保存情報 第117回
登録有形文化財 本光寺本堂・山門 渡邉 勇/ユウコウ建築設計事務所
本堂 山門 本光寺境内(山門の前)
■紹介者のコメント
 岡崎市の中心部から南西方向の矢作川沿いにこの本光寺がある。矢作川の対岸は安城市で、岡崎市の西端である。本光寺は、真宗大谷派の寺院である。本堂は、1894(明治27)年に庫裏と共に焼失したが、第32 代恵暢(えちょう)が再建し1913(大正2)年に落慶供養法要を行っている。
 入母屋造り、桟瓦葺きで、3 間の向拝が正面に付く。典型的な浄土真宗平面で、三方に広縁とその外に1段下げた落縁を廻し、内陣の背面に僧の出入り口を設けた後門形式である。内陣まわりの黒漆地に金箔貼りの彫刻や絵模様はおごそかで、近代的な装飾意匠である。京都にある東本願寺の影響を強く受けた、当時は豪華で庶民好みの代表的な浄土真宗の歴史的建造物である。ただ現在は、思ったより老朽化しており、鉄骨による補強がなされ、文化財としては少々残念な結果となっている。
 本光寺山門は、1827(文政10)年の再建といわれている。本堂の東、通りに面した位置に建っている。入母屋造り、桟瓦葺きの3 間1 戸の楼門である。下層の外周は開放し、上層は正・背面中央に桟唐戸を建て、ほかは格子をはめた板壁となっている。組物は正・背面中央間に出組、左右間と側面は詰組としている。内部には釈迦如来像など三尊を安置している。浄土真宗の寺院の山門が楼門でつくられることは珍しく、近隣でも類例をみない貴重な建造物である。

所在地:岡崎市上青野町新井1
登録番号:本堂 23-0249 平成19(2007)年10月2日 山門 23-0250 平成19(2007)年10月2日
参考資料:文化庁登録説明資料ほか
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 末森城と城山八幡宮 谷村 茂/アール・アンド・エス設計工房
  
本殿 二の鳥居と空堀りにかかる反橋
   
 連理木  末森城址碑
■発掘者のコメント
 城山八幡宮の境内には末森城址碑が立っています。もともとこの城山は末森城が築城されていた場所でした。500年以上の歴史のある城山八幡宮は現在地より300mほど東北の地に鎮座して、産土神として崇敬を集めてきましたが、昭和11(1936)年に末森城址に移されました。
 城山八幡宮の御由緒によると、この末森城は天文16(1547)年、織田信長の父、織田備後守信秀が東山丘陵の南端に位置するこの地に築城し古渡城から移り、三河方面の松平・今川などへの守りとし、弟信光の守山城との線を連ねて尾張における東方の固めとしたもののようです。二重堀をめぐらせた約1万坪の境内地はそのほとんどが史跡末森城址と重なり、室町時代末期における平山城の城址として原形に近い形を伝えています。
 私の住む町は、八幡宮の北側に位置し氏子ですので、正月や何かの折には、(今は縁結びで有名になった)連理木の前を通る裏道で丘陵伝いに八幡様にお参りに行きます。境内へは5通りのアクセスの方法がありますが、城山はかなりの高低差があるので唯一この道が楽なアプローチとなります。広小路通りの南側から3つの鳥居をくぐり、本殿の鳥居をくぐるのが一般的ですが、正月3が日は階段途中で待つ覚悟が必要です。
 社殿は、本殿、祝詞殿、幣殿、拝殿、廻廊、神門などからなり、主神(八幡神)は、応神天皇、神宮皇后、仲哀天皇の3体で、5体の合祀神が一緒に祭られています。
 なお、作家「城山三郎」の名前の由来はこの城山から来ていることは有名です。

所在地:名古屋市千種区城山町2-88 
     TEL 052-751-0788
アクセス:地下鉄覚王山駅2番出口から東へ徒歩7分、
     本山駅から西へ徒歩6分