、全体的に白く塗られている。内部はガス灯などのレトロな部品が残る塔や、階段ホールの洋風部分と和風の客室があり、棟札にも「和洋折衷」と書かれているように和洋折衷の建物である。また建築の次第には「阿ら風と地震に耐えて火にやけぬ雷よけて水にながれず」と書かれ当時の心意気が伝わってくる。憲政の神様といわれる尾崎愕堂は定宿とし、また真珠争議を治めるために後の総理大臣鳩山一郎も泊まっている。
 現在、旧楓江館を愛する人々によって南伊勢町五ヶ所浦のまちの記憶を示す原風景であるこの建物の保全活用に向けた活動が進められている。 
 所在地:三重県南伊勢町五ヶ所浦
アクセス:三重交通バス「楓江橋」下車徒歩1分
構造・規模 木造3階建て 延床面積284㎡
施工者:林清三郎
問合せ:南伊勢町観光協会 TEL 0599-66-1717
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 神屋地下堰堤(地下ダム) 山上薫/山上建築設計
水路の先に中学校が見える 側面の丸石から地下水が 構造のイメージ(「春日井の散歩道」より)
■発掘者のコメント
 春日井市内東北部、神屋町に「神屋地下堰堤」と言われる珍しい土木構造物がある。一見どこにでもあるような幅1.3 mほどの水路であるが(一部は坂下中学校の地下に埋まる)、よく見ると片側の壁面に積まれた丸石の間から、所々こんこんと水が湧き出しているのが分かる。この地を流れる内津川は水が上流の明知町の中ほどまでくると地下の礫層にもぐって伏流水になってしまうため、昔から「神屋のカラ川」と言われてきた。この伏流水を地下で堰き止め、地表へ導いて灌漑に利用しているのである。
 工事は地下水との戦いで難行を極め、3 年かかって1934(昭和9)年に完成した。内津川を横切って長さ200 間(360 m)、幅8 間(15 m)、深さ5 間(9 m)にわたって地下を掘り、この内側に粘土で1.8 mの厚さの堰堤を築いた(刃金工法)。次に底の上流側に0.9 mの丸石層を置き、さらにその上部に丸石を詰め込んだ蛇籠を置き、堰き止めた地下水が噴き上がるようにした。これによって、それまで畑だけであったこの地に約20ha の水田が生まれ、現在に引き継がれている。
 1959(昭和34)年、先人の偉業を称え、「水利民生碑」が建てられた。碑文に工事の概要が記されている。国内ではこれと似たものが数例あるらしいが、詳しいことはまだ分かっていない。なお台湾には、地下堰堤「二峰圳(にほうしゅう)」がある。これは日本統治下の1923年に、日本人土木技術者鳥居信平が設計してつくったもので受益農地約4283ha という大規模なものである。神屋を担当した土木技術者が誰かや、関係者が台湾の先例などを知っていたのかどうかは今のところ不明である。

所在地:春日井市神屋町    構 造:地下堰堤
建設年:1934(昭和9)年    事業主体:神屋(耕地整理)組合
指 定:春日井市都市景観形成建築物等指定物件
参考資料:永田宏『神屋地下堰堤』、シンポジウム「日本の技術史を見る眼」第29回公演報告資料集(2011/3/5)、春日井郷土史研究会「春日井の散歩道」