ニューイングランドの住まいと暮らし
第4回
夏の思い出

桜井のり子(金城学院大学生活環境学部教授)
学生の研修
 金城学院大学環境デザイン学科では、州都プロビデンスにあるRhode IslandSchool of Design(RISD ロードアイランド造形大学)と提携し、夏季プログラムを実施しています(名古屋女子大学と共同)。この年も8月初めから約3週間の予定で、両校合わせて25名の学生がやって来ました。研修中は学生寮に滞在し、プロのインテリアデザイナーでもある先生の指導によるインテリア実習が英語で行われます。
 プロビデンスの市街地は、1980年代から1990年初めにかけてすっかりさびれていましたが、その後、大掛かりな都市再生プロジェクトが始まり、AMTRAK(鉄道全国網)の線路や中心部を流れる川の水路を移動するなど大胆な手法がとられました。その結果、古い建物はリノベーション、新しく建てるものはデザインや外壁の色を古い建物と調和するようにするなど、町全体が統一感を持って生まれ変わりました。RI SDも町の中心部の端っこにありますが、学生たちが滞在した寮は最近リノベーションされました。もともと銀行として使われていた建物で、1階ホールの壁、天井、エレベーターの扉などは1930年代のアメリカン・アール・デコの豪華な装飾がそのまま残されています。
 私は過去何回か同行しましたが、この年は現地で合流、ときどき手伝いに出かけました。学内での授業のほかに、学外での見学プログラムがあり、ボストンや近郊への日帰り旅行がありました。
 
ボストンへ ボストン・シンフォニー・ホール  
 プロビデンスのバスターミナルからバスでボストンへ。まずサウス・ステーションバスターミナルに到着。サウス・ステーションは、AMTRAK東海岸縦断路線の終点であるボストンの駅です。そこから地下鉄に乗り換えて、ボストン美術館に向かいました。午前中は美術館内で見学、午後はハーバード大学・MITなどケンブリッジ方面のグループとボストン市街地見学グループに分かれます。私たちのグループは美術館から徒歩で市街地に向かいました。
 ボストンの市街地の様子は、ここ20年で大きく変わりました。初めてボストンを訪れたのは1980年代の中ごろ、地域問題研究所主催のウォーター・フロント視察団に合流したときです。ボストン北東部の旧海軍基地跡の再開発で、古いレンガ造の倉庫を住宅としてリノベーションするプロジェクトの説明を聞きました。外壁だけをまるで映画のセットのように残して行われる大がかりな工事で、見るからに新築の方が低コストだなと思いました。近くには、数年前のプロジェクトによる現代的な建物が立ち並んでいます。そのときの若い担当者の言葉が印象的でした。古いものを壊してすっかり新しくなったそれらの建物を指して、「ugly(醜い)」と言うのです。“保全”と“再生”をというメッセージを強く感じました。その後、ボストンは大がかりな都市空間の再生に取り組むことになります。
 まず、都市内を高架で貫通していた高速道路の地中化です。1990年ごろからプロジェクトが始まり、現在では都市周縁部を除き高架の高速道路は町の中から姿を消したのです。それから古い建築物を保存しながら新しい用途に変更することも、あちこちで行われています。
 古い建物といえば、ボストン・シンフォニー・ホールなどは古い倉庫かと思うくらいですが、今でも頻繁にコンサートが開かれています。私も滞在中に2回ほど出かけました。大体午後8時くらいからの開演で、終わりは10時過ぎです。ロードアイランドの片田舎へは帰りの電車がなくなりますから、近くのヒルトンホテルのシニア特別料金を利用しました。シンフォニー・ホールの床は歩くと音が出そうな古いものです。名誉指揮者の小澤征爾氏の里帰り公演も聴くことができました。インターネットで30ドルくらいのチケットで席を選びましたが、運の悪いことに2階の床の支柱が目の前にある席でした。古い建物ならではですね。この日のシンフォニー・ホールはアメリカにいることを忘れるほど、日本人であふれかえっていました。 
 
シェーカービレッジとウイリアムズタウン ボストン・シンフォニー・ホール内 
 研修プログラムの中に、ハンコック・シェーカービレッジが含まれています。シェーカーというのは、18世紀末にアメリカ東海岸の各地で共同生活を行っていたキリスト教の1グループです。簡素な生活を旨に、シンプルで美しい家具や建築物を残しています。ハンコックのあるマサチューセッツ州の西部バークシャー地方は、北はバーモント州、西はニューヨーク州に接しており、ちょうど軽井沢のような気候で、ボストン・シンフォニーの夏の本拠地タングルウッドがあることでも知られています。
 ハンコックから北に30分くらいのところにあるWilliamstownという小さな町に、安藤忠雄氏の最新作品(2008年当時)がありました。人口1万人足らずの町にあるThe Sterling and Francine Clark Art Institute内のStone Hill Centerです。2008年6月22日にオープンしたばかりで雑誌「TIMES」でも取り上げられ話題になっていました。The ClarkともいわれるThe Sterling and Francine Clark Art Instituteは、ニューヨークの大富豪Clark夫妻の個人コレクションをもとに設立された美術館とWilliamstown Collegeがタイアップして、美術史・評論や美術品の修復保存技術の教育プログラム(大学院)で知られているとのことです。そのせいか美術館にある美術品の数々は、他の美術館と比べると色彩が鮮やかです。
 Stone Hill Centerは緑豊かな敷地の奥にあり、美術品の修復保存スタジオと展示室が併設され、入館者は中庭から修復の様子を見ることができます。あふれるような自然の緑を内部空間と連続させ、コンクリートの壁で額の絵のように切り取って際立たせたものでした。
 7 ~8月は毎日開館、そのほかは月曜休みです。入館料は6 ~8月は有料で、11 ~5月は無料。教育プログラムの一環で学生には無料で公開されています。 
 
災害情報  ボストン・シンフォニー・ホール 座席と床 
 8月末のある日の夕方、突然テレビがBreaking newsを伝えました。FEMA(Federal Emergency Management Agency)の緊急警報の発令です。「現在カテゴリー4のハリケーン・グスタフがカテゴリー5に発達する可能性が強まった。南部沿岸の各州に避難を勧告、車での脱出ができない世帯のためにバスその他の手配を準備する」。沿岸各都市は雨も降っていない状態なのに、各州、都市の避難情報が次々に伝えられました。午後11時のルイジアナ州知事、ニューオリンズ市長の会見は強烈でした。「緊急の避難命令。明日の朝8時までにすべての住民は避難するように。自家用車、バス、飛行機でとにかく離れた親戚やshelterに。ハリケーンの威力を甘く見て自宅にとどまることは許されない。自宅にとどまる人はあらゆる救助などのサービスの対象とならない。自分で身を守る覚悟で」。日本人の感覚では脅しとも思える内容にびっくりしました。テレビの画面では、身の回りのわずかなものを持った人たちが役所の用意したバスに乗り込んでいます。数時間で用意されたバスの量も半端ではありません。町を脱出する車が続く道路、混雑する空港の様子を見ると、戦火を逃れる難民の姿に重なります。
 ロードアイランドも10数年前に大型ハリケーンに見舞われ、海岸沿いの建物が大きな被害を受けました。言葉のハンディがあり、避難所もよく分からない私たちですから、テレビを見ながら不安になりました。1度、突然ケーブルテレビのチューナーから「今から30分後に雷を伴う強風と大雨が到達する見込み。窓を閉じて注意するように」というアナウンスが繰り返し流れたことがあります。そのときは大したことはありませんでしたが、急に避難命令が出されたりしたら、戸惑うだろうなと思いました。
 しかし、迅速な準備態勢や規模の大きさには驚きます。到来予想まで2日もあるのに、被害に備えて全国各地から救助スタッフ、医療チームなどがボランティアも含んで続々湾岸部に向かう様子も伝えられました。 
 
 Stone Hill Center
   さくらい・のりこ|
大阪市立大学大学院博士課程後期中退、1992年より金城学院大学に勤務。
現在、金城学院大学生活環境学部教授(住生活論、インテリアデザイン史などを担当)。
2008年4月~2009年3月アメリカ合衆国ロードアイランド州立大学客員研究員