保存情報 第119回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 喜楽亭 塚本隆典/塚本建築設計事務所
 
外観 正面玄関 1階座敷
■発掘者のコメント
 以前勤めていた設計事務所とお付き合いのあった工務店が、「喜楽亭」の移築工事を請け負うことになり、所員の1人が現場写真の撮影などのお手伝いをしたことがありました。そのことが記憶の片隅にあり、移築後のことが気になっていました。
 「喜楽亭」は豊田市郷土資料館資料の中で以下のように記されています。
 「大正期の代表的な町屋建築である。豊田市神明町にあった『喜楽亭』は明治時代後期から続いた料理旅館で、戦前には養蚕業、戦後には自動車産業の関係者が多く利用した。昭和42年廃業後、住居として使用していたものを昭和57 年、改築にあたって個人より寄贈され、現在の場所に移築された。
 建物は大正期に中央座敷、昭和元年から3年にかけて前部分、昭和15 年頃、裏、2 階座敷部分と3 回にわたって建築されている。家の骨組みは、中桁と梁を交互に組み合わせた地棟と呼ばれるもので、釘類の使用も最小限にとどめられている。
 用材は、広川町性源寺の樹齢400 年の松が使われ、『喜楽』と刻まれた瓦は市木町の瓦師都築氏の手によるものと伝えられている。『喜楽亭』は、近年の都市化により急速に姿を消しつつある下町の大規模な和風建築を今に伝えている」。
 まだ、自動車産業の企業城下町としての豊田市が形成される以前の下町の和風木造建築で、この料亭を利用した往時の庶民の素朴さを感じさせる建物だと思います。現在は文化的催事の施設として市民に利用され、貸出利用がない場合は建物内部や庭園の見学ができます。
 執筆にあたって、豊田市郷土資料館職員、不破恵理氏のご協力を頂きました。 
 
所在地:愛知県豊田市小坂本町1-25
構  造:木造2階建
延床面積:325.6㎡
利用時間:午前9時~午後5時(月・祝休)
問合せ:豊田産業文化センター事務局 
     (TEL 0565-33-1531)
参考資料:豊田市教育委員会 豊田市郷土資料館パンフレット、愛知県の近代和風建築
 1階茶室  
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 津島の街・津島神社 坂本 悠/有理社
津島神社 門前町のまちなみ 津島天王祭りの「まきわら船」
■発掘者のコメント
 津島は中世から木曽三川を渡って尾張と伊勢を結ぶ要衝津島湊として発展しました。また全国天王信仰の中心地である津島神社の門前町として参詣人で溢れかえり、織田家の台所としても尾張一の豊かな町として経済発展を遂げました。1000 年を超える歴史ある門前町は、今ものどかで、かつ風格があります。
 旧津島信用金庫本店、堀田家住宅などの県や国指定有形文化財建築物以外にも社家氷室作太夫家住居、渡邉家住宅、旧服部家住宅書院をはじめ随所に古建築を残し、旧佐屋路の古い町並みは栄華が偲ばれる特に興味深い景観です。
 津島神社の古くは牛頭天王社と称し創建年代は不明のようですが、戦国時代に織田信長が氏神として尊信し、慶長3(1598)年に豊臣秀吉が社殿を修復しています。現在の本殿は天正19(1591)年、楼門は慶長10(1605)年、南門は慶長3(1598)年の建築で400 年を経て本殿は大正9(1920)年に、楼門は昭和33(1958)年に国の重要文化財に指定されました。南門も昭和43(1968)年に県指定文化財に指定されています。
 本殿は雄大な規模の三間社流造りで桧皮葺き屋根、豊富な彫刻装飾は平面文様的な室町末期の様式と立体写生的な桃山が混在しているのが特徴で、棟札にそれを造った大工、棟梁の名前が記されています。  
 楼門は三間一戸、入母屋造りの桧皮葺き屋根で各細部に和様を多く用いた均整の取れた建築で、昭和16(1941)年解体修理の際に建築時の墨書が発見されて建立年代が明らかになったそうです。
 疫病退散を祈願した夏の津島天王祭りは500 年の歴史を有する幽玄の美の極み、あまりにも有名な大祭です。


津島神社:愛知県津島市神明町1